2017年01月26日

冬の嵐

単に寒さと疲れでまいっているってのもあるのだけど、それだけでも落ち込む日がある。

状況はいつもと変わらないというのに、極端に被害妄想的になってしまったりとか。

あとは、どうしてこうなんだろう、ああでないんだろう?と多くの人のことを絶望的に思ったり。

元気があるときだったら何でもないことのように交わしたり、据え置きにして次のチャンスを狙ってみたりするのに、何だか自分が滑稽に思えて仕方がない日がある。

そういうときはあまりどうにかしようとはしない。落ち込みに任せよう。

でもって、気温が下がっているとこうなるってのも分かっているので大事に過ごそうっと。

*********

ご病気で長年半身麻痺を患っていて、なかなか思うようにトイレをすますことすらできない方がいる。

どこにでもいるといえばいるし、そういう方々も沢山看て来たのだけど、こんな日は心が痛い。

通りかかると「ちょっと!ちょっと来て!これがね!これがね!」と大声で呼ぶ。

他の人の処置をしていて手が離せないのでちょっと待って下さいねと言っても必死で呼び続ける。

入って間もない頃。通りかかってトイレ介助をしたことがあるのだけど、要求がはっきりしなくてわかりにくい上に怒鳴り散らすもので、皆人間だから嫌になってしまうというのも分かる。

そしてリハビリの理論上、自分で出来ることは自分でやって貰って残存機能を活用して貰うことの大切さも分かる。

同じ症状でもその人の気質やモノ言いによって喜んで介助して貰える人と「もう。。。」と思われる人が居る。

これは驚くべきことだなあと思う。だって、ほとんどあの人とこの人の状況は同じなのに。

でも、何だか悲しいのだ。

「これやって。お願い。見て、これ、ほら。」

足場のじゅうたんがめくれあがっていたり、いつぞやはテーブルが壊れていたり、ちょっと疲れちゃってトイレで自分で下着をあげられなかったり。

それをせっせっと直していると「自分で出来ることはやらないと。」と立場的にそういうであろう人がその方に注意をして、その後私に「あのね、あの人はね・・・」と道すがら説明をする。

でも、分かっているんだよね。その気質も、自立心の必要性も。

でも、本当にへとへとなときって、時々ちょっとだけサポートしてもありだと思う。

それが許されない理論だけの世界だとご本人はつらいばかりだよな。

しかも、「自分でやらないと」という言葉が別の意味に使われることもある。

やりたくないからって時もあるんじゃないかしら?ええ、あるでしょう。

ただ、やっぱり人間だからいつも優しくすることは不可能。ただそれを病んでいる人のせいだけにしないで欲しい。

幸せ以上に幸せな胸ときめく瞬間が沢山ある時代もある。でも、ちょっとした優しさだけで今日を生きていける、そんな時代もある。

出来ることならば、自分の得になる相手だけに手を貸す人間になりたくないし、誰かが観ているからと言って人に親切にするような人間になりたくない。

そりゃ寒いせいもあるのだろう。こんなに悲しく思ってしまうのは。

けれども、こんな日に、こんな状況や環境の中で物凄く明るく介護している人がいた。元気よく、元気よく。

どうしてそんなに元気よく?どうして折れないの?

あなたを悪く言う人も沢山知っているけれど、あなたのことを注意したり悪く言っている人々は誰一人あなたのように出来ない。

そして私は自分がふがいない。ひさしぶりにぶれた。

それでも、こんな日すら継続のプロセス。1ページに過ぎない。

へこんだり休んだりしつつ、またやり直す作業って、砂場の山のてっぺんをポンポンと叩いてつぶす作業。

また大きく強くなるために、ポンポンとへこんでいよう。

って思っているうちに少し元気になって来た。理不尽なことに普通にイラっとできるようになって来たあたりが。

そして誰でも一生懸命なんだよな。耳を澄まして行こう。
*****
今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。

ランキング参加中です。クリックして下さると励みになります。黒ハート
posted by かおる at 06:00| Comment(0) | 看護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする