2016年11月18日

一つの赤いボール

先日、日曜日の日本対オランダ戦。はい、野球の方です。

ある場面でプロの人々も唖然と見上げた打球。そうそう、プロ陣が唖然と口を開いて上を観ていた。

そして、ドームの天井へと消えてしまった。

過去わずか数人の人が天井にかすったり届いたりしたけれど、消えてしまったのは初めて。

VTRで確認されたところ、天井のわずかな溝、裏側にはまったらしい。なんちゅう奇跡なんだろ。さすが超人。

ボールの軌跡で行けばホームランかも知れないでかさ。あの角度で急下降して来ることは考えにくいから。

でかい。デカすぎる。届くだけじゃなくて誰も取れないところにはまってしまうところが凄い。ルール上は2ベースだけど相手だけでなくて味方の度肝も抜いた。

で、この選手、超人なのに調子こかないところがまた凄い。涼しい顔してプレー続行しちゃう。

日本って、スポーツ好きのスポーツを見る目が厳しいとよく聴くのだけど、中年のおやじが隣でネガティブなコメントばかりをブツブツ言っているのを聴くと、つくづく一億総監督の意味が分かる。

試合が七回くらいに達しても2対8と大差がついて負けている時点で、夫が「ダメだな、こりゃ。終わったわ。」と言うので、いつものことだから無視しようと思ったのだけど、「あの手この手で流れを変えるのが得意な選手がいっぱい居るんだからわかんないってば。」と口をついて出る。

そこにこの大谷の打球だったので盛り上がった。

で、その後、山田さんが打席に立ったときのこと。

もちろんプロ野球までこぎつけている人は全員一流の負けず嫌いだと思うのだけど、この人の負けず嫌いさ加減が中でも目立つなと思って。

スタイル上の負けず嫌いで金色のものをじゃらじゃらつけたりいかつく見せたりする種の負けず嫌いではなくて、本当に実力で勝負する人の目独特のギラギラ感とシーンとした冷静さを感じるから。

盗塁も得意が若い彼に向けてベテランピッチャーが「この野郎、走ってみろ。」と結構な回数のけん制球を投げた試合が過去にあったのだけど、怖いもの知らずだけではない負けず嫌い&実力派の彼は、あれだけのけん制を投げられた後にまんまと盗塁しちゃったのよね。あのシーンが忘れられない。

その時、夫が「フライで終わって、ハイ、アウト!」と言った。

・・・・・・・。

フライだと思うの?と訊くと「絶対そうだよ。」と言うので「私はヒットだと思うよ。あなた、フライね。かけようか?」と言ったところ「あたりまえだよ。望むところだ。」という答えが返って来た。しかも「一万円ね。」と言うので、こちらも「おっけー。」と。

結果は、ヒットで打球が抜けたので大騒ぎ。

その後もいろんな人の数々の名プレーが出て、観始めたときは2対8だったのに、しまいには逆転勝ち。

気持ち良かったのだけど、途中からちょっと気になることが。

それは、何人ものピッチャーが交代で出て来たのだけど、しばしば「おーーっと、ワイルドピッチ!」という解説がされていたところ。

何に違和感を感じたのか?というと、そんな、ワイルドピッチというほどの投球じゃなかったのに。。。ということ。

それで気が付いたのだけど、「ああーー・・・・⤵。そっかあ・・・⤵。こんなにピッチャーが居るのに、キャッチャーがいないんだ!」ということ。

これがついつい口をついて出て来たとき、マスターが「そうなんですよ!」と言った。

しかし、こんなつぶやきするのだから私も夫のことは言えない。

キャッチャーはあきらかに居るのだけど、居ないとまで思ってしまうあたりが。

それは、この試合を解説していた古田さんとか、ジャイアンツの阿部さんとか、もっと昔をあげればキリがないのだけど、凄いキャッチャーが居た時代を覚えているから。

もちろん、これは色んな球団の選手が集っているので、どうしても同チームでバッテリーを組んだり長いことお互いの特徴を観て来たチームメイト同士じゃないから、投球を取りそこなう不慣れなところも出て来るだろう。ええ、いくらプロでも。

ただ、おそらく好きだったキャッチャーの方々がプロの中でも恐ろしく秀でていて、こんな場面でも、どんな球でも普通のことのようにキャッチしていたということだけなのだろう。

なんだか、キャッチャーというよりゴールキーパーみたいだったもんね、彼ら。

で、キャッチャーなので、何かがダメだったら、すぐに頭を切り替えて次の展開をパッと閃かせるところなんかも。

それを普通に見せるほどのプロだったのでいつの間にかそれが普通のように感じさせれていたというあのさりげなさ。

なんでそういうところに着目するのか?というと、考えてみればキャッチャーというのは、受容と共感のプロだから。

受け止めるほど難しいことはない。それなのに予測して受け止めるし咄嗟のボールの軌道変更にも対応する。

しかもなのだけど、ピッチャーの肩の良し悪しについては最も注目されているけれど、それを受け止めるキャッチャーはそれと同等、もしくはその何倍も肩が強い。なのに受容にまわる。もっともそうでなければ受容ってできないのだろうけど。

慌てて「い、居ないわ言い過ぎだわ。。。」と呟いたのだけど、それに対しても「いやいや、言いたいこと、わかるよ。居ないよね。ピッチャー、いっぱい居るけどね。」とそこの店のマスターが言う。

なんでそれに違和感を持ったり、無意識に着目したり気が付いたりするのか?というと、カウンセリングに通じることだから。

会話はよくキャッチボールに例えられるけど、ピッチャーとキャッチャーのそれも間に打者が存在するというだけで、キャッチボールには違いないから。

現実の生活に例えれば、キャッチボールをしているときに、間に「こっちにもボールちょうだい!ちょうだい!」と入って来る人が居れば「いや、今は二人でやっとるやん!」と邪魔に思われるだろう。

はたまた誰かと誰かがキャッチボール的に会話しているときに、大声を張り上げたり、横から剛速球を投げてそのキャッチボールを壊そうとする人が居れば「・・・。場所変えようか。(この人が居ないところに行こうか。)」と思われるだろう。

ましてや受け止めて欲しいと思うのならばその行動は逆効果どころか迷惑でしかない。そういった順番を守れなかったりするので入ってくんなやとまで思われてしまう。

そして、例え先述したプロ中のプロであるキャッチャーの方々がどんなにゴールキーパーで大抵のワイルドピッチは、あたかもワイルドピッチでなかったかのようにしてくれる技量があったとしても。

あまりに違うところに投げられたリ、あまりにサインを無視して矢継ぎ早に投げられたリ、逆方向に投げられたリ、あるいは物凄く古い過去のボールで「何、それ。知らない。」というほどおかしなものを投げられたら受け止められないに決まっている。

妙なものを妙な投げ方をしておきながら、「なんで受け止めてくれなかったの。あんたのせいでワイルドピッチになっちゃったじゃないの。」と言われても論外。それは最初から本当のワイルドピッチだから。

何でもそうなのだけど、それは基本的なことの練習の積み重ねに応用が加わったものだと思う。その上で個人独特の技が生まれたりもするのだろうけど、基本の時点の積み重ねから逃げる人には永遠にキャッチボールすらできない。

個人のリレーションが出来ない人は大勢とのリレーションもできない。

そう言えば、過去のあれほどのプロの選手だって、あまりに酷いところに投げたりデッドボールだったりしたら、「バカ野郎!」って言ってたよな。

変に自分が無理して体を痛めるような追い方は決してしなかった。

スポーツや格闘技、いや、どこの世界でもそうなのかも知れないけれど、とかく先述した世界は物凄く凝縮された形でシンプルさを教えてくれる。
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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。


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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | 格闘技とかスポーツとか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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