2017年03月27日

こころ

幾度も項垂れて帰る人を見た。

そんなに項垂れるくらいなら、こうしたら良いのに、ああしたら良いのにとその度に思ったが。

心配無用らしい。

心配するのは投影であって、それが何の投影なのか?というと自分自身が項垂れて帰るという状況に弱いから。

妙にポジティブで強気になってからの数十年、素直に項垂れるということ自体をやっていないものだから、そうなったときの自分に対処出来ないのだろう。

だから、思い切り項垂れているのを観ると羨ましいし、強いなあとさえ思う。

よくそんな勇気があるなと。

寂しがり屋なのに孤独に強いって凄いな。

そして気が付けば絵でそれを見せられていることに気が付く。

人知れずではないから不思議だ。意識的なのか無意識的なのかは知らないけれど、私には人に項垂れているとこを見せる勇気や信頼もない。少なくともあの子ほどには。

喜怒哀楽は恥ずかしいことではなくむしろ必要で魅力的なものだと学んでいるつもりだったのだけど。そして充分心のままにそれを出して生きているつもりだったけれど。

そういう人に会うと自分がまだまだ不自然で素直じゃないということに気が付いた。

むき出しの心が出て来るとどうして良いのか分からなくなるからだろう。
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2017年03月05日

とりあえずは進んでみよう

打ちのめされたりやる気が出ないとき。

元気がないねとか疲れているねと言われるのが大嫌いな妙なタイプの負けず嫌い。

なので、ついつい困難に立ち向かっていく。

でもその困難が至るところにちりばめられていて、あっちもこっちもとなる場合がぐったり。

私よ、どこへ行った?

そう思う瞬間が何度も来る。

なのだけど色んな方法で立ち直っているようだ。

立ち直る回路は幾つあっても良いと思うのだけど、一つはある人々のことを思い出すこと。

腕組みをしつつ眉間にしわを寄せて考え込んでいたチェックのシャツの女性。

涙をポロポロ流しつつ幸せを探し求めていた女性。

そこに差し伸べられた暖かい手や。

時折それらの積み重ねが無に思えて来るような寂寥感に襲われることもあるのだけど、もう私はじたばたしない。

あの日出て来ていた幼い私は未だ幼いままかも知れないが少しづつ少しづづ育っていっているに違いない。
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2017年02月18日

ほんとは心配いらなかったことばかり

毎日同じことを思うのだけど、果たしてこの問題に答えが解けるのだろうか。

どんな物事も必ず着地点があったはず。

それならば、この四方八方行きどまりに見えるこの問題にも何かしらの終結が来るのだろうか?

全ての出来事が過ぎてみればたいしたことではなかったり、もうダメだと思っていたはずなのに、ちゃんと自分の人生が重なって、気が付けば「ああいうことを思っていたなあ。懐かしい。」と思えたり。

そんな日に来て欲しい半分、今のままの均衡を保ちたい気持ちも半分。

辛いけれど幸せだから。

どうかこの謎がハッピーに解けて行きますように。

一日を過ごすって謎解きをしているようなものだ。

多くの人が幸せなクイズを解いていけますように。
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2017年02月07日

分岐点

とある方の2時間カウンセリング。

少し間があいた。二か月ぶりくらいかな。

その間色んなことを乗り越えて来られていて、そのエピソードも壮絶ではあったのだけど、何よりも自分自身の傾向に着目していらして「心理学を学びたい。」と仰ったことに感銘を受ける。

次々と起こる出来事は時として自分自身のパターンを色濃く見せてくれる。人と出会うときも同様に。

問題はどんなことが起こったのかというよりも自分がその時心身ともにどんな状況になってどんなパターンが出て来たのか?というところ。

それは新しい出発点、もう出発点まで来たのだから、チャンスとも言えるではないだろうか。

しかし、チャンスを逃して飽き飽きとしている古いパターンをもう少し気が済むまで続けてみるという自由もある。

いずれにしても、答えはもう見えているのだけど。
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2017年01月07日

切磋琢磨・・そして、寝る

ホームにて高齢のスタッフや高齢の利用者様に「今年もよろしくお願いします。」とか「あけましておめでとうございます。」とか言っていると、難聴の方が「え?何?」と何度も聴き返して来ることが多々あり。

仕方がないので「あけまして!」とか「おめでとうございます!」となるべく短文にして声を張っていると。

またしても「え?」。

お、おめでとうございます。

すると「ありがとうございます!」と返って来た。

・・・・・・・・。

まあ、いいですよ。だいたい、合ってる。だいたいそんな感じ。

*********

やりたいこと、学びたいことには必ず引き換え条件みたいなものがつくもので。

まあ、他の病院に行って利用者様のためのやり取りをすると理不尽なことが多くてかっかっ(怒)してしまうことが多い。

どこに居てもそうだったのだけど、いつも傍らに「わー、やってられない。もう辞めよう。」と言う人がいるのだけど、ある程度何かを長く続けたことがあると、法則を学んでしまっているので自分はすぐにはそう思わない。

出来ることを納得できるまでやってみてからでないとそれは出来ない。

それはやっぱり、人生には法則があって、欲しいものを得るには、欲しいものだけを「頂戴よ。」と言って去るだけってのは通用しないということ。

かと言って、すぐに辞めると言う人の気持ちも真実である。今のその人の真実なのだから。

例えば長くそこに居る人が「どこに行ったって同じだよね。」と言うけれど、まあ、そちらも真実。

でも、それを自分で体験して色んな場所で色んなものを沢山見てからでないと納得できないのが人だから、辞めて行くのも全うな人。

問題は続けるとか辞めるとかの行為そのものじゃなくて、自分の中の意味なんだよね。

*******

介護職の子に「え?子供居るんですか?」と訊かれて「いるよ。」と答える。

丁度下の娘とあなたが同じ年なんですよと。

すると「えー、何、それ。がっかりだなあ。何てこった。残念だ。」と言われた。

こっちが何それ?って言いたいわ。人の存在をがっかりだとか、残念だとか。

でも、若い人の正直さに爆笑してしまう。

老いも若きも色んな人がいるのだけど、今時の若い人たちの中に正直さと堅実さを兼ね備えた人材をよく見かける。

物凄く仕事出来るし、何とも言えない素晴らしいコミュニケーション能力を持って明るい。考えがしっかりしているけれど、ちっとも重くないし押し付けない。

素晴らしいことだなあと思う。

*******

家に帰ると正月仕事が休みだった上に三連休に突入する娘が転職先を探している。

彼女が経験した仕事というのがマッサージ、その次もマッサージ、そして美容部員、その次は他のメーカーの美容部員、その次が宝石店、その後は事務職。

どこも年単位で勤めてはいるし、職種を変えるものの、どれも自分が興味があるもので今でも好きな分野のことばかり。

転職したての頃は「今のところ、いいわ。」とか「身体が楽だわ。」とか「面白いと思える。」とプラスの感想を持つのだが、何年か経つと「なんか、本当にやりたいことじゃないんだよな。」と次の職を探している。

ご飯を食べつつ色々話していると、これまでの歴史ややってみた仕事の背景から言って、いちおう色んなことが出来るのだけど、出来るとうこととやりたいということは違うのかも知れないねという感想を持つ。

「そうなんだよねえ。特に事務は合わないかも知れない。」

そうみたいだね。出来てしまうんだけど、しばらくすると心が死んでいるみたいだね。(笑)

りーちゃんはさ、やっぱり人前に出る仕事が向いているみたいだね。人に喜ばれたり褒められたリして力を貰って行くみたいだし。

「なんか、相談した人たち皆に言われるんだよね。」

そう、あなたと母は違う人。

母は誰かに褒められても「そうけ?でも、それ真実じゃないっすよ。」と客観的に見てしまう。しかし、自分だけが良いという結果でも満足できない。長期的に見てその仕事が相手に及ぼす影響を考えるし、体験上、ある程度見えてしまうからその場しのぎの結果では満足できない。

逆に褒めらなくても、もっと言えば嫌われても、長期的に良い方向に流れるという未来が見えていれば満足する。いや、しないか。その先を考えるmoreの連続。

そして君は、人の笑顔が好きというところまでは同じなのだけど、ハッキリとした手ごたえや反応が欲しいと思うタイプ。

いずれにせよ、それを求める人がその人の元にやって来る。あるいはこちらが行くべきところへ行く流れになる。

それにしても、人にあまり会いたくないと願う私が滅茶苦茶色んな人々と接する流れになって、人に会いたいし人の評価が気になるあなたが、何故だか一人残された職場でコツコツと事務仕事をしているなんて。

神様はどうしても苦手なところを鍛えたいらしい。

それはさておき、我が家の若者も面白い。

年代の違いや、性別の違いや、環境や価値観の違いや。

柔軟な人に限るけれど、その違いが面白い。

とてもとても若い頃、他者と自分の違いにこだわったり、変な意味での比較をしすぎたり、同じ人を探そうとする幼さを持っていた。

その頃、怖がりなものだから、たった一人の人間で全てを満たして貰おうと完璧さを強いたり、時には全員に分かって貰おうとして相手の気持ちや都合を考えられずにいた。

そんな幼稚な私を色んな人が育ててくれた。

嫌いだった人から好きだった人に至るまで、全ての人が教えてくれた。

だから今、違いを大切にしてワクワクに変わって行く。

ビックリすることの連続だけど、立ち止まったり叫んだり、寝転がったり走ったり。また休んだり。

そうしているうちにいつの間にか周りも笑っているみたい。
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2016年12月19日

気が済むまで の自由

人間関係というのは一人では築けない。全て相手や周囲があってこそ発生する。

そして人はそういった交流によるキャッチボールなしでは生きていけない。どんなに素晴らしい人でも一人の頭には決まった癖や法則があり、同じところをグルグルと回るばかりだから。

けれども、いくら大勢の人々のキャッチボールのボールを求めても求めても、受け止めなければ一人のときと同じ。もしくは一人のときよりも事態が悪くなるかも知れない。

そんな法則を知っているせいか余計に焦ってストロークを求めるのかも知れない。あるいは求めるか与えるしかないと思っている。

そんな人々は”みんな”が好き。

例え一人の対象とのキャッチボールを自分の気分でおろそかにしても他の誰かがいると思っているから。

もしくは、永遠に自分に何かをくれる誰かを探している。

でも、あまりに大勢の人がそれをやっているとしたら、その誰かってのは永遠に存在しない。

一つのコミュニティのメンバーが尽きて他のコミュニティを探したり、もっと小さな規模だと絶対的に依存できる誰かをふらふらと探して歩いたり。あるいは自分の思い通りにならない対象におかど違いな怒りを膨らませたり。

それをあたかも何か努力して敗れたかのように思って悲劇のヒロインになっている。

下手するとそれは生涯続く。50になっても60になっても70になっても「職場に尊敬できる人がいない。目指したい人がいない。」とか「誰も私をわかってくれない。」と言い続けることになる。

自分自身は他者を尊敬しようとも自分の中に尊敬できる部分を見いだせないし、誰のこともわかろうとしない。いくつになっても。

その人々は愛することをさぼり過ぎた。

自称真面目だという人も、愛することに関してだらしない。依存関係から来る一時的な安心と愛情とを勘違いしたまま大人になれない。

自分を大切にできないから他人の真似をして演じ続けている。人に見せるための人生を。

心理学的に言ってもペルソナ(仮面)という概念は必要だと言われるけれど、せめて私は自分の好きなことをそんなことのために使いたくないなーと思う。

それを続けていると常にどう思われるか?どう見られているか?の狭間で、本当に自分が好きなことが分からなくなるからだ。喜びのない人生になる。

それに気が付いた人たちが、後味の悪い交流のゲームやサバイバルを手放すのだけど、よく耳にするのが「なんだか寂しいなあ。」ということ。

そりゃあそうなんだよね。後味が悪いけれど、ゲームという戦争の変な興奮で隙間を埋めて来たのだから。

他人と自分とを引き比べて来た人は、そんな気がない人にも勝手なライバル意識を持つし、勝手に自分が優れているところを探して安心したり見下したり。

でも、そういうのはもう幼過ぎて付き合い切れないなあと思う人は「ああ、どうぞどうぞ。」と関わりをそらす。後で何と言われようとそこに費やす時間とエネルギーと後に残った馬鹿馬鹿しさを知っているから。

それでも、人は自由に自分の人生を構成出来るので、耐えられないほど寂しいのだと勘違いしたのなら、いくらでも同じことをして確認することが出来る。

争ったり支配したり、依存相手に口やかましく言われて「ああ、私が依存するから言われる隙を作っているんだ。」と気が付いても、また寂しいと思って依存して結果を再確認したり。
まあ、時間には限りがあってそうしているうちに歳をとるわけだけど。

もっとも支配的な人は依存的でもあり、依存的な人は支配的でもあるのでどっちもどっちなのだけど。

何が一番寂しいことなのか?ということが分かる頃。それは、自分だけでなく他者もまた怖がったり傷ついたり、でも勇気を出したりして一生懸命生きているのだと知る時代なのだろう。

誰かの人生も自分の人生も等しく大切でかけがえのないものだと本当の意味で感じられる覚醒の時代だろう。

汚れたフィルターが取れた後の世界の美しさ。人の面白さ。

その前の段階でいくつも勘違いをするけれど。

例えば、依存しないということは人に頼らないということだと思う勘違いや、依存しないということは人の話を聴かないことだという勘違いとか。

そんなふうな色んなプロセスを経て人は学んで行くのだけど、あくまでそれは進もう、成長しようと思った人の話だった。

権威を探して依存しようとする人、権威になって人を支配しようとする依存。結局極端な依存傾向になる人の特徴ってのは、自分を面倒臭がるところ。

しかも、自分ですら面倒くさいと思う自分を誰かに「どうにかしてよ。」というメッセージを送り続けるところかも知れない。

肝心の自分が面倒臭いと思うなら他人はもっと面倒臭いよね。誰だって色んなことを乗り越えて一生懸命生きているのだから。

不思議なことって、カウンセリングって、そういう真の怠け者には続けられないように出来ている。何せ基本は自分との付き合いだから。
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2016年10月31日

一人で全方位見る必要はないが

心理学を学ぶずっと以前から感情というものについてずっと考えている。

それは考えなければ生き延びられなかったかも知れない生い立ちだったかも知れないが、仮にそうでない人生を歩んでいたとしても、自ずと注目していただろうなとは思う。

要するに興味があるのだ。

感情的になる大人の論理性が崩れて矛盾だらけになる瞬間を観ては子供の頃から「え?おかしくね?」と勘づいていたし、どうしてああなると分かっているのにこんなことを言ったりしたりするのだろう?と思い切り迷惑をかけられながらも俯瞰で見ていた。感じていた。そりゃ大人にとって可愛くないわな。でも、そう考えていることを本能的に全く外に出さないで来ていたようだ。

平気で嘘と分かる嘘をついたり力でねじ伏せようとしたり思い通りにらないと怒って怒号したり嫌がらせをしたり。

そして自分がしたことの結果が返って来ているだけなのに悲劇のヒロインになってしまう様を観て「いや・・、そりゃ嫌われるだろうよ。」と当然のことを受容しない人という生き物を不思議に思っていた。

後に、「ああ、そうなんだ。」と思ったのは、他人や世の中をあくまで馬鹿だと思いたい大人も存在するのだなということ。それは年齢に区分されたことではないが。

でも、他人も世の中も馬鹿じゃないので、段々無理が出て来る。その無理が出て来るとさらなる意地で同じやり方を続けようとするから周りから見てあきらかに妙なことになってしまう。

その無理(自分は努力しなくともどこか特別で他人や世の中が認めないのは周りが馬鹿だから、分かってくれていないからという無理)を押し通そうとするためだったら、人の気持ちも立場も無視するし病気にすらなる。延々としゃべり続けて人の言葉には耳を塞ぐ。喋らせないで聴かせる方法だけをネガティブな方法で編み出す。

その始まりがあって他人に冷たくされているのに、自分が冷たくしたことなどは忘れてしまうのよね。すっかり割愛されて被害者ぶってしまわれている。人に話すときも後半からしか話さない。

これは何だろうなーと子供時代には分かるはずもなかったが、さらに後になって大人になると感情や行動が、ホルモンや神経伝達物質によって促されていることを知る。

ああ、なるほど。じゃあ、しょうがないね。終わり・・・。

と、なるわけがない。

何故ならホルモンの作用ですら個人の考え方や受け止め方で大きく変わってしまうということも同時に観て来たから。

同じような境遇や体験をした人間でも、考え方や受け止め方、変換方法・価値観で人生が大きく変わる。

原因がないと論じる人も居るうつ病ですら、あきらかに思考回路が影響している。病気に原因はないし遺伝的なものも絡むので個人の力ではどうしようもないようなことも確かにあるが、同時に同じくらいの比率で、病を生み出しやすい思考回路というのも存在するのだと思う。

ただ、やり過ぎてうんと調子を崩してしまってからいきなり何かを変えようとしてはいけない。思い切り具合が悪くなれば脳だって臓器なのだから治療やお薬が必要になる。

あくまでそうなる前の予防策というのはあるということ。予防としてなら、あるいは調子が良いときなら、そうなりにく自分を作ることは普段から出来る。それをやらないで同じやり方で他人を変えようとしている限り、とことん同じ席に座り続けることになる。

他人も世の中も、はたまた自分ですらも、その思い込みのパズルにははまらない。形を無理やり変えられてしまいそうになるとき、ほとんどの人は痛みを感じて嫌がるからだ。

好きな生き方をするのはハッピー。個人の自由。

でも、他人にそれを強いるのは他人のアンハッピー。

あたりまえのことをあたりまえに思えないのは何故だろう。

でも、それが人間くささなのかも知れない。

そして私も昔よくそんな自分に出会って来た気がする。

そんな本当の自分をありのままに認めるとき、次の道が伸びる。

それはそれなりにドキドキするし、やれやれ、また歩かないといけないのかとたまに面倒にはなるものの、袋小路の壁を見つめているいるよりは、遥かに呼吸が楽な生き方だなと思う今日この頃。
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2016年10月07日

イミテーションを捨てたとき、そこに残るもの

もう何年も前から玄関先に置いている植物。

最初は小さかったのに成長し放題。

名前を知らないというのはまた別の楽しみがある。人間関係と似ていて、その人のことを調べたり知った気にならないという点で。IMG_1196.JPG

どういう楽しみがあるのか?というと、ある年、「へー、成木になると紅葉する種類の木だったんだー。へー、こんなに大きく広がるんだー。」と思うことがあったり。

そして今年はまた面白かった。

なんだー、凄いねー、実をつける木だったんだね。

初めて実を観たよーとか。

雨や台風の日も雪の日にも耐え忍んで、ある年実wをつけるんだね。

その実がとても可愛らしく見えた。IMG_1197.JPG

**************

夕方の教育分析にいらして下さった方が自己への気づきと対策を自分なりに考えていたり、遠い昔、忘れていた頃の自分が憧れていた人物のことを思い出したというエピソード。

そこに自分がある。

何かに魅力を感じるというのは紛れもなく自分の感性。

逆にこうしなければならないという思いやルールは自分以外の誰に植え付けられていたもの。

「こういうふうにすれば私、あんなことをしないですむかなあ?」と自分で考えている人が既に自律的で美しいと思った。

しかも、帰り際、もう遅い時間だというのに、例の神業技術で足つぼをやって下さった。

満身創痍で働いていて忙しくて、それ故にかかとがガサガサで、ペディキュアもガビガビになっている私の足。

それが恥ずかしくて今日は良いですよと訳を話したのだけど、ほんの少し押し問答をした果てにそのまんまの私の足を解毒してくれた。

とても眠くなり癒された、まあ、いつものことだけど。

そして施術してくれた彼女が「こっちまですっきりした。」と仰る。

その素晴らしい感性は誰に教わったものでもないよね。影響じゃない。紛れもなくあなた自身で居るときの感性。

*********

すれ違うことが出来たら互いに喜んでもらえたと思うのだけど、その一時間前に遠方から教育分析にお越し下さった方がいた。

でも、また会えるから良いよね。繋がっているから。

こちらの彼女は、人生での学びを生かしていた。

人間は孤独に陥ると相手を無理やり良く見たくなるもの。

けれども今の彼女は昔とは違う。

「あら、これは・・・」と本質を見抜く力があるし、自分にとって何が正しいかを知っている人になった。

つまりは生まれながらの誇りを取り戻した状態。

客観性や自由さがぐんと伸びてますます綺麗になった彼女はまぶしい。

生まれながらの王国を持った女王の誇りを思い出す。

それは高飛車になるということじゃない。時に愛のために冷静になれるという賢さを得た人のお姿だった。
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2016年09月17日

人という光彩

先日、とある講座が終わった後、Bちゃんとお薦め動画を観ていた。

ゲラゲラ笑っていたのだけど、実は、Bちゃん、この動画の主人公に負けないくらい面白いの。

その面白さの分け目はどこから出てくるのか?と言うと、まあ、もとい、分け目などなくとも最初からユニークだったのだが、しいて言うなら自己一致に拍車がかかった時代あたりからかな。

*******

そして間は空いてはいるものの、4〜5年くらいの間に夫と飲んでいると、時々偶然会うSたんという青年のことを思い出した。

私よりもずっと多く飲み歩く時代の夫が先に彼と知り合いになった。とあるお店の店員さんだった。

息子が居ないせいなのか、当時大学生だったその子のことをとても可愛がっていた。

実家が東京に近い地方にあって、卒業後はそちらで美術の教師になるというオファーが確実にあったので、ある年「あーあ、来年はSたん、あっちに帰ってしまうんだね。寂しいね。」と皆で言っていたのだけど。

蓋を開けてみれば、彼はこちらの普通の企業に就職。

「この街で飲んで行くために近所に就職しました。」という言葉に爆笑した。この街でやっていくためにとか、生きていくためにとかじゃなくて飲んで行くためにだったから。

で、その子がとにかく面白い。うるさいタイプではない。笑いのセンスがあるというのか、なんだか、存在するだけで場が笑いの渦になる。

しかも、凄く面白い顔をするので「Sたん!顔芸止めて!お腹痛い!」と笑いながら懇願したことすらある。

で、お酒の席の面白いところと言うのは、人の素が出るところ。

記憶に残らないくらい酔うと「実は俺、暗いやつなんですよ。努力して明るくしてるんですよねー。でも、幸せだなあ。みんなこうしてかまってくれるし、優しい言葉かけてくれるし。尾崎さんなんて、学生の頃からよく誘ってくれたもんなあ。ああ、暗いやつなのになあ。頑張って来て良かったなあ。」と真顔で言うのだ。(酔いが醒めたら覚えていないだろうけど。)

そういう本音を言うところが可愛い息子のように思えるし、結局皆、ますます、彼を好きになる。

で、夫がSたんと同じくらい好きな青年にM坊さんという人が居るのだが、私はこの子のファンである。で、この子にも「顔芸止めて。」と言ったのだけど「これ、芸じゃないんですよ。こういう顔なんですよ。」と言われてハッとする。でも、爆笑。

この物凄く優しい喋り方をする、これまた誰からも好かれる青年が、親友のTちゃんマスター曰く一番喧嘩っぱやいそうで、なるほど、近年、Tちゃんともめている際に「あ、ほんとに人が変わるんだ。」と分かった。

でも、彼もまた酔いが回ると「僕はいけないんですかね。やっぱり。」と反省しだす。「何か人と違うんですよね、きっと。」と真面目に言いだすので、そういうところがまた可愛い。

******

一方で、外に出て看護の世界に戻っても「あ、このくそ婆ぁ。」と思うことがあるのだけど、段々その人が好きになって来る。(まあ、自分もくそ婆ぁだしな。)

良いところが見えて来て、本当に一生懸命生きている、一人残らず・・・・ということを感じるから。

怒ったり笑ったり。

私は多分、光も影も持った人が好きなのだろう。決して光自慢、不幸自慢する人たちのことじゃなくて。

自分の光も影も受け入れた人のそれは、光の瞬間も影の瞬間もなんだか美しくかっこいいから。
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2016年08月19日

我のみぞ知る

今日、クライアントさんのエピソードの中に某アイドルグループの解散の話題が出た。

私は忙しさにかまけて詳しいニュースは観ていない。報道も聴いていない。

例えそういったものに触れたとしても事実とは限らないだろうし。何せ当人たちにしか分からないことが沢山あるだろう。

それはさておき、「まあ、それはそれで悲しいんだけど、ある記事を読んでおもしろいなあ、なんか、おかしいなあと思ったんです。」と言って話して下さったことが「メンバーのだ○○くんがカウンセラーがつくほど精神状態が不安定なんで報道をマイルドにして下さいと事務所側が言っているんですって。」

・・・・・・。どの辺が面白いんですか?

「いや、あははとか笑う類のその面白いじゃなくて、変なこと言ってるなあーと思って。」

そう言われてやっとピンと来た。

そうかそうか、カウンセラーがつくとか、カウンセリングを受ける人というのはおかしい人、不安定な人というイメージがまだまだ世の中に蔓延している点について仰っているのか。

この方も数年単位に渡って自分見つめにカウンセリングを使っていらっしゃるのでそういう視点で観れるのだろう。

カウンセリングは受けるものではなくて、やるものなんだよね。

そして、欧米の某国のようにカウンセラーがついていてあたりまえという文化が無いこの国ではまだまだカウンセリングに関わる人がおかしいとか変な人というイメージが定着しているんだ。だいぶん良い方向に変わって来たと思う昨今なんだけど、仕方ないか。

むしろ、使っていない人の方が不安定だったり偏ったり「え?何、それ。」と思われる人が多いと思うのだけど、何せ自分を観ないのだから気が付かないし、自分が期待する反応を相手が見せないことに”なんでだろう?なんでだろう?”と思っていたりする。そういう悲劇のヒロインをやるのが無意識的に好きな脚本なのだから仕方ないのだけど。

なんでだろう?って言いつつ考えていないし、友人や親兄弟、配偶者やパートナーに相談することがカウンセリングと似たようなことだと思っているもんだから、思い通りにならなくて怒りを爆発させたり傷ついたと号泣したりしてしまう。

カウンセリングは、気持ちを扱う作業だから時間がかかるのだけど、同時にロジカルさも求められるなあと思う。

カウンセリングを使う人が情緒不安定というわけではない。使っていない人の方にこそどの数は多いだろう。

はたまたカウンセラー喜怒哀楽や傷つく心がないわけじゃない。完璧に癒されている人ならば、むしろできない作業かも知れない。相手の話を過去のものとしてしか聴けないだろうから。

それでもやっぱり、自分は悟った人間、優しい人間、良い人と思われたいという心理が、もっと癒されていない歪んだ自分に拍車をかけてしまう。

某グループのことは知らない。

けれども、もしもその報道が本当で、その方がこの時期に情緒不安定になっているのだとしたら、それはそれで健全な反応だろう。

むしろ、それを公表してしまう側の人々の策略さ加減の方に狂気を感じてしまう。

そういう意味?と訊くと、この話をしてくれた方がニコニコ笑って「あ、そうそう。そういう感じのこと。」と言った。

カードには表と裏があり、人には闇と光の両方がある。

どちらか一方だけに注目するとそれはそれでおかしなことになる。
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2016年08月08日

星と星、そして星の中の星

年々色々な方々にお会いしていると、偶然にもクライアントさん同士が知り合いだったり、知り合いどころか相当親しい間柄だったなんてことがある。

さすがにオーストラリア在住でしかも同じ街にお住まいだったというケースにはびっくりしたのだけど、国内でも全然違う地域同士で、まったく繋がりがないと思っていた方々が友達だったという時にも軽くびっくりする。

ご紹介ならばともかく、互いに同じ場所へ通っていたということすら知らなかったというエピソードが時々飛び出すので、縁って面白いなーとつくづく思う。

「思い切ってこの悩みを話してみたら、彼女がかおるさんとそっくりなことを言うので”実はこういう場所のこういう人のところでカウンセリングしているんだけど、その人もそういう表現を使っていたんだよ。”って打ち明けたら判明したんですよ。もうびっくりで。」

その後お二方は前々から親しい間柄であったものの、これは話せないなーと思っていたことまで飽くことなく自由に話せるようになったのだとか。

それはともかく、先日誰かが昔に言った”孤独は哲学者を作る”という言葉を思い出していたのだけど、若干ニュアンスを訂正。

家族がいようがいまいが、既婚者だろうが未婚者だろうが、人間は皆独りであり、同時に皆独りじゃない。

誰もが誰かと繋がっていて高め合っていくことはあるけれど、もたれかかる相手やもたれかかってくれる相手を探している人の孤独は少し貧しい孤独だと感じる。あるいは自分の妄想ロマンスに家族や他人を無理やりあてはめようとか、その世界に閉じ込めようとする人の孤独も貧しい。第一閉じ込められようとする方は自分の形を切り取ったり圧縮したりしようとするから痛いし苦しい。

ではその世界が広い箱なら良いのか?と言えばそれはあり得ない。何故ならその手の貧しい孤独を抱えた人の世界はまず間違いなく狭いから。逆に言えば自分にとって便利な人しか探していないから。だから人が遠ざかり余計に孤独になるのか。

人は環境に関わらず皆独りだし自分の幸せや自分の欲するものとは自分一人で向き合うしかない。それを意識的にせよ無意識にせよ、やって来た人でなければ自分も他人も大切には出来ない。

それで、ああ、そうかと思う。正しくは”豊かな孤独は哲学者を作る。”なのかも知れない。

独りの時間を楽しく過ごしている人ほど誰かと自分を引き比べたり恨んだりねたんだりすることが皆無だから。

それを思うと豊かな哲学者の方々に出会わせていただけて本当に幸せだなと思う。

先述したお二方が知り合いだと知って後、”ああ、そういえば二人とも心豊かな方々だな。類友とはよく言ったものだな。”と気が付いたからか、そんなことを思った。

はたまた、そのうちのお一方が事務所に置いてあるデイリーガイダンスを開いて、「ああ、オラクルカードの本バージョンって感じですね。」と仰った。

そうですね。不思議と同じページを開いたり、開かないページは絶対開かないとか不思議なところも。

その話の流れで「私、カードを習っていたから何年か前に彼女のことを占って引いたカードをあげたんですよ。」と仰る。「多分その時には彼女もここに来ていたと思うんだけど。”自分のカードは自分でひく”って突っ返されてびっくりした。」と言うエピソードも聞けて二人で大笑いした。

「あと、とある友達が夢を叶えて羨ましいなあー、私もああなりたいなーと思った時期でもあったので、そのことを話したときにも”彼女は何もしないで夢が叶ったわけじゃないよ。多分、皆そうだと思う。”って言われてなるほどなーと思ったり。」

不思議なことにもうお一方もこの方と似たようなエピソードを話して下さっていた。

急にじゃなくても良いけど、出来ることを一つ一つコツコツとやって行くことで、なんだか大きな山が二つになったかのよう。違う県にそれぞれ住んでいても高くなって互いに微笑みあっているかのような光景が浮かんだ。もちろん喧嘩することもあるみたいだけど。(笑)

********

時が流れていく。人も変容していく。全ては自然なことなのだろう。停滞するため、変わらないための理屈や文句を並べるために使うエネルギーを捨て去ると、自由に泳いだり羽ばたいたり光っている命が沢山見える。

夜の町の風景をベランダから眺めつつ一服していたら、その窓の一つ一つがかすんで大きな星が沢山あるように見えた。
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2016年08月05日

息吹

毎日好き勝手なことをつぶやいている喋りたがりの私のこのブログ。

以前、同じくブログをやっている知人に「長いよ。」とか「意味がわかんないだよ。」とよく言われていたし、多分今もそう思われている。

でも、その知人さんたちはお付き合いでブログ周りをしている人だったり、はたまた尋常じゃない感情を持って読んでいる方々だったので「あ、大丈夫。無理して読まないでね。」とやんわり制した。

でもえらく短い日に、とある方が「ねえ、今朝のブログ、途中で終わってたみたいですよ。」と言われたときには面白かった。

え?そう?と最初にびっくりした理由としては時々、ログが飛んでいたり、表示されていなかったりすることがあるからだった。でも、直接セッション中に言って下さったのでその場でざざっと読むと「あ、大丈夫。これ、途中じゃないの。全部。」とお伝えすることが出来た。

