2017年04月26日

ようこそ ここへ

そして今月もやって来たカウンセラーズトレーニングの会の日。

思えばホームに勤め始めてから、往診日にリーダーナースでないことも、ましてや休みを取るなんて初めてのことだった。よくやって来たなあ、本当に。(まあ、休みと言っても休みじゃないのだけど。)

先月まで内科往診の日は毎週土曜日だった。

だから誰にも気が付かれなかったのだけど、ドクターの変更と共に火曜日に変更になっちゃったものだから希望休みが発覚してしまい「え?休みなの?どうして?」と動揺された。

はい、この日だけは休みます。

他の日も入れたいけれど、そんなことしていると、バランス上地獄の連勤になってしまうから、もう金輪際希望休は一か所だけ。

とは言うもののプライベートでの付き合いがないとつまんないから、たまに入れたとしてもせいぜい月三か所くらいだろう。

「リーダーできないの?それどころか休みなの?」と尚も訊かれるのだけど、「ええ、しかも毎月です。多分。」と答える。

「どうして?習い事?」

うーん、まあ、だいたいそんな感じ。(習い事でもあり教え事でもあるけど。)

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で、本題のトレーニングの会だけど、まあ、ほんとに濃かったこと。

いつも濃くなるし、私としてはそんなに過酷なことは求めたくない故、最近はほとんどワークを取り入れて来なかった。

ワークなしのシェアリングだけで終わっても充分各自内なるワークを引き起こして何かを持って帰ってくれるから。

ところが、ワークをする流れが生じた。

それはとある方のスピーチから始まった。

教育分析のテーマにあげていらしたので私は個人的に内容を知ってはいたものの、いつも本人が関連事項を話すまでは複数の前では黙して語らず。

ところが、近年、この方がエピソードを発表する際、しょっちゅう思うのだが、”おお、そうか、そうか。そこまでアサーションするか。いいね、いいね。”ということ。

二人だけの時と寸分たがわず自己開示する様は圧巻。

それはとても素晴らしいことなのだけど、私の場合は立場が少々違うので感心ばかりして終わるわけには行かない。

アサーションされた方の人がどんなふうになっているか?この場所をどういうふうにして行くか?ということで、全ての機会を逃すわけには行かない。場を保ち、機会を大切にし、せっかく内側から出て来てくれた子を放置したり出来ないわけで。

とは言うものの、それはある意味厳しく感じるケアになってしまうのだよな。でも、こればかりは逃げるわけには行かない。役割に、チャンスに、その子に向かって行かなければ。

受容というものの本質はその言葉のイメージとは裏腹に物凄く積極的なものなのだ。面倒臭がりの私も起こっていることに対して腰をあげなければならない。

それが出来るということは、逆にしないでいるということも出来るということ。

だから、好きになったり愛したり大事にしたりすることはとても骨の折れることだよ。奪うでもなく与えるでもなく、待ちつつも見つめ、思い切りつつも、また待って。

その子はとてもよくお話ししてくれた。

とても素直に話してくれた。

だからそれに対して感謝した。

同時に起こっている皆の心の中の痛みや嵐やせつなさや共感や。

後半は、共通の何かを持ってはいるものの、異質な人々であるこの集まりの中で、つくづく「人って違うんだね。」という話題になった。

感じ方も受け取り方も。

だからこそ、会話する、傾聴する、キャッチボールする。

違うことを面白いと言っている人々の中にいて、私もその興味深さを感じていた。

三月から四月にかけては皆にとって、とても長い一月でした。

そして今日のこの数時間も、とても短いはずなのに、長い長い大切な一日でした。

あとは何かがしみ込んで行く。
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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。

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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | 心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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