2020年09月14日

つけ

昨日は不穏なエネルギーにはまっていた。

高齢者、認知症になっても、いや、というよりは、そうなってから余計にその人の性質というものが色濃く出るケースが多い。

生き方がそのまま出てしまう。

そのおかげで皆さん個性的な部分を多く残す愛されるべき人々となっていることには間違いないのだが。

でも、全ての時間を欲しがる質の人には本当に困らせられる。

特養では多くの人を看て行かなければならないので。

それはやっかいなことに、古い友人を思い出せるのだ。

「かおるさん、かおるさん、かおるさん、かおるさん、かおるさん、かおるさん、かおるさん、かおるさん、・・・

誰とも話させようとしない。誰の事を見ることも許さない。

充分大人になってから知り合ったというのに、その方は私と出会う前は旦那さんの膝の上で過ごし、旦那さんが映画をみることすら許さなかった。

そして依存相手が私にうつると旦那さんが他人に見えるのだと言っていた。

恐ろしいことだ。自分を頼ってくれてうれしいと異性は頑張って来たのだけど、その人ですら親からの依存が外れた後の一人目の代替案に過ぎなかったという。

愛されていると思って旦那さんも頑張って来たわけなのだが。

面倒なこと、考えなければならないことからは逃げるので、いつまでも思考能力はつかない。

そして依存相手の家族をも自分が酷使して良い相手だと思い込む。

安心感を愛だと本人も勘違いしているのだから大変なのだが、愛ではないので、それはすぐさま怒りに変わる。簡単に怒りと理屈に変わる。

依存症の人のやっかいなところというのは、依存相手のことを段々なめてくるというところ。文字通り馬鹿にしている。

それが叶えられないと昔の家族のトラウマを持ち出したり、ある人は自分からわざわざ連絡をとる。

現実や現在に立ち向かわないで済むために心が病気だとかうつ病だとかいう方の多くが偽うつ病と言われている。

何故偽なのか?というと、そんなに長いことうつであり続けることが出来ないのが人間の脳だから。

入り浸られ、呼び続けられ、それでも一向に心満たされない人たちの姿がちらちら投影されてビビるタイプの人に、今でも相手の年齢いかんに関わらずお会いする。

しかも、その生き方でやって来た末の人生のエンドステージ寄りの年代の方だと余計にしんどい。こうなってしまうって言ったじゃん。

本当に欲しいものは仮病や言いわけじゃ手に入らないって言ったじゃん!と身近な人が嘆いているのでいたたまれない。嘆いているときにはもうかなり距離をおかれているからだ。

そんな光景を見ると胸がざわざわする。

けれども今は、その対処の仕方が分かるというだけ。

何故少しでも自分と向き合ってこなかったのか?チャンスは何度もあったじゃん!と思ってもその人にはその人なりの理由があることも知っているから。

ガラスの破片が無数に落ちている道を自ら選んでおいて他人に「私をおんぶして歩いて」と駄々をこねたり、他人の道が平らに見えるのをひがんだり、同伴者が居る人の事を妬んだり。

人は今を大切に生きないと一生変われない。

関わる多くの人の怪我にも気が付けない。それはとことん悲しいことだ。

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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。
posted by かおる at 06:00| Comment(0) | ヒューマン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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