2017年02月02日

宝島

先日、今看護をやらせていただいている職場で初めて飲み会をした。

相方ナースさんの送別会的なものになるのかな?と思った。介護の方が誘ってくれて栄養士さんもご一緒したり。

でも送別会どころではなかったのよね。

誰が悪いのか?一番悪いのはあの人だ・・・etc等、愚痴と批判があふれ出していて、かろうじて私のことを少し知る相方ナースさんだけが最小限に抑えている雰囲気だったけど。

ハードな現場なので仕方がないよなあとも思う。

黙って聴いていたり相方ナースさんをねぎらう話題に変えたりと色々な態度をとっていたのだけど、まあ怒りのインパクトというのは強いのでまた話が不毛な流れに戻る。

そして問いかけられると、その場で出ている批判とは全く違う発想の意見を言う私に何度も何度もその場が「・・・・・。」となる。

同じ現場に居ても各部署楽しそうに仕事をしている人もいるじゃないか。そして、利用者様の嗜好をとりしまろうとするのはどうなんだろう?とか、他の人にもそう思えとは言わないけど、少なくとも私はまだ看護をやっていない。やり切れていないから取り組む・・・と言ったようなその他諸々のことを問われたときだけ答えていたのだけど。

全然手ごたえもないし、まあ、仕方ないよなーと思って帰った夜だった。

ええ、全然聴いてはくれていないと思っていた。

ところが、今日は飲み会に行ったお一人から利用者様の細々としたことについてきちんとした相談が来た。

結論から言うと聴いてくれてねーやと思っていた話を実は聴いていてくれたとうことが分かった。

そうだった、そうだった。

カウンセラーと違って一般の方々って、「聴いているよ。」というサインや身体言語があまり無いものだったわ。忘れてた。

何せここ数年の心からの親しき人々には、自分が教えた方々も含め、とても傾聴とトークが上手いカウンセラーの人々ばかりだったから。

そして、あの時は一方通行だなー、それならもうこちらに話をふるなよ・・と思っていたはずの相手が今日、積極的に看護にも協力してくれる。

「こういう状況なので、一緒に見ていただけますか?」と引っ張ってくれて、その後意見を求めてくれた。

それとは別にとある利用者様の食事について、一人の介護の子が「〇〇さんがむせ込みがあるからって、こういう提供の仕方をしているんだよ。」という情報を貰った。

え?と思った。自分の食べ物にそんなことされたら私は切れるよなあ。

で、てっきり栄養課がそういう形状にして食事をあげているのだと思って、今後は先ほどの栄養士さんに逆相談。

すると、そういうふうにしているのは、栄養課ではなくて、介護の一部の人だということが判明。

「あ、○○さんの課じゃないんだ。そういうことか、ごめん、ごめん!」

つまりは介護の人々の中でも感じ方が違ったり方針が違ったりして「なんだ、それ?」と互いにビックリすることがあるということが分かった。人間だもんね。

でも、口を開いたことで栄養士の彼女の是正案を聴けたので話が先に進んだ。明日からすぐ試みてみようということで。

介護も栄養課も色んな課の人々が宝の山とも言うべき情報の山を持っている。

ナースが少なすぎる上に、その情報を貰うときの態度が間違っていたために、みすみす利用者様の心地よさや健やかさを得るチャンスを沢山逃して来たのだろう。

悪いところばかり言って適切な指導や意見交換もしないがために。

むしろ教えて下さいと心の中ではいつも思っていたのだけど、そう願えば願うほどに色んなことを見せてくれたり教えてくれるので凄く嬉しかった。この宝の山を何かにつなげて行くんだ。

施設は広すぎる。そしてやるべきことが多すぎる。一人ではどうして良いのか分からない。

しかし、一人でも考えなければならない。さらにそれだけではなくて、人の考えも借りなければならない。

何だか、昔はうっとおしかった「ならない。」が窮屈なものじゃなくて、これまた生きている宝に思えて来た。


のだけど、人間でして。

看護だけでなく他のことも考えなければならないので、今日のところはおやすみなさい。
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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。

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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | 看護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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