2017年04月16日

青空

事務所まで夫が送ってくれる道すがら少し寄り道をしたのだが。

寄り道と言っても偶然その道を歩いて出くわしただけ。

車内からフロントガラスに映る街の光景を目にしていたときから思っていたのだけど、ピンク色の雪のように無数に降りしきる桜の花びらが美しくて美しくて。

そして至るところのアスファルトに敷き詰められた桜の花びらの絨毯が美しくて美しくて。

少し強めの風が吹けば地面から渦を作って舞い上がり、そしてまたひらひらと落ちて行く。

今年は結果的に桜が咲いている時期が長くなった。

実はこの葉桜になりかけの光景が一番好きだったりする。

柔らかに太陽が照らしているこの世界はまるで地上の天国みたいに美しくてため息が出るほどだったので写真か動画に収めようとしたのだけど。

ダメだね。肉眼で見るのと全然違う。

だから心に写し込むことにした。

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メールカウンセリングを返信できないうちに電話カウンセリングを受けることになって申し訳ないなあと思いつつのセッション。

またある人などは返信できていないうちに面談を三回も四回もやっていたりとか。

なのだけど崩せない順番。そして少々の息抜き。

力を入れると余計に遅くなってしまのでコツコツと行こう。

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先日のヒプノトレーニングの会も今日の電話カウンセリングにおいてもふと考えさせられる。自己肯定感と独りよがりの差。

あくまであらゆる文献やマニュアルに目を通したりそれに触れたりしてみた後の話だけれど。

知識を入れたら、さっと捨てるか取っ払うことも大事。

そして直に口に出した言葉は「私はあんまり自分のこと好きじゃねーなー。」ということ。

ごく自然に見つめていると、「へー、こんなところでこんな感じ方をするんだ。」とか「こういうことが嫌いでこういうことが好きなんだ。」と普通に見える。

変わったやつだなあと思うこともある。

こういうところは凄く単純でこういうところが凄く複雑なのかあ・・・と知れば知るほど発見がある。

よくものの本には”自分を好きになりなさい。”と書いてある。

それはもちろんここに書いてあるような意味で書かれたわけじゃないものがあると思うが、やみくもにその言葉を繰り返す世の風潮には落とし穴があるなと現実の臨床では思う。

ある意味、鬱やその他のメンタル的不調をきたす人の多くは自分のことが大好きだから。

自分が好きだからやり方をあれこれ理由をつけて崩そうとはしないし、あらゆる人に意見を求めたり説明してアドバイスを受けたとしても「それは分かっているけど」と”はいでもゲーム”を続けている。

自分が好きだから、自分が関心があることや気にしていることを他人が気にしないと激しい孤独や怒りを覚える。

自分が興味のないものに惹かれている人を見ればけなす。

あまり他人のことは考えない。気にするのが他人にどう思われているかどうかということくらい。

その場合は、この世に自分と他人しか存在しないという思いこみが出来上がっている。一言で他の人と言っても何億もいるのだけど、自分対大勢という雑な見方しかしない。

その人が丁寧に関心を持つのはあくまで自分だけだから。

それは心理学でいう自分を見つめるという作業とはずいぶん違う気がする。

そこで思いやりという概念が登場する。

もしも他者も自分と同じように色んなことを恐れ、色んなことに悩み、それでも生きているのだとしたら?

そんなのそうに決まっているじゃないか、人間なんだから・・・と通常は思うものだけど、何故だかその人たちは違う。「いや、あの人はこれこれしかじかだから恵まれている。自分とは違う。」という見方をするんだよね。

自分は唯一無二のものだと思うが、他者もそうだろう。逆に言うとどんなに優れた人でも自分一人では何もできない。幸せにも不幸にもなることが出来ない。

だから他者のご機嫌を窺うのではなくて、他者から学ぶというのはキラキラしたギフトなのだと思う。

人は人と関わるときが一番手っ取り早く成長する。

なんてことを葉桜の季節に思う。
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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。

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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | アンガーマネージメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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