気ままで勝手なものだから、起承転結なんて無いもんでそう思われても仕方ない。でも、へー、長く書いても嫌じゃない人もいるんだー。個人的に興味のあるコアなこともこの方は読んでくださるんだなーとちょっと嬉しくなった。

**********

さらに明日来訪する予定だった方からのメールを読んでちょいと感動。キャンセルはキャンセルなのだけど、どうしても出社しなきゃならなくて、「かおるさんにレイキかけてあげたかったのに。」と書かれてあったから。

ご自身も心身共に色んなことがあって疲れているでしょうに。

そして、大抵の人は自道にセッションやら授業やらを継続していると、必ず変容するというか化ける、もとい、戻る。とてもその人らしくなる。

この方はその中でも出会い立ての頃を思い出すと最も良い意味で変容して行かれた方だった。

不本意ながら私が好きな方法で修行していたり、キャパ不足だったりするのでお会いできない方が沢山いらっしゃる。タイミングってものもある。

でも、何故だか、とても心から信頼できる。そりゃ会えるにこしたことはないのだけど、会わない間も信頼できることの喜びを感じさせてくれる優しい戦士の皆さんに感謝したいなあ・・・と思いつつ、今日も私は色んな形で修行をする。楽しむことを忘れずに。IMG_1129.JPG

人ってさ。

自分を知った後には、どこからでも芽を出しても良いんだと無意識に気が付く生き物。

あるいは、もうダメだーと過去にとらわれそうになった時にも、ふと気が付けば、「あれ、こんなところからも知らず知らずに枝が生えて来た。」という現象を起こす生き物。

それはとても自然なことだと思う。
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2016年07月25日

感情は素直 生きるは礼節で

カウンセリングの件数が多くなって来ると、一人一人の異なる人生に感銘を受けることがある。

しかし、どれと同時にまったく同じセリフや同じようなエピソード、そして同じタイプの方が訪れるということもある。

後者の場合でも決して決めつけずに最後までセオリーに乗っ取って傾聴するのだけど、結局最後まで聴いても寸分たがわないケースに遭遇するということ。

比率としては絶対的に男性のクライアントさんに多い。彼女や奥さんが居るのに他の女性に告白されて悩んでいるとか、はたまた独身の人でも複数に告白されたというエピソード。

で、そこまでは何の問題はないのだけど、個人としてはその出来事に対して何をどう悩んでいるのか?ということと、それを話す目的は何か?ということ。

その人だけの感情や気持ちが一つの出来事から悩みを作るわけだから、充分に出来事を聴いた後はそちらを訊いてみるのだけど、終始ニヤニヤしている人がいたり、あるいは「だから!僕はもてないわけじゃないんですよ!」と突然切れる人がいたりもする。

どちらかというと、個人的には人を好きになるとか好かれたということ自体にはさほど一喜一憂しない。色んな愛があると思うから。

でも彼らが興奮して主題にするのは決まってエロスだけなんだよなあ。

でも、自分には価値があるんだ、わかってくれというのを説明するための材料が彼らにとっては人に好かれているんだぞということなのだと思う。

なので、目的が違うし悩んでもいないので、主張をするタイプのエピソードだったり称賛されたいだけだったりするのが、いくら長時間聴いても変化しない。

もしも悩むとしても「どちらとくっついた方が得かな?良く見られるかな?」とか、あるいは「どうしたら両方と関係を保てるでしょう?」とか、もっとひどいと、さらに人数を増やしてもてるには?という話に流れて行ってしまう。

そこのところは、何故そうしたいの?ということで根本的には自分見つめに持っていく手法に変わりはない部分もあるのだけど、人生や生き方や仕事や幸せに生きることをテーマにやって来る人々と比べると、あまり得意じゃないなあ。

何故なら、人を愛せないし愛そうともしない人、その上で人から何かを貰おうとしてばかりの人には本当の豊かさや幸せが来ないから。

数は少ないけれど女性にもいらっしゃる。「告白されたの。旦那がいるのにどうしよう。」とウキウキして果てはピロトークまでのエピソードを話していらっしゃる場合、20代30代だったら可愛いかも知れない。もしかしたらだけど。

でも、もしもそれがプライベートの友達だったら「で?」となる。

ある昔の知り合いは「喘息があるから怖いんだよ!一人で居るのは!だから若い頃から複数恋人がいないとダメなんだよ。生きるためだよ!」と逆切れしていた人もいた。齢50代だったけど考えてみれば20代くらいから同じことを言っていたので、はなから自分の面倒を観させる相手(親代わりのようなもの)を探していたのだろうなと思う。

プライベートの場合、何故、『で?』と訊くのは、自分の気持ちはどうなの?ということが聴きたいからなのだけど、実はその人たちにはそんなことはどうでもよくて、とにかく恋に恋をしているか、誰かにパートナーが居ることを示したいか、あるいは依存したいかとか、その辺の理由なので、「????」となっていらっしゃる。

人を愛しる喜び、人に何かしたくなる喜び。(頼まれてもいないおせっかいじゃなくてね。)

それを知らない人の場合は多分、愛されていたとしてもその意味や価値が分からないのかも知れない。

一方で、本当に好きなのだなあ〜ということが伝わって来る感情中心の話だと、自然にそれが伝わって来て応援したくなるのも事実。

『同じじゃねーかよ!やってることは!』と言われたこともあるのだけど、全然違うんだな、これが。

自分と人を愛そうとしているの物語はいくらでも耳が開くが、愛を貰うことばかりを求めたまま年を重ねて良い大人の年齢になった人の話は、少々苦手であったりする。

自分が何が好きで何が嫌いかすら分からない人はまずカウンセリングに来ることは少ないけれど、稀に近しい人にそんな話をされると、やっぱり『で?』となるのも、それが私だから。

中には生育環境故にそんな時期が来るのが少々遅かっただけの方もいらっしゃるのだけど、チューボーの頃からずっと変わらない恋愛観を持ってニヤニヤしている40代50代はつまらないなーと正直に感じるのも私でもある。

感じるものは仕方ない。
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2016年07月04日

世の中は愛する人々と生きるだけで忙しい

どんだけ蒸し蒸しするんですかと思った昼間だったけど、夜事務所を出て外気に触れたときにもびっくりした。

もはや蒸し蒸しというより、空気が重たい。

にも関わらず今日もこの狭い事務所に大切なことをお話に来て下さる依頼人様。

炎天下まっさかりの時間帯にいらして下さった方の日に灼けた肌。元気な主婦の先輩。

そして頑張り屋さんの若い方。

さらに言うと教育分析にいらして下さった基礎カウンセラーさんはここのところ高熱が出ていたとのことで。

こういうのも知らない人にとっては変な会話だったけど「そうかあ、退職できたか。おめでとう!」というような話になる。

大抵自分が変わると次の展望が見えだすのが常で心理の学生さんでも一般のクライアントさんでもよく転職なさったりパートナー関係にある配偶者や友人関係にも変化が出る。

もう小さな頃の服は入らないのだ。

なのだけど、日本人にはまだまだ刷り込まれた常識感が強くて、ふと旅立ちの構想が浮かんだとき少なからずそんな自分に動揺する。

そして「せめて来年の春までやって辞めるか。」とか「ボーナス貰ってからにするか。」という人も多い。

確かに三か月前に言え神話は間違ってはいないのだけど、自分の心と体のことがその時点ではまだまだ認められていないケースもある。

それを聴く度に「そうなったらもう行くの嫌だよね。」と思うのだが、本人が決めることなのでそこはどんとたっちみぃー!なんだよね。私が決めてどうするってことで。

でもね。

英語と日本語が違うように同じ日本人間でも、それぞれ、人の数だけ言語があるの。価値観も違えば美学も違う。

ましてや全く何も通じないとなったら、もうそこは異国なのだ。

頑張り屋さんはなかなかそこが認められなくて寝込むに至る。

でもそれを繰り返すうちに自分の世界を生きる素晴らしさと喜びを知る。

超えたねー、凄いねーとほめたくなるのは私くらいなものかも知れないけれど。

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偶然だけど、先日また新しい施設に出向いた。派遣さんが紹介してくれたところは遠いよ!と思うようなとんでもない場所にあったのだが、前回「そっか。尾崎さんは近いってだけじゃダメなんですね。失礼しました。」と言って再び面接に連れて行かれたのだ。

