2016年09月17日

人という光彩

先日、とある講座が終わった後、Bちゃんとお薦め動画を観ていた。

ゲラゲラ笑っていたのだけど、実は、Bちゃん、この動画の主人公に負けないくらい面白いの。

その面白さの分け目はどこから出てくるのか?と言うと、まあ、もとい、分け目などなくとも最初からユニークだったのだが、しいて言うなら自己一致に拍車がかかった時代あたりからかな。

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そして間は空いてはいるものの、4〜5年くらいの間に夫と飲んでいると、時々偶然会うSたんという青年のことを思い出した。

私よりもずっと多く飲み歩く時代の夫が先に彼と知り合いになった。とあるお店の店員さんだった。

息子が居ないせいなのか、当時大学生だったその子のことをとても可愛がっていた。

実家が東京に近い地方にあって、卒業後はそちらで美術の教師になるというオファーが確実にあったので、ある年「あーあ、来年はSたん、あっちに帰ってしまうんだね。寂しいね。」と皆で言っていたのだけど。

蓋を開けてみれば、彼はこちらの普通の企業に就職。

「この街で飲んで行くために近所に就職しました。」という言葉に爆笑した。この街でやっていくためにとか、生きていくためにとかじゃなくて飲んで行くためにだったから。

で、その子がとにかく面白い。うるさいタイプではない。笑いのセンスがあるというのか、なんだか、存在するだけで場が笑いの渦になる。

しかも、凄く面白い顔をするので「Sたん!顔芸止めて!お腹痛い!」と笑いながら懇願したことすらある。

で、お酒の席の面白いところと言うのは、人の素が出るところ。

記憶に残らないくらい酔うと「実は俺、暗いやつなんですよ。努力して明るくしてるんですよねー。でも、幸せだなあ。みんなこうしてかまってくれるし、優しい言葉かけてくれるし。尾崎さんなんて、学生の頃からよく誘ってくれたもんなあ。ああ、暗いやつなのになあ。頑張って来て良かったなあ。」と真顔で言うのだ。(酔いが醒めたら覚えていないだろうけど。)

そういう本音を言うところが可愛い息子のように思えるし、結局皆、ますます、彼を好きになる。

で、夫がSたんと同じくらい好きな青年にM坊さんという人が居るのだが、私はこの子のファンである。で、この子にも「顔芸止めて。」と言ったのだけど「これ、芸じゃないんですよ。こういう顔なんですよ。」と言われてハッとする。でも、爆笑。

この物凄く優しい喋り方をする、これまた誰からも好かれる青年が、親友のTちゃんマスター曰く一番喧嘩っぱやいそうで、なるほど、近年、Tちゃんともめている際に「あ、ほんとに人が変わるんだ。」と分かった。

でも、彼もまた酔いが回ると「僕はいけないんですかね。やっぱり。」と反省しだす。「何か人と違うんですよね、きっと。」と真面目に言いだすので、そういうところがまた可愛い。

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一方で、外に出て看護の世界に戻っても「あ、このくそ婆ぁ。」と思うことがあるのだけど、段々その人が好きになって来る。(まあ、自分もくそ婆ぁだしな。)

良いところが見えて来て、本当に一生懸命生きている、一人残らず・・・・ということを感じるから。

怒ったり笑ったり。

私は多分、光も影も持った人が好きなのだろう。決して光自慢、不幸自慢する人たちのことじゃなくて。

自分の光も影も受け入れた人のそれは、光の瞬間も影の瞬間もなんだか美しくかっこいいから。
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2016年08月19日

我のみぞ知る

今日、クライアントさんのエピソードの中に某アイドルグループの解散の話題が出た。

私は忙しさにかまけて詳しいニュースは観ていない。報道も聴いていない。

例えそういったものに触れたとしても事実とは限らないだろうし。何せ当人たちにしか分からないことが沢山あるだろう。

それはさておき、「まあ、それはそれで悲しいんだけど、ある記事を読んでおもしろいなあ、なんか、おかしいなあと思ったんです。」と言って話して下さったことが「メンバーのだ○○くんがカウンセラーがつくほど精神状態が不安定なんで報道をマイルドにして下さいと事務所側が言っているんですって。」

・・・・・・。どの辺が面白いんですか?

「いや、あははとか笑う類のその面白いじゃなくて、変なこと言ってるなあーと思って。」

そう言われてやっとピンと来た。

そうかそうか、カウンセラーがつくとか、カウンセリングを受ける人というのはおかしい人、不安定な人というイメージがまだまだ世の中に蔓延している点について仰っているのか。

この方も数年単位に渡って自分見つめにカウンセリングを使っていらっしゃるのでそういう視点で観れるのだろう。

カウンセリングは受けるものではなくて、やるものなんだよね。

そして、欧米の某国のようにカウンセラーがついていてあたりまえという文化が無いこの国ではまだまだカウンセリングに関わる人がおかしいとか変な人というイメージが定着しているんだ。だいぶん良い方向に変わって来たと思う昨今なんだけど、仕方ないか。

むしろ、使っていない人の方が不安定だったり偏ったり「え?何、それ。」と思われる人が多いと思うのだけど、何せ自分を観ないのだから気が付かないし、自分が期待する反応を相手が見せないことに”なんでだろう?なんでだろう?”と思っていたりする。そういう悲劇のヒロインをやるのが無意識的に好きな脚本なのだから仕方ないのだけど。

なんでだろう?って言いつつ考えていないし、友人や親兄弟、配偶者やパートナーに相談することがカウンセリングと似たようなことだと思っているもんだから、思い通りにならなくて怒りを爆発させたり傷ついたと号泣したりしてしまう。

カウンセリングは、気持ちを扱う作業だから時間がかかるのだけど、同時にロジカルさも求められるなあと思う。

カウンセリングを使う人が情緒不安定というわけではない。使っていない人の方にこそどの数は多いだろう。

はたまたカウンセラー喜怒哀楽や傷つく心がないわけじゃない。完璧に癒されている人ならば、むしろできない作業かも知れない。相手の話を過去のものとしてしか聴けないだろうから。

それでもやっぱり、自分は悟った人間、優しい人間、良い人と思われたいという心理が、もっと癒されていない歪んだ自分に拍車をかけてしまう。

某グループのことは知らない。

けれども、もしもその報道が本当で、その方がこの時期に情緒不安定になっているのだとしたら、それはそれで健全な反応だろう。

むしろ、それを公表してしまう側の人々の策略さ加減の方に狂気を感じてしまう。

そういう意味?と訊くと、この話をしてくれた方がニコニコ笑って「あ、そうそう。そういう感じのこと。」と言った。

カードには表と裏があり、人には闇と光の両方がある。

どちらか一方だけに注目するとそれはそれでおかしなことになる。
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2016年08月08日

星と星、そして星の中の星

年々色々な方々にお会いしていると、偶然にもクライアントさん同士が知り合いだったり、知り合いどころか相当親しい間柄だったなんてことがある。

さすがにオーストラリア在住でしかも同じ街にお住まいだったというケースにはびっくりしたのだけど、国内でも全然違う地域同士で、まったく繋がりがないと思っていた方々が友達だったという時にも軽くびっくりする。

ご紹介ならばともかく、互いに同じ場所へ通っていたということすら知らなかったというエピソードが時々飛び出すので、縁って面白いなーとつくづく思う。

「思い切ってこの悩みを話してみたら、彼女がかおるさんとそっくりなことを言うので”実はこういう場所のこういう人のところでカウンセリングしているんだけど、その人もそういう表現を使っていたんだよ。”って打ち明けたら判明したんですよ。もうびっくりで。」

その後お二方は前々から親しい間柄であったものの、これは話せないなーと思っていたことまで飽くことなく自由に話せるようになったのだとか。

それはともかく、先日誰かが昔に言った”孤独は哲学者を作る”という言葉を思い出していたのだけど、若干ニュアンスを訂正。

家族がいようがいまいが、既婚者だろうが未婚者だろうが、人間は皆独りであり、同時に皆独りじゃない。

誰もが誰かと繋がっていて高め合っていくことはあるけれど、もたれかかる相手やもたれかかってくれる相手を探している人の孤独は少し貧しい孤独だと感じる。あるいは自分の妄想ロマンスに家族や他人を無理やりあてはめようとか、その世界に閉じ込めようとする人の孤独も貧しい。第一閉じ込められようとする方は自分の形を切り取ったり圧縮したりしようとするから痛いし苦しい。

ではその世界が広い箱なら良いのか?と言えばそれはあり得ない。何故ならその手の貧しい孤独を抱えた人の世界はまず間違いなく狭いから。逆に言えば自分にとって便利な人しか探していないから。だから人が遠ざかり余計に孤独になるのか。

人は環境に関わらず皆独りだし自分の幸せや自分の欲するものとは自分一人で向き合うしかない。それを意識的にせよ無意識にせよ、やって来た人でなければ自分も他人も大切には出来ない。

それで、ああ、そうかと思う。正しくは”豊かな孤独は哲学者を作る。”なのかも知れない。

独りの時間を楽しく過ごしている人ほど誰かと自分を引き比べたり恨んだりねたんだりすることが皆無だから。

それを思うと豊かな哲学者の方々に出会わせていただけて本当に幸せだなと思う。

先述したお二方が知り合いだと知って後、”ああ、そういえば二人とも心豊かな方々だな。類友とはよく言ったものだな。”と気が付いたからか、そんなことを思った。

はたまた、そのうちのお一方が事務所に置いてあるデイリーガイダンスを開いて、「ああ、オラクルカードの本バージョンって感じですね。」と仰った。

そうですね。不思議と同じページを開いたり、開かないページは絶対開かないとか不思議なところも。

その話の流れで「私、カードを習っていたから何年か前に彼女のことを占って引いたカードをあげたんですよ。」と仰る。「多分その時には彼女もここに来ていたと思うんだけど。”自分のカードは自分でひく”って突っ返されてびっくりした。」と言うエピソードも聞けて二人で大笑いした。

「あと、とある友達が夢を叶えて羨ましいなあー、私もああなりたいなーと思った時期でもあったので、そのことを話したときにも”彼女は何もしないで夢が叶ったわけじゃないよ。多分、皆そうだと思う。”って言われてなるほどなーと思ったり。」

不思議なことにもうお一方もこの方と似たようなエピソードを話して下さっていた。

急にじゃなくても良いけど、出来ることを一つ一つコツコツとやって行くことで、なんだか大きな山が二つになったかのよう。違う県にそれぞれ住んでいても高くなって互いに微笑みあっているかのような光景が浮かんだ。もちろん喧嘩することもあるみたいだけど。(笑)

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時が流れていく。人も変容していく。全ては自然なことなのだろう。停滞するため、変わらないための理屈や文句を並べるために使うエネルギーを捨て去ると、自由に泳いだり羽ばたいたり光っている命が沢山見える。

夜の町の風景をベランダから眺めつつ一服していたら、その窓の一つ一つがかすんで大きな星が沢山あるように見えた。
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2016年08月05日

息吹

毎日好き勝手なことをつぶやいている喋りたがりの私のこのブログ。

以前、同じくブログをやっている知人に「長いよ。」とか「意味がわかんないだよ。」とよく言われていたし、多分今もそう思われている。

でも、その知人さんたちはお付き合いでブログ周りをしている人だったり、はたまた尋常じゃない感情を持って読んでいる方々だったので「あ、大丈夫。無理して読まないでね。」とやんわり制した。

でもえらく短い日に、とある方が「ねえ、今朝のブログ、途中で終わってたみたいですよ。」と言われたときには面白かった。

え?そう?と最初にびっくりした理由としては時々、ログが飛んでいたり、表示されていなかったりすることがあるからだった。でも、直接セッション中に言って下さったのでその場でざざっと読むと「あ、大丈夫。これ、途中じゃないの。全部。」とお伝えすることが出来た。

気ままで勝手なものだから、起承転結なんて無いもんでそう思われても仕方ない。でも、へー、長く書いても嫌じゃない人もいるんだー。個人的に興味のあるコアなこともこの方は読んでくださるんだなーとちょっと嬉しくなった。

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さらに明日来訪する予定だった方からのメールを読んでちょいと感動。キャンセルはキャンセルなのだけど、どうしても出社しなきゃならなくて、「かおるさんにレイキかけてあげたかったのに。」と書かれてあったから。

ご自身も心身共に色んなことがあって疲れているでしょうに。

そして、大抵の人は自道にセッションやら授業やらを継続していると、必ず変容するというか化ける、もとい、戻る。とてもその人らしくなる。

この方はその中でも出会い立ての頃を思い出すと最も良い意味で変容して行かれた方だった。

不本意ながら私が好きな方法で修行していたり、キャパ不足だったりするのでお会いできない方が沢山いらっしゃる。タイミングってものもある。

でも、何故だか、とても心から信頼できる。そりゃ会えるにこしたことはないのだけど、会わない間も信頼できることの喜びを感じさせてくれる優しい戦士の皆さんに感謝したいなあ・・・と思いつつ、今日も私は色んな形で修行をする。楽しむことを忘れずに。IMG_1129.JPG

人ってさ。

自分を知った後には、どこからでも芽を出しても良いんだと無意識に気が付く生き物。

あるいは、もうダメだーと過去にとらわれそうになった時にも、ふと気が付けば、「あれ、こんなところからも知らず知らずに枝が生えて来た。」という現象を起こす生き物。

それはとても自然なことだと思う。
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2016年07月25日

感情は素直 生きるは礼節で

カウンセリングの件数が多くなって来ると、一人一人の異なる人生に感銘を受けることがある。

しかし、どれと同時にまったく同じセリフや同じようなエピソード、そして同じタイプの方が訪れるということもある。

後者の場合でも決して決めつけずに最後までセオリーに乗っ取って傾聴するのだけど、結局最後まで聴いても寸分たがわないケースに遭遇するということ。

比率としては絶対的に男性のクライアントさんに多い。彼女や奥さんが居るのに他の女性に告白されて悩んでいるとか、はたまた独身の人でも複数に告白されたというエピソード。

で、そこまでは何の問題はないのだけど、個人としてはその出来事に対して何をどう悩んでいるのか?ということと、それを話す目的は何か?ということ。

その人だけの感情や気持ちが一つの出来事から悩みを作るわけだから、充分に出来事を聴いた後はそちらを訊いてみるのだけど、終始ニヤニヤしている人がいたり、あるいは「だから!僕はもてないわけじゃないんですよ!」と突然切れる人がいたりもする。

どちらかというと、個人的には人を好きになるとか好かれたということ自体にはさほど一喜一憂しない。色んな愛があると思うから。

でも彼らが興奮して主題にするのは決まってエロスだけなんだよなあ。

でも、自分には価値があるんだ、わかってくれというのを説明するための材料が彼らにとっては人に好かれているんだぞということなのだと思う。

なので、目的が違うし悩んでもいないので、主張をするタイプのエピソードだったり称賛されたいだけだったりするのが、いくら長時間聴いても変化しない。

もしも悩むとしても「どちらとくっついた方が得かな?良く見られるかな?」とか、あるいは「どうしたら両方と関係を保てるでしょう?」とか、もっとひどいと、さらに人数を増やしてもてるには?という話に流れて行ってしまう。

そこのところは、何故そうしたいの?ということで根本的には自分見つめに持っていく手法に変わりはない部分もあるのだけど、人生や生き方や仕事や幸せに生きることをテーマにやって来る人々と比べると、あまり得意じゃないなあ。

何故なら、人を愛せないし愛そうともしない人、その上で人から何かを貰おうとしてばかりの人には本当の豊かさや幸せが来ないから。

数は少ないけれど女性にもいらっしゃる。「告白されたの。旦那がいるのにどうしよう。」とウキウキして果てはピロトークまでのエピソードを話していらっしゃる場合、20代30代だったら可愛いかも知れない。もしかしたらだけど。

でも、もしもそれがプライベートの友達だったら「で?」となる。

ある昔の知り合いは「喘息があるから怖いんだよ!一人で居るのは!だから若い頃から複数恋人がいないとダメなんだよ。生きるためだよ!」と逆切れしていた人もいた。齢50代だったけど考えてみれば20代くらいから同じことを言っていたので、はなから自分の面倒を観させる相手(親代わりのようなもの)を探していたのだろうなと思う。

プライベートの場合、何故、『で?』と訊くのは、自分の気持ちはどうなの?ということが聴きたいからなのだけど、実はその人たちにはそんなことはどうでもよくて、とにかく恋に恋をしているか、誰かにパートナーが居ることを示したいか、あるいは依存したいかとか、その辺の理由なので、「????」となっていらっしゃる。

人を愛しる喜び、人に何かしたくなる喜び。(頼まれてもいないおせっかいじゃなくてね。)

それを知らない人の場合は多分、愛されていたとしてもその意味や価値が分からないのかも知れない。

一方で、本当に好きなのだなあ〜ということが伝わって来る感情中心の話だと、自然にそれが伝わって来て応援したくなるのも事実。

『同じじゃねーかよ!やってることは!』と言われたこともあるのだけど、全然違うんだな、これが。

自分と人を愛そうとしているの物語はいくらでも耳が開くが、愛を貰うことばかりを求めたまま年を重ねて良い大人の年齢になった人の話は、少々苦手であったりする。

自分が何が好きで何が嫌いかすら分からない人はまずカウンセリングに来ることは少ないけれど、稀に近しい人にそんな話をされると、やっぱり『で?』となるのも、それが私だから。

中には生育環境故にそんな時期が来るのが少々遅かっただけの方もいらっしゃるのだけど、チューボーの頃からずっと変わらない恋愛観を持ってニヤニヤしている40代50代はつまらないなーと正直に感じるのも私でもある。

感じるものは仕方ない。
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2016年07月04日

世の中は愛する人々と生きるだけで忙しい

どんだけ蒸し蒸しするんですかと思った昼間だったけど、夜事務所を出て外気に触れたときにもびっくりした。

もはや蒸し蒸しというより、空気が重たい。

にも関わらず今日もこの狭い事務所に大切なことをお話に来て下さる依頼人様。

炎天下まっさかりの時間帯にいらして下さった方の日に灼けた肌。元気な主婦の先輩。

そして頑張り屋さんの若い方。

さらに言うと教育分析にいらして下さった基礎カウンセラーさんはここのところ高熱が出ていたとのことで。

こういうのも知らない人にとっては変な会話だったけど「そうかあ、退職できたか。おめでとう!」というような話になる。

大抵自分が変わると次の展望が見えだすのが常で心理の学生さんでも一般のクライアントさんでもよく転職なさったりパートナー関係にある配偶者や友人関係にも変化が出る。

もう小さな頃の服は入らないのだ。

なのだけど、日本人にはまだまだ刷り込まれた常識感が強くて、ふと旅立ちの構想が浮かんだとき少なからずそんな自分に動揺する。

そして「せめて来年の春までやって辞めるか。」とか「ボーナス貰ってからにするか。」という人も多い。

確かに三か月前に言え神話は間違ってはいないのだけど、自分の心と体のことがその時点ではまだまだ認められていないケースもある。

それを聴く度に「そうなったらもう行くの嫌だよね。」と思うのだが、本人が決めることなのでそこはどんとたっちみぃー!なんだよね。私が決めてどうするってことで。

でもね。

英語と日本語が違うように同じ日本人間でも、それぞれ、人の数だけ言語があるの。価値観も違えば美学も違う。

ましてや全く何も通じないとなったら、もうそこは異国なのだ。

頑張り屋さんはなかなかそこが認められなくて寝込むに至る。

でもそれを繰り返すうちに自分の世界を生きる素晴らしさと喜びを知る。

超えたねー、凄いねーとほめたくなるのは私くらいなものかも知れないけれど。

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偶然だけど、先日また新しい施設に出向いた。派遣さんが紹介してくれたところは遠いよ!と思うようなとんでもない場所にあったのだが、前回「そっか。尾崎さんは近いってだけじゃダメなんですね。失礼しました。」と言って再び面接に連れて行かれたのだ。

するとそこで新しい出会いがあった。

何と私より年上のバリバリベテランナースが私がかつていた施設の名前を出して来るじゃないっすか。ずいぶん離れたところなのに。

その方はどう見ても気丈な方だったが、一か月ほど居るだけで出勤前に嘔気と下痢が止まらなくなったり、電車に飛び込みたくなるという症状まで出たという。

実は私もそこにほんの4〜5日出勤したんですよ。でも、ほとんど一日目でいろんな食い違いが分かったので具合悪くなる前に去りましたわ。とされたことを話したら「わかるー!私だけじゃなかったんだ。いやあ、私も早期に自分の状態分かっていればよかったな。ここに来て2か月でやっと笑えるようになったのよね。」。

ええ、だって言語が違う、話が通じない、美学も向上心も価値観も違うんじゃねえ。そこはもう外国ですよ。しかも延々と内線が繰り広げられているかのようなね。

すると65歳のベテランの長ナースがくるりと振り返って軽く言うことには「夢だと思いなさい。」と。

この世界ほどばらつきのある世界があるか?ってのが今の介護の現状だから。

恨むのも違う。ただ違ったんだと思うこと、そして反省する必要ない。自分見つめと反省は違う。合う人間、合わない人間、合う職場、合わない職場があるんだから仕方ない。

特に反省して成長することなんてないよと、だいたいこういったことをものすごくライトに話してくれたので二人で笑ってもうた。

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体験を得てトラウマは捨てる。

ちょいと遠いけどここ来て良かったなあと思った。

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心配なのは体調崩したお方。

自分を大切にするということは難しい。


でも、再び新しいコツを得たり、自分の幸せが何たるか?とさらに深く知っていく。

私はそういう生き方をしている方々とは言語や世界観が合うし、心から応援したくなる。
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2016年07月03日

それが意味あることなら、どこまでもチャレンジはしてみるが

昔ながらのクライアントさんに問われた予約状況。

それはことごとく埋まっていてうまくいかない。

「そんなこと言ったって夜は空いてるんでしょうよ。入れてよ、ケチ。」と言われるのだが、あなたは知っているはず。

その昔は24時間体制でいつでも電話だろうが面談だろうが受けつつナースをやっていた時代を。

で、わが身のキャパを知ってからは、”これはもう早朝・深夜をカットするしかない。第一クォリティが下がってきているし、カウンセラー自体が自分を大事にできなきゃ本末転倒ってことで。

しかも、重ね重ね長い付き合いだから夜は家事があったり家の仕事ももろもろあることも知っているはず。

「分かってんだけどさ。私だけ特別にってわけにはいかないの。ケチ。」

いや、あなた、昔、自分のタイミングで抜き打ちで連絡してきて、そのあげく心の準備もできていない私にブチ切れた事件もあったじゃんよ。「あんたの生活なんてどうでも良いから私のこと考えて。ナースの仕事なんて早くやめてよ。」とか実に勝手なこと言って人の人生まで支配しようとしていたじゃんか。

ああいいの、もう嫌なのよね。

が、その傍らで思わんでもない。

あ、今日行こうと思って気軽に出来る状況が最も理想的なんだけどなーと逆の立場からだと思うのだ。

しかし、それが出来んジレンマ。

あるいは辛いときにすぐってのもほんとは理想的なんだけどなーーーーとか。

けれども思い直す。

衝動的にゴミ箱にするタイプの人ばかりになりそう。ええ、肝心の方々は逆に遠慮していたりとかして。

将来、そのジレンマは解決するかも知れない流れもあるだろう。

でも、今は諸事情察してくれませんか、チームで。

ああ、そうだった、そうだった。

一対一のリレーションやキャッチボールが成り立たない人には集団プレーは無理なのだった。

そんな日常生活やその人の性質がカウンセリングという現場で凝縮されて現れるのだった。

とりあえずは、申し訳ないことに今の形で行きます。ご不便かけますが、それでも利用してくださる方々に愛をこめて。
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2016年06月24日

人は一生成長する

唐突だけど。

2016年の春だったか。

始球式で村田兆治さんが投げた投球が当時のマサカリ投法スタイルのまま、131キロ。まあ、始球式って打ち返すもんじゃないけど、思わずバッターも本気で振っていたような。もちろん空振り。IMG_1048.JPG

ええ、空振りじゃないと困るイベントだけど、気迫と実力にびっくりしてフルスイングしちゃったんじゃないか?と思う。

10年ほど昔、立川に真冬になると屋台を夫婦で出すおでん屋さんがあって、そのおでん屋のおやじさんもファンだったのか。屋台の真上に白黒の写真が掲げられてた。
それを見ては「あれ、懐かしいね。」と言い合っていた。

1990年頃だったと思うけど、アラフォーでありながら史上二人目となる40歳代での二桁勝利を治めた。そしてその年に彼は引退し、そして大きな影響力があったのだろう、この引退により60年代に入団した選手は全員引退したという。

あんなに充分現役でやっていけそうな人が退くのだもの、そりゃ考えたんだろうなあ。

で、時代は流れて、先述した始球式のときなんて、彼は66歳。131キロっておかしいでしょ。

その他練習の場面だと140キロ代の速球も出してしまうとか。

野球を教える仕事をなさっている番組が以前やっていたけれど、ご本人もトレーニングをしていて、毎日腕立て伏せ500回、腹筋と背筋をそれぞれ1000回。

さらにダンベルを人差し指と中指に挟みフォークボールの握りで上下させる運動をやるそうだ。

多分ほかにもやってるかも。

そんな66歳おる?おるんだなあ、これが。凄いなあと思う。

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無関係に思い出したわけではない。

今日京都のSさんがセッションにいらした際、出会い立ての頃に悩んでいらっしゃったことや、彼女のコミュニケーションの仕方や様相を思い出していた。

さらに言うと、その後、メール関連のちょいとしたすれ違いがあったときの彼女の様子とかも。

もう遥か遠い昔のことのように思えるのだけど、まだほんの数年前だ。IMG_1047.JPG

今回はたまたま数か月前にプライベートな頼まれごとをしていて、私も多分大丈夫だろうと受けてしまったのだけど、結局当日までできなかった。

そのことを明かしてお詫びしたところ「いや、こちらが悪かったです。忙しいのにほんとにあんなお願いをして。」

いや、やるよ。絶対やるよ。でないと気が済まない。でも、ちょっと待ってて。

しつこく言う私に、笑顔が返って来て、私の日常のことを思いやった優しい言葉をくれた。

出会い立ての頃は言葉もずっと少なかったし、表現することにもちょっと苦労されていた。

元々、気持ちを話すということは万人にとってはとても難しいことだからカウンセリング初心者の時期には当然のこと。

でも、時を経て、今は普通にお話しができる。

誤解やすれ違いや早合点もなく、涙でうるむこともなく、怒るわけでもなく、「いやあ、これこれしかじかだと思ったんですよ。すみません、逆に。」と思いやって下さっている。

自分の想像の範囲を超えてこちらを見てくれているなあ、付き合ってくれているなあということを強く感じるのだ。

もちろん世の中には、ある種のトラウマがない故に”そんなことはあたりまえだろ。”と思う人もたくさんいるかも知れない。(でも、私の統計によるとそんなにたくさんじゃないんだよな、これが。)

でも、彼女が出発した地点から今ここでの状況って、村田投手くらいの偉業に感じてしまう。彼女に限ったことではないが、いろいろと聴かせてもらって、どんな位置から歩き出したか?ということを見て来た私にしか分からない感動かもしれないけれど。

もちろん彼女らはダンベルあげてるわけじゃない。背筋やってるわけじゃない。

でも、心の中でそれに等しい歩みをカウンセリングや心理学を通して積み重ねて来たのだ。

そういった目に見えないはずのことが目に見える結果として見える。

感情の裏側にあるその人らしいやさしさや思いやり。

そんな恩恵を受けて、うれしいセッションだったなあとつくづく思う。本当にありがとう。
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2016年06月16日

プロセスを信しよう

玄関の前の植物が、20年くらいまえにおばあちゃんにプレゼントしたものだと知ったのは最近のことだったIMG_0997.JPG

あれ?そうだったけ?ってなもんで。小さな植物を何種類か植えた中の一つだったらしい。あんまり大きくなっていて分からなかった。

お婆ちゃんは植物を育てるのに長けている。

秋には紅葉するし、夏場は新緑の鮮やかな色を見せてくれるこの植物に、出勤するたび、帰って来る度び玄関先に癒されていた。

で、先日びっくりしたのは、花が咲くんかいっ!ということ。IMG_0998.JPG

素朴な白い花なのだけど、よく見ると綺麗で可愛い。

さすがお婆ちゃんだなあ。過保護でもなく放置でもなく、こんなにたくさん花を咲かせるのだから。

*************

いやあ、今日は嫌なことがそれとば別にあったのよね。

どうなんだろうなー?と熟考したり、我慢強さも私にはあるよなあと思い出したり。

で、何にでも意味があるはずと捉え直したり。

その結果、我慢の量が本分を超えていると本末転倒だなあと悟ったり。

その時、初めて求めていた意味が分かった。

人生は一度きりしかない。そして今この瞬間は二度と戻って来ない。

だから、気持ちに従おうと。

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2016年06月06日

操作できない魂の範疇

とあるオーダーメイドブレスの受注で思い出したことがある。

20代だったか30代だったか、初めて一緒に夜勤をやったナースさんと隣り合わせのベッドで横になったときのこと。

たまたま落ち着いた夜だったのだろう。そうでもなければ例え2交代の夜勤でも横になれない。

仮眠をとるとまで行かないが、その時一緒だったアラフォーのナースさんがぽつりぽつりと話し出した。

「子供ができないんだよねえ・・・。夫婦共々受診しても異常なしだったんだけどねえ・・・。もう、この年じゃダメかなあ。」と。

若さとは無責任なものだとも思うし、でもそれ以上に直観的なものが働いたのか、その時の私は「わかんないですよ。授かりものですから。」という言葉が口をついて出たのだった。

それから3か月くらい経ってからだったか。「信じられない!できた!子供ができた!ありがとう!」とはぐされた。

いや・・・、私、何もしてませんけよ。

その後、別の人と話している際に「二人居るんだけど、女の子が欲しかったなあ。男の子も可愛いんだけどねー。」と同じくアラフォーの看護師さんに言われた。

で、1か月も経たない頃「できた!」と喜んでいらして、さらに季節を3つくらいまたいだ後、「女の子で間違いなかった!ありがとう!」と。

あの。。。私と会話して1か月後に判明したってことはその前からご懐妊なさっていたってことだし・・・。私、関係ありませんよ。

しかし、当時は数か月に一度、現在でもしばしば「かおちゃんに話したら授かった!」と言われる。

誤解を受けるようなことを言わないで。私、何もしてませんから。(大汗)←しかも、私もいちおう女です。

夜勤やると子供出来るのよとか、お茶したらできたのよとか言われてもサッパリピンと来ない。

ところが今はパワーストーンのアクセサリーの受注が間に入るのでだいぶん表現がマイルドになった。

「2千何年にブレスを作って貰ってから既に3人授かりました。」とか、「待望の第一子です!」とか言われると普通にうれしい。私じゃないもん。

でも、あながち石のせいだけでもない。子宝関連の石なんて、考え方によっては五万とあるから。

もしも医学的に問題がないのだとしたら、やっぱり当人や当人ご夫婦の力や迎える準備が強い願いを叶えたのだと思う。

あるいは、ハードな仕事を辞めた途端、突然授かる方もいらっしゃるし、体も心もすべてが関係しているのだろうなと思う。

それでも、私がネット上でこんなもん書いているとか、あるいはこんな仕事しているとか知らない人は未だに「もう息子も10歳なんだけどさ。一人っ子ってかわいそうで。それで思い出したんだけど、あの子ってかおちゃんと旅行行った直後にできた子だったのよ。頼むから一緒にどっか旅行しない?」

・・・・・・・・。じゃ、そうしよか。って、なるか!

人の出会いや魂の摩訶不思議。

それは計り知れない。

ましてや人を子宝温泉のように言わないで欲しい。

で、もう一つ思うことがある。

これはとても反感も多い意見だとは思うのだけど、何で目の下に隈作ったり、きーーっ!!!と怒り狂ってまで子供を作ろうとするのだ。

酷い人になると何か全く違う壁にぶち当たって、それはあくまで自分自身の問題で、しかも、そういうときは自分見つめをしたり何かを学んだりすべきときだと思うのだが・・・とにかく何かうまくいかないことがあると、「私、子供を作って一人前になる。」と言う。

本能的なものや生物としてDNAに操られている部分までは仕方ないにしても、私は「子供、欲しい」って言葉一つを聴いても相手によっては、ぞっとすることがある。

で、見ていると案の定自分の寂しさを埋めるための道具にしていたり支配欲を満たす道具にしていたりするケースもたくさん見て来た。

はたまた子供を利用して友達を作ろうとする人とかも。

自然な欲求が元のものだったとしても、その範疇を超えたケースの人に遭遇するとどうしても引いてしまう。

出会いって出産ばかりじゃないし、出会いって異性や子供との出会いばかりじゃないんだよと思うのだが。

でも、そういった雌的な部分が通常にあるのは当然なのだろうけど、そういう人ってどうしても他者と自分を比較したり張り合っていたりする。

なんだか凄く疲れるなあと思う。

確かに子供ってのは大人になっても面白い存在だと思う。不思議なことを言うし、その成長の奇跡を思うと出会えてよかったなあとは思う。

でも、それを免罪符に自分をさぼっている人の話は、ちっとも面白くないのよね。自分の話が何にもないから。

********

それとは別に今回のとあるオーダーメイドでは、”あれから二人授かりまして、今三人目を望んでいます。”という同じような言葉だというのに。

それを言う人によっては、とてもハッピーなオーラが漂っている。

多分この人は、子供さんはもちろんのことだけど、自分自身も一緒に成長して行かれている人なのだろうなと思う今日この頃。

その差を文字にして語るには難しいのだけど。
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2016年06月04日

世界観

病院も施設も訪問系、どれもそうなのだけど、そこで切磋琢磨して働いているほとんどの方々が素晴らしい方々。

さらに言うと、やあ、凄いなあ、真似できないなあ・・・とまじまじ見てしまう仕事ぶりを発揮している人もいる。センスやら業務のこなし方と人間性が両立しているのって凄いことだと思う。

そういうのを目にする度、そういう方に出会う度、貴重な知的財産だなあと感心してしまう。

でも、やはり同じくらいの頻度で一人や二人遭遇するのが、どこかで認知が歪んでしまった人。一つところに居ながらにして広い世界観を維持するのが難しいということは重々承知しているのだけど。

何かのプロっていうのはとかく偏りがちでそれも個性なのだけど、先の知的財産だなあと思う人々の特徴って、簡単に言うと普通の感覚を失わない人たちのことなのだなと思う。

認知が歪んだまま直したり気づいたりするチャンスがないとそのまま普通を忘れ、人間を忘れ、その場所だけで許される常識を普通にすり替えてしまう。

というのは。

お年寄りや体の不自由な人に「甘えんじゃないわよ。」と言っている人を見た。

まあ長年そこに勤めて付き合いも長いのだから大事件にはならない。

でも、あきらかにパワーバランスの点から見てあってはならないことなんだよね。苦笑いしている車いすの人生の先輩。

そして、その場面だけかと思いきや、言動の90パくらいがその調子なものだから”いやいや、言い方!”と思うわけである。

かと言ってその方は誰かに直して欲しいわけでもないし矯正して欲しいと頼んでいるわけでもない。しかも私は初日の派遣ナース。

よって何も言わないのだけど、とりあえず自分のいつもの調子で人生の先輩方と接する。

誰だって自分でトイレしたいし、自分で食べたいし自分で歩きたいよね。

でも、それがままならない人は摘便や浣腸の際に「ごめんね。ごめんね。」と言う人がいる。あるいは認知が入っているので殴りかかって来る人も。

そんなとき、「気にしないでくださいね。順番ですよ。私たちも年をとっていきますもん。」と言うと、泣き出した人がいた。

どうしたの?ごめんなさい。痛かったですか?

「違うよお。あんた、優しいねえ。」

それから施設内を歩いていると後ろから車椅子で追いかけて来る人が増えた。「トイレに行きたいんだけど手伝って。」と。

はいはーい♪と返事をすると、食い気味で横から怒号するベテランさんが先述した方なのだけど。

「ちょっと!あなた、甘やかさないでよ!」と。

いやいや、トイレ行くだけだから。(多分二人になってから摘便か浣腸を頼みたいのだと思うし。)

その時は睨むだけで立ち去ってくれたのだけど、後程「残存機能を保持するために過剰な介護はしちゃいけないって習わなかった?」と怒鳴られた。

うん、うん、わかる。なので、そうですよね、すみませんとは言う。でも、自分で車椅子を漕いで行っているし、その人ができることには何も手を出していないのだ。

あと、残存機能を保持して欲しいという思いやりを持っているのなら、もっとやる気のある言い方ってのがあるし、別段怖く厳しくする必要もない。普通ーーに言えば良い。あと、見守りくらいは必要だし、それすらしないから事故になる。

まあ、そんなことを議論すべき場所ではないし、ここは学校ではないので、極力素直に「はい。」とは言うのだが、そこが何でも言うこと聞くし、何を言っても良いと勘違いされたらしい。

「あとね、あの優しい喋り方、気持ち悪いから止めた方がよいよ。それが甘やかしになるの。」と言われたから。

この方、もうほんとに出来る人なのよね。しかも、その場所に長い。入居者さんの全員がこの人にびくびくしているわけでもないし、中にはそういうきつさが好きな人も居る。だから全部がダメなわけじゃない。

でも、ほんとにどこかが苦しいときや痛いときや、老人性の鬱の方にはほんとにこたえるのよね。

けれど、何て答えようかなあ・・・このまま黙って、またハイハイ言ってようかなあ・・・と空気を読んでいるような短い時間。

その短い時間がじれったかったらしくて「聞いてんの?なんで、甘くするの?」とかぶせられた。

いやあ、甘くしてはいないんですよ。ただ、一つだけ言えることは、私たちは、毎日ここを出て、家に帰れるってことっすかね。

真顔で極力静かに目を見て言うと、その方の顔が青くなった。

踵を返して去られるとき、あー、怒ったんだろうなあと思ったけど、しゃーない。

私たちってさ。

食事の用意したりお薬を投与したり、おむつを替えたり排泄を手伝ったり、傷や皮膚の処置をしたりするけれど。

肝心の願いは叶えてあげられないんだよね。

家に帰りたいと思っている人がほとんどなのに、その一番の願いには何の役にも立たない。もちろんご家族の事情もあるしね。

それはしゃーないことではあるけれど、それでも凄く心にとめておかなければならないことだと思う。

そして絶対第一希望であるはずのないその場所での生活を少しでも心地よく笑顔で過ごしていただく仕事だと思う。

先日まで居た施設のナースさんが言っていた意味を思い出す。

だから、余計なことはしないけれど、せめてそれを目指して行きたい。

例えば、週に一度や二度しか行かないとしても、その時、その場だけはそこでの自分の仕事をしていきたい。

入居者さんを主人公としての。

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で、今日も朝からカウンセリング。そして午後からも。

カウンセリングやセラピーの現場で出会う人々と接しているとつくづくこの方々たちの素晴らしさが浮き彫りになる。

以前よりもそれを感じるようになったのは、やはり、このカウンセリング事務所以外での体験も手伝っている。

なんたって、自分が間違っているところがあるなんて微塵も感じないで、どや顔で自分より何かができない人生の先輩を罵倒している人もいるほどで、それが普通になっちゃっているわけだから。

まあそういう人に限って「カウンセリングって病んでいる人が行くんでしょ?」と訊いて来るので不思議だ。

そう訊いて来る人って自分は絶対的に正しいしと思っているし、まず、そこが病んでいる。そしてすごーーく怒っているもんだからさ。

今日印象に残った依頼人さんのエピソードは、昨今特に現実世界をしっかりと生きて未来を構築している人の話だった。

ふわふわしたこと言わない。

出会った頃より一層頼もしくなったのは、インナーチャイルドが成長したせいなのか?というと、それは表現が難しいなあと思う。

成長とか統合って何だろう?と最近今一度考え直す機会が増えて来たから。

頭の良い子供になって、普通の感性として統合されることが成長じゃないのかな。

大人でありながら、柔らかい心や自分の気持ちを忘れないというしなやかさ。

そこには本物の笑顔がある。

この大変なプロセスの中、一緒に笑って話せる時間をありがとうと思う。

私には老若男女問わず、凄い先生方、知的財産の宝庫のような方々と沢山遭遇する機会が与えられている。

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なんて一日を送ったあと、仕事が終わって事務所に寝転んで起きたら夜の9時を回っていたのでガーーン!

もうちょっとPMSを抜け出しそうなのだけど、まだやっぱり疲れるのよね。

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自転車から月を見上げて、ああ、幸せだなと思う夜。
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2016年05月13日

実っては耕し、耕しては実り・・・

この事務所は海外からいらして下さる方々も結構いらっしゃるのだけど、逆に海外へと旅立つ方のエピソードも多い。

先日いらして下さった方もそのお一人で、色んなエピソードの中にこの先どこの国へ行くのか?という話を交えて下さっていた。

そう言えばあの時はあの国へ行っていたよね?なんてことも思い出しながら単純にすげーなー、頑張ってるなーと思った。

私なんぞは家と職場の往復がほとんどで行動範囲は基本的にこの近辺。

それでも滅茶苦茶色んなことがあるというのに、次々と行動して行く様は軽やかだなーと感心してしまう。

日常生活を送っていて好きなことを始めるにしても、今の世の中、多少の見切り発車的な部分がないと動けないことの方が多い。

例えばあれをやりたいしこうしたいけれど、その先がどうなるか分からないとか、経済的なこととか、そしてその後どうするの?なんてことを考えると誰しも微動だに動けなくなるわけだから。

やってみる、行ってみる、そうするとその後こうなるのだけど、わー、どうしよう、でも、やってみるか!くらいの勢いと勇気が要される。

御多分に漏れず彼女にもとある展望への不安があったのだが、それでも尚且つやってみるというところが好きなの。

で、苦しいことや辛いことが全くないと言えば嘘になるのだけど、それでも、新しい景色、新しい出会い、新しい体験を経た後のその人は確実に変わって行っているのだから。

で、一番良いなーと思ったのは『こうすることになった。』と表現される言葉が多かったこと。

本当は力まずに、それくらいの方が流れに乗っていると言えるのかも知れない。

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行動範囲の狭い私には私なりの広がり方があって、現在メインの仕事の他に二足のわらじを履いている。

回数的には少ないし、その場所は建物の中であったり、職場や企業によって独特の世界が展開されている。

朱に交われば赤くなるとか、そういったことが一番苦手な私は、あいもかわらず他人様に『独自の視点で観ているね。』と行く先々で言われている。自分としては独自というより普通ーに客観視しているだけなのだけど。

そして今月で一つの場所の任期が終わるにあたって、思いもよらぬ周りの反応に驚いている。

素敵なものを観た。悲しいものを観た。

どうしようもないことも観た。

でも、皆誰もが一生懸命だということが世の中のどこに行っても垣間見れる。

今日も銘々がその世界で汗をかきかき頑張っているのだなあと思う。

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しかし、使っていなかった脳の部分を思い切り動かす、つまりは現在家庭を入れると四か所くらいの部分がフル稼働しているわけで。

そうすると、やはり寝不足になるほど頑張ったりとか、この部分はいかんなあと思う。

レイキヒーラーは無理しちゃいかんのじゃないか?

と思ったその時『いやいや、与えられたこ好きなことなのだから、こなしなさい。』と声がする。『それは無理とは言わない。』と。

なるほど・・・と思う。

今日も沢山食べて沢山笑って、時々怒って、時には意地を通したり、そして頭を下げたり、手を握り合ったり。
本当に実り多き一日だった。
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2016年04月23日

思い出の澱の中にも思い出す花

出勤しようとすると夫が帰って来て「今、事務所にゴミ袋届けておいたよ。」と言う。

・・・・・・。まるでお隣に行って帰って来たかのように言うなあ。うちと事務所、決して近所じゃないのに。

ベランダの物置が部屋の中にドン!とあってビックリしたでしょ?

「ああ、あれ、そうか。大変だな。」

そう。大変なんすよ。早く通常に戻りたいわあ。

**********

最近知り合ったナースさんに宮古の出身の人が居る。一回り年下だけど、しっかりもので彼女の冷静でいつも静かな佇まいのおかげで私の無愛想さが少し目立たないですんでいるような。

その宮古のご出身のせいか『尾崎さん、熊本のご家族は大丈夫?』と訊いて下さる。

すると仙台出身で、今も故郷に姉妹がいらっしゃる先輩ナースさんも「え?熊本出身なの?大丈夫?」と。

・・・・。熊本は大丈夫じゃないのですが、うちの家族、特に母は大丈夫なんですわ。何と説明したら良いのか分からないけど。

数日前そんな会話をしたことを思い出していた頃、母からの着信があったのでこちらからかけて見た。

避難所は実家からたったの一分ほどで行ける小学校の体育館。ええ、幼い私が通っていたところ。

すると家に帰ってお風呂を沸かしている途中とのこと。

・・・・。さいですか。

「ほとんどの人はまだ避難所にいるよ。私は家を片づけながら風呂沸かしている。周りの立派な家の方が傾いていて、うちは冷蔵庫も倒れなかったんだよ。」

うーん・・。何となく分かる気がする。

************

私が小学校の頃、8つ年上の叔父が亡くなった。

それが初めて遭遇する死別だった。

私はお爺ちゃん、お婆ちゃんのことを父ちゃん母ちゃんと呼び、叔父のことをA兄ちゃんと呼んでいた。

叔父はまだ18歳だったが、昔からやんちゃだった。当時の熊本でのやんちゃと言えば、現代のやんちゃの比じゃない。つまりは悪かった。

しかし、私のことはとても可愛がってくれていて、大好きなお兄ちゃんだった。

そして新車を買ってたった一週間で仲間と同乗中に暴走行為をして他界してしまった。

初めて知る悲しみと喪失で茫然としていたのだけど、子供の当時、私は今よりも色んなことが見えたり聴こえたりするものだから、毎日夕刻になると、兄ちゃんが帰って来るのが分かった。バイクの音まで聴こえていた。

居ないはずの兄ちゃんがTVの前であぐらをかいていたりとか。

生前、よく兄ちゃんだけがテーブルでご