2017年10月10日

月が見えない夜にも

いつぞや楔や杭やら釘を打ち込むという話をしたのだけど。

で、確かその時、杭を打っても良いということを書いたような。

何故あんな言葉が出たのだろう?と今思い起こせば占いの一節がしっくりきたというのもある。

けれども、さらに言えばその文章の中に出てきた例え思い切り打ち込んでも耐えうる、しかもその打ち込みを歓迎すらするほどの強い基盤を持った人々がいるという文章のニュアンスに現状がリンクした。

どんなボールでも取るというその硬くて柔らかくて強い基盤がそのまんま人物になったかのような。

そしてそんな基盤に打ち込むのだとしたらそれはそれ相応の覚悟がいるのだという話。

半端な杭や釘なんて歯が立たないから。

スケールは違うけれど、つまらないゲーム的交流をする人たちのことが気にならなくなった自分。

それは自分にそれが刺さらないからだ。幼稚な意地悪を受け取らないということ。

けれども、あの人は、そしてこの人は、私が向かって自分自身に杭を打ち込むことを手伝ってまでくれる。

もっと来い、もっと思い切り向かって来て欲しいと。

ネガティブなものもポジティブなものもみんな愛として受け止めてくれる。

今日はその凄さをうっかり忘れて失敗した日でもあった。

何せ思い切り突き飛ばしたら跳ね返って来て気がついたらどっぷりはまっているという。

放った力の分だけこうなるのだということをすっかり忘れていた。

あの人もこの人も私よりも一回りほどは若い。

それなのに恐るべし包容力。

いったいどんな人生を送って来たのだろう?とびっくりするのだけど。

こんな感動に気が付けるのは、30代のある日、自分の小ささを知り、素直に人の素晴らしさを感じられるようになってからだった。

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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。



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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | 恋愛・友情・仲間とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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