するとそこで新しい出会いがあった。

何と私より年上のバリバリベテランナースが私がかつていた施設の名前を出して来るじゃないっすか。ずいぶん離れたところなのに。

その方はどう見ても気丈な方だったが、一か月ほど居るだけで出勤前に嘔気と下痢が止まらなくなったり、電車に飛び込みたくなるという症状まで出たという。

実は私もそこにほんの4〜5日出勤したんですよ。でも、ほとんど一日目でいろんな食い違いが分かったので具合悪くなる前に去りましたわ。とされたことを話したら「わかるー!私だけじゃなかったんだ。いやあ、私も早期に自分の状態分かっていればよかったな。ここに来て2か月でやっと笑えるようになったのよね。」。

ええ、だって言語が違う、話が通じない、美学も向上心も価値観も違うんじゃねえ。そこはもう外国ですよ。しかも延々と内線が繰り広げられているかのようなね。

すると65歳のベテランの長ナースがくるりと振り返って軽く言うことには「夢だと思いなさい。」と。

この世界ほどばらつきのある世界があるか?ってのが今の介護の現状だから。

恨むのも違う。ただ違ったんだと思うこと、そして反省する必要ない。自分見つめと反省は違う。合う人間、合わない人間、合う職場、合わない職場があるんだから仕方ない。

特に反省して成長することなんてないよと、だいたいこういったことをものすごくライトに話してくれたので二人で笑ってもうた。

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体験を得てトラウマは捨てる。

ちょいと遠いけどここ来て良かったなあと思った。

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心配なのは体調崩したお方。

自分を大切にするということは難しい。


でも、再び新しいコツを得たり、自分の幸せが何たるか?とさらに深く知っていく。

私はそういう生き方をしている方々とは言語や世界観が合うし、心から応援したくなる。
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2016年07月03日

それが意味あることなら、どこまでもチャレンジはしてみるが

昔ながらのクライアントさんに問われた予約状況。

それはことごとく埋まっていてうまくいかない。

「そんなこと言ったって夜は空いてるんでしょうよ。入れてよ、ケチ。」と言われるのだが、あなたは知っているはず。

その昔は24時間体制でいつでも電話だろうが面談だろうが受けつつナースをやっていた時代を。

で、わが身のキャパを知ってからは、”これはもう早朝・深夜をカットするしかない。第一クォリティが下がってきているし、カウンセラー自体が自分を大事にできなきゃ本末転倒ってことで。

しかも、重ね重ね長い付き合いだから夜は家事があったり家の仕事ももろもろあることも知っているはず。

「分かってんだけどさ。私だけ特別にってわけにはいかないの。ケチ。」

いや、あなた、昔、自分のタイミングで抜き打ちで連絡してきて、そのあげく心の準備もできていない私にブチ切れた事件もあったじゃんよ。「あんたの生活なんてどうでも良いから私のこと考えて。ナースの仕事なんて早くやめてよ。」とか実に勝手なこと言って人の人生まで支配しようとしていたじゃんか。

ああいいの、もう嫌なのよね。

が、その傍らで思わんでもない。

あ、今日行こうと思って気軽に出来る状況が最も理想的なんだけどなーと逆の立場からだと思うのだ。

しかし、それが出来んジレンマ。

あるいは辛いときにすぐってのもほんとは理想的なんだけどなーーーーとか。

けれども思い直す。

衝動的にゴミ箱にするタイプの人ばかりになりそう。ええ、肝心の方々は逆に遠慮していたりとかして。

将来、そのジレンマは解決するかも知れない流れもあるだろう。

でも、今は諸事情察してくれませんか、チームで。

ああ、そうだった、そうだった。

一対一のリレーションやキャッチボールが成り立たない人には集団プレーは無理なのだった。

そんな日常生活やその人の性質がカウンセリングという現場で凝縮されて現れるのだった。

とりあえずは、申し訳ないことに今の形で行きます。ご不便かけますが、それでも利用してくださる方々に愛をこめて。
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2016年06月24日

人は一生成長する

唐突だけど。

2016年の春だったか。

始球式で村田兆治さんが投げた投球が当時のマサカリ投法スタイルのまま、131キロ。まあ、始球式って打ち返すもんじゃないけど、思わずバッターも本気で振っていたような。もちろん空振り。IMG_1048.JPG

ええ、空振りじゃないと困るイベントだけど、気迫と実力にびっくりしてフルスイングしちゃったんじゃないか?と思う。

10年ほど昔、立川に真冬になると屋台を夫婦で出すおでん屋さんがあって、そのおでん屋のおやじさんもファンだったのか。屋台の真上に白黒の写真が掲げられてた。
それを見ては「あれ、懐かしいね。」と言い合っていた。

1990年頃だったと思うけど、アラフォーでありながら史上二人目となる40歳代での二桁勝利を治めた。そしてその年に彼は引退し、そして大きな影響力があったのだろう、この引退により60年代に入団した選手は全員引退したという。

あんなに充分現役でやっていけそうな人が退くのだもの、そりゃ考えたんだろうなあ。

で、時代は流れて、先述した始球式のときなんて、彼は66歳。131キロっておかしいでしょ。

その他練習の場面だと140キロ代の速球も出してしまうとか。

野球を教える仕事をなさっている番組が以前やっていたけれど、ご本人もトレーニングをしていて、毎日腕立て伏せ500回、腹筋と背筋をそれぞれ1000回。

さらにダンベルを人差し指と中指に挟みフォークボールの握りで上下させる運動をやるそうだ。

多分ほかにもやってるかも。

そんな66歳おる?おるんだなあ、これが。凄いなあと思う。

***********

無関係に思い出したわけではない。

今日京都のSさんがセッションにいらした際、出会い立ての頃に悩んでいらっしゃったことや、彼女のコミュニケーションの仕方や様相を思い出していた。

さらに言うと、その後、メール関連のちょいとしたすれ違いがあったときの彼女の様子とかも。

もう遥か遠い昔のことのように思えるのだけど、まだほんの数年前だ。IMG_1047.JPG

今回はたまたま数か月前にプライベートな頼まれごとをしていて、私も多分大丈夫だろうと受けてしまったのだけど、結局当日までできなかった。

そのことを明かしてお詫びしたところ「いや、こちらが悪かったです。忙しいのにほんとにあんなお願いをして。」

いや、やるよ。絶対やるよ。でないと気が済まない。でも、ちょっと待ってて。

しつこく言う私に、笑顔が返って来て、私の日常のことを思いやった優しい言葉をくれた。

出会い立ての頃は言葉もずっと少なかったし、表現することにもちょっと苦労されていた。

元々、気持ちを話すということは万人にとってはとても難しいことだからカウンセリング初心者の時期には当然のこと。

でも、時を経て、今は普通にお話しができる。

誤解やすれ違いや早合点もなく、涙でうるむこともなく、怒るわけでもなく、「いやあ、これこれしかじかだと思ったんですよ。すみません、逆に。」と思いやって下さっている。

自分の想像の範囲を超えてこちらを見てくれているなあ、付き合ってくれているなあということを強く感じるのだ。

もちろん世の中には、ある種のトラウマがない故に”そんなことはあたりまえだろ。”と思う人もたくさんいるかも知れない。(でも、私の統計によるとそんなにたくさんじゃないんだよな、これが。)

でも、彼女が出発した地点から今ここでの状況って、村田投手くらいの偉業に感じてしまう。彼女に限ったことではないが、いろいろと聴かせてもらって、どんな位置から歩き出したか?ということを見て来た私にしか分からない感動かもしれないけれど。

もちろん彼女らはダンベルあげてるわけじゃない。背筋やってるわけじゃない。

でも、心の中でそれに等しい歩みをカウンセリングや心理学を通して積み重ねて来たのだ。

そういった目に見えないはずのことが目に見える結果として見える。

感情の裏側にあるその人らしいやさしさや思いやり。

そんな恩恵を受けて、うれしいセッションだったなあとつくづく思う。本当にありがとう。
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2016年06月16日

プロセスを信しよう

玄関の前の植物が、20年くらいまえにおばあちゃんにプレゼントしたものだと知ったのは最近のことだったIMG_0997.JPG

あれ?そうだったけ?ってなもんで。小さな植物を何種類か植えた中の一つだったらしい。あんまり大きくなっていて分からなかった。

お婆ちゃんは植物を育てるのに長けている。

秋には紅葉するし、夏場は新緑の鮮やかな色を見せてくれるこの植物に、出勤するたび、帰って来る度び玄関先に癒されていた。

で、先日びっくりしたのは、花が咲くんかいっ!ということ。IMG_0998.JPG

素朴な白い花なのだけど、よく見ると綺麗で可愛い。

さすがお婆ちゃんだなあ。過保護でもなく放置でもなく、こんなにたくさん花を咲かせるのだから。

*************

いやあ、今日は嫌なことがそれとば別にあったのよね。

どうなんだろうなー?と熟考したり、我慢強さも私にはあるよなあと思い出したり。

で、何にでも意味があるはずと捉え直したり。

その結果、我慢の量が本分を超えていると本末転倒だなあと悟ったり。

その時、初めて求めていた意味が分かった。

人生は一度きりしかない。そして今この瞬間は二度と戻って来ない。

だから、気持ちに従おうと。

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2016年06月06日

操作できない魂の範疇

とあるオーダーメイドブレスの受注で思い出したことがある。

20代だったか30代だったか、初めて一緒に夜勤をやったナースさんと隣り合わせのベッドで横になったときのこと。

たまたま落ち着いた夜だったのだろう。そうでもなければ例え2交代の夜勤でも横になれない。

仮眠をとるとまで行かないが、その時一緒だったアラフォーのナースさんがぽつりぽつりと話し出した。

「子供ができないんだよねえ・・・。夫婦共々受診しても異常なしだったんだけどねえ・・・。もう、この年じゃダメかなあ。」と。

若さとは無責任なものだとも思うし、でもそれ以上に直観的なものが働いたのか、その時の私は「わかんないですよ。授かりものですから。」という言葉が口をついて出たのだった。

それから3か月くらい経ってからだったか。「信じられない!できた!子供ができた!ありがとう!」とはぐされた。

いや・・・、私、何もしてませんけよ。

その後、別の人と話している際に「二人居るんだけど、女の子が欲しかったなあ。男の子も可愛いんだけどねー。」と同じくアラフォーの看護師さんに言われた。

で、1か月も経たない頃「できた!」と喜んでいらして、さらに季節を3つくらいまたいだ後、「女の子で間違いなかった!ありがとう!」と。

あの。。。私と会話して1か月後に判明したってことはその前からご懐妊なさっていたってことだし・・・。私、関係ありませんよ。

しかし、当時は数か月に一度、現在でもしばしば「かおちゃんに話したら授かった!」と言われる。

誤解を受けるようなことを言わないで。私、何もしてませんから。(大汗)←しかも、私もいちおう女です。

夜勤やると子供出来るのよとか、お茶したらできたのよとか言われてもサッパリピンと来ない。

ところが今はパワーストーンのアクセサリーの受注が間に入るのでだいぶん表現がマイルドになった。

「2千何年にブレスを作って貰ってから既に3人授かりました。」とか、「待望の第一子です!」とか言われると普通にうれしい。私じゃないもん。

でも、あながち石のせいだけでもない。子宝関連の石なんて、考え方によっては五万とあるから。

もしも医学的に問題がないのだとしたら、やっぱり当人や当人ご夫婦の力や迎える準備が強い願いを叶えたのだと思う。

あるいは、ハードな仕事を辞めた途端、突然授かる方もいらっしゃるし、体も心もすべてが関係しているのだろうなと思う。

それでも、私がネット上でこんなもん書いているとか、あるいはこんな仕事しているとか知らない人は未だに「もう息子も10歳なんだけどさ。一人っ子ってかわいそうで。それで思い出したんだけど、あの子ってかおちゃんと旅行行った直後にできた子だったのよ。頼むから一緒にどっか旅行しない?」

・・・・・・・・。じゃ、そうしよか。って、なるか!

人の出会いや魂の摩訶不思議。

それは計り知れない。

ましてや人を子宝温泉のように言わないで欲しい。

で、もう一つ思うことがある。

これはとても反感も多い意見だとは思うのだけど、何で目の下に隈作ったり、きーーっ!!!と怒り狂ってまで子供を作ろうとするのだ。

酷い人になると何か全く違う壁にぶち当たって、それはあくまで自分自身の問題で、しかも、そういうときは自分見つめをしたり何かを学んだりすべきときだと思うのだが・・・とにかく何かうまくいかないことがあると、「私、子供を作って一人前になる。」と言う。

本能的なものや生物としてDNAに操られている部分までは仕方ないにしても、私は「子供、欲しい」って言葉一つを聴いても相手によっては、ぞっとすることがある。

で、見ていると案の定自分の寂しさを埋めるための道具にしていたり支配欲を満たす道具にしていたりするケースもたくさん見て来た。

はたまた子供を利用して友達を作ろうとする人とかも。

自然な欲求が元のものだったとしても、その範疇を超えたケースの人に遭遇するとどうしても引いてしまう。

出会いって出産ばかりじゃないし、出会いって異性や子供との出会いばかりじゃないんだよと思うのだが。

でも、そういった雌的な部分が通常にあるのは当然なのだろうけど、そういう人ってどうしても他者と自分を比較したり張り合っていたりする。

なんだか凄く疲れるなあと思う。

確かに子供ってのは大人になっても面白い存在だと思う。不思議なことを言うし、その成長の奇跡を思うと出会えてよかったなあとは思う。

でも、それを免罪符に自分をさぼっている人の話は、ちっとも面白くないのよね。自分の話が何にもないから。

********

それとは別に今回のとあるオーダーメイドでは、”あれから二人授かりまして、今三人目を望んでいます。”という同じような言葉だというのに。

それを言う人によっては、とてもハッピーなオーラが漂っている。

多分この人は、子供さんはもちろんのことだけど、自分自身も一緒に成長して行かれている人なのだろうなと思う今日この頃。

その差を文字にして語るには難しいのだけど。
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2016年06月04日

世界観

病院も施設も訪問系、どれもそうなのだけど、そこで切磋琢磨して働いているほとんどの方々が素晴らしい方々。

さらに言うと、やあ、凄いなあ、真似できないなあ・・・とまじまじ見てしまう仕事ぶりを発揮している人もいる。センスやら業務のこなし方と人間性が両立しているのって凄いことだと思う。

そういうのを目にする度、そういう方に出会う度、貴重な知的財産だなあと感心してしまう。

でも、やはり同じくらいの頻度で一人や二人遭遇するのが、どこかで認知が歪んでしまった人。一つところに居ながらにして広い世界観を維持するのが難しいということは重々承知しているのだけど。

何かのプロっていうのはとかく偏りがちでそれも個性なのだけど、先の知的財産だなあと思う人々の特徴って、簡単に言うと普通の感覚を失わない人たちのことなのだなと思う。

認知が歪んだまま直したり気づいたりするチャンスがないとそのまま普通を忘れ、人間を忘れ、その場所だけで許される常識を普通にすり替えてしまう。

というのは。

お年寄りや体の不自由な人に「甘えんじゃないわよ。」と言っている人を見た。

まあ長年そこに勤めて付き合いも長いのだから大事件にはならない。

でも、あきらかにパワーバランスの点から見てあってはならないことなんだよね。苦笑いしている車いすの人生の先輩。

そして、その場面だけかと思いきや、言動の90パくらいがその調子なものだから”いやいや、言い方!”と思うわけである。

かと言ってその方は誰かに直して欲しいわけでもないし矯正して欲しいと頼んでいるわけでもない。しかも私は初日の派遣ナース。

よって何も言わないのだけど、とりあえず自分のいつもの調子で人生の先輩方と接する。

誰だって自分でトイレしたいし、自分で食べたいし自分で歩きたいよね。

でも、それがままならない人は摘便や浣腸の際に「ごめんね。ごめんね。」と言う人がいる。あるいは認知が入っているので殴りかかって来る人も。

そんなとき、「気にしないでくださいね。順番ですよ。私たちも年をとっていきますもん。」と言うと、泣き出した人がいた。

どうしたの?ごめんなさい。痛かったですか?

「違うよお。あんた、優しいねえ。」

それから施設内を歩いていると後ろから車椅子で追いかけて来る人が増えた。「トイレに行きたいんだけど手伝って。」と。

はいはーい♪と返事をすると、食い気味で横から怒号するベテランさんが先述した方なのだけど。

「ちょっと!あなた、甘やかさないでよ!」と。

いやいや、トイレ行くだけだから。(多分二人になってから摘便か浣腸を頼みたいのだと思うし。)

その時は睨むだけで立ち去ってくれたのだけど、後程「残存機能を保持するために過剰な介護はしちゃいけないって習わなかった?」と怒鳴られた。

うん、うん、わかる。なので、そうですよね、すみませんとは言う。でも、自分で車椅子を漕いで行っているし、その人ができることには何も手を出していないのだ。

あと、残存機能を保持して欲しいという思いやりを持っているのなら、もっとやる気のある言い方ってのがあるし、別段怖く厳しくする必要もない。普通ーーに言えば良い。あと、見守りくらいは必要だし、それすらしないから事故になる。

まあ、そんなことを議論すべき場所ではないし、ここは学校ではないので、極力素直に「はい。」とは言うのだが、そこが何でも言うこと聞くし、何を言っても良いと勘違いされたらしい。

「あとね、あの優しい喋り方、気持ち悪いから止めた方がよいよ。それが甘やかしになるの。」と言われたから。

この方、もうほんとに出来る人なのよね。しかも、その場所に長い。入居者さんの全員がこの人にびくびくしているわけでもないし、中にはそういうきつさが好きな人も居る。だから全部がダメなわけじゃない。

でも、ほんとにどこかが苦しいときや痛いときや、老人性の鬱の方にはほんとにこたえるのよね。

けれど、何て答えようかなあ・・・このまま黙って、またハイハイ言ってようかなあ・・・と空気を読んでいるような短い時間。

その短い時間がじれったかったらしくて「聞いてんの?なんで、甘くするの?」とかぶせられた。

いやあ、甘くしてはいないんですよ。ただ、一つだけ言えることは、私たちは、毎日ここを出て、家に帰れるってことっすかね。

真顔で極力静かに目を見て言うと、その方の顔が青くなった。

踵を返して去られるとき、あー、怒ったんだろうなあと思ったけど、しゃーない。

私たちってさ。

食事の用意したりお薬を投与したり、おむつを替えたり排泄を手伝ったり、傷や皮膚の処置をしたりするけれど。

肝心の願いは叶えてあげられないんだよね。

家に帰りたいと思っている人がほとんどなのに、その一番の願いには何の役にも立たない。もちろんご家族の事情もあるしね。

それはしゃーないことではあるけれど、それでも凄く心にとめておかなければならないことだと思う。

そして絶対第一希望であるはずのないその場所での生活を少しでも心地よく笑顔で過ごしていただく仕事だと思う。

先日まで居た施設のナースさんが言っていた意味を思い出す。

だから、余計なことはしないけれど、せめてそれを目指して行きたい。

例えば、週に一度や二度しか行かないとしても、その時、その場だけはそこでの自分の仕事をしていきたい。

入居者さんを主人公としての。

********

で、今日も朝からカウンセリング。そして午後からも。

カウンセリングやセラピーの現場で出会う人々と接しているとつくづくこの方々たちの素晴らしさが浮き彫りになる。

以前よりもそれを感じるようになったのは、やはり、このカウンセリング事務所以外での体験も手伝っている。

なんたって、自分が間違っているところがあるなんて微塵も感じないで、どや顔で自分より何かができない人生の先輩を罵倒している人もいるほどで、それが普通になっちゃっているわけだから。

まあそういう人に限って「カウンセリングって病んでいる人が行くんでしょ?」と訊いて来るので不思議だ。

そう訊いて来る人って自分は絶対的に正しいしと思っているし、まず、そこが病んでいる。そしてすごーーく怒っているもんだからさ。

今日印象に残った依頼人さんのエピソードは、昨今特に現実世界をしっかりと生きて未来を構築している人の話だった。

ふわふわしたこと言わない。

出会った頃より一層頼もしくなったのは、インナーチャイルドが成長したせいなのか?というと、それは表現が難しいなあと思う。

成長とか統合って何だろう?と最近今一度考え直す機会が増えて来たから。

頭の良い子供になって、普通の感性として統合されることが成長じゃないのかな。

大人でありながら、柔らかい心や自分の気持ちを忘れないというしなやかさ。

そこには本物の笑顔がある。

この大変なプロセスの中、一緒に笑って話せる時間をありがとうと思う。

私には老若男女問わず、凄い先生方、知的財産の宝庫のような方々と沢山遭遇する機会が与えられている。

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なんて一日を送ったあと、仕事が終わって事務所に寝転んで起きたら夜の9時を回っていたのでガーーン!

もうちょっとPMSを抜け出しそうなのだけど、まだやっぱり疲れるのよね。

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自転車から月を見上げて、ああ、幸せだなと思う夜。
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2016年05月13日

実っては耕し、耕しては実り・・・

この事務所は海外からいらして下さる方々も結構いらっしゃるのだけど、逆に海外へと旅立つ方のエピソードも多い。

先日いらして下さった方もそのお一人で、色んなエピソードの中にこの先どこの国へ行くのか?という話を交えて下さっていた。

そう言えばあの時はあの国へ行っていたよね?なんてことも思い出しながら単純にすげーなー、頑張ってるなーと思った。

私なんぞは家と職場の往復がほとんどで行動範囲は基本的にこの近辺。

それでも滅茶苦茶色んなことがあるというのに、次々と行動して行く様は軽やかだなーと感心してしまう。

日常生活を送っていて好きなことを始めるにしても、今の世の中、多少の見切り発車的な部分がないと動けないことの方が多い。

例えばあれをやりたいしこうしたいけれど、その先がどうなるか分からないとか、経済的なこととか、そしてその後どうするの?なんてことを考えると誰しも微動だに動けなくなるわけだから。

やってみる、行ってみる、そうするとその後こうなるのだけど、わー、どうしよう、でも、やってみるか!くらいの勢いと勇気が要される。

御多分に漏れず彼女にもとある展望への不安があったのだが、それでも尚且つやってみるというところが好きなの。

で、苦しいことや辛いことが全くないと言えば嘘になるのだけど、それでも、新しい景色、新しい出会い、新しい体験を経た後のその人は確実に変わって行っているのだから。

で、一番良いなーと思ったのは『こうすることになった。』と表現される言葉が多かったこと。

本当は力まずに、それくらいの方が流れに乗っていると言えるのかも知れない。

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行動範囲の狭い私には私なりの広がり方があって、現在メインの仕事の他に二足のわらじを履いている。

回数的には少ないし、その場所は建物の中であったり、職場や企業によって独特の世界が展開されている。

朱に交われば赤くなるとか、そういったことが一番苦手な私は、あいもかわらず他人様に『独自の視点で観ているね。』と行く先々で言われている。自分としては独自というより普通ーに客観視しているだけなのだけど。

そして今月で一つの場所の任期が終わるにあたって、思いもよらぬ周りの反応に驚いている。

素敵なものを観た。悲しいものを観た。

どうしようもないことも観た。

でも、皆誰もが一生懸命だということが世の中のどこに行っても垣間見れる。

今日も銘々がその世界で汗をかきかき頑張っているのだなあと思う。

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しかし、使っていなかった脳の部分を思い切り動かす、つまりは現在家庭を入れると四か所くらいの部分がフル稼働しているわけで。

そうすると、やはり寝不足になるほど頑張ったりとか、この部分はいかんなあと思う。

レイキヒーラーは無理しちゃいかんのじゃないか?

と思ったその時『いやいや、与えられたこ好きなことなのだから、こなしなさい。』と声がする。『それは無理とは言わない。』と。

なるほど・・・と思う。

今日も沢山食べて沢山笑って、時々怒って、時には意地を通したり、そして頭を下げたり、手を握り合ったり。
本当に実り多き一日だった。
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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。


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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | ヒューマン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする