2017年04月05日

心理学の成果はやがて哲学に

無駄な苦労はあえてするものではないが、苦労と呼ばれる作業や出来事の中には明らかにやっておいた方が良い苦労というものがある。

じゃあ、どれが無駄でどれがやっておくべきことなのか。

それは積み重ねてみるまで分からない。

そしてその先に行くと結局、無駄というものはなかったのねと知ることが出来る。

半端するから無駄になるだけという選択をしているだけだということ。全ては自分なのだな、これが。

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新しいことに取り組んだり変革しなければならないことに直面するとき、誰もが自分なりの思い込みで前準備をする。

例えば看護の世界でもそれぞれの立場でたくさんのものを用意していた。

本番が始まる前に皆へとへとになっていたり、また約一名は逃げ回っていたり。

でも、だいたい徒労に終わることが大半だとは思っていたものの、そういったことに免疫がついているのであまりビックリしなかった。

ドクターがどうしても自分の好きにやりたいのなら、こちらも利用者さんたちを守るためという目的で好きなことを要求するわけだ。

残念ながらおかしいところはおかしいと言わなければならない。

本当はどんな業界でもプロになった人ほどストレスが溜まるし疲れるのだ。それはかっこつけるために職業や顧客やスタッフを利用しようとする人々のストレスとは各が違う。

でも、一日の終わり、ふと気が付けば上司のナースさんは「病院へ行かなきゃ。」と自らの通院のために早退した。

他の大御所様もよろよろしていた。顔や全身から疲れがにじみ出ていた。

結局最後は比較的私が一番元気だった。

それはプロじゃないからかしら。

いや、違う。苦労への免疫がついているだけのこと。

逃げなかったから。やるべきときに苦労して来たから。

これからも新しいシステムに戸惑うことが山ほどあるのだろうけど、「どうするんですか?どうするんですか?」ではなくて自分の頭でも考えて行きたい。

考えようとしない人は人に頼るしかないので余計疲れるからだ。

耳を開いて、目開いて、世界をハッキリ感じると段々自分らしくなる。それは無駄な疲れを背負わないということなのかも知れない。
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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。

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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | 看護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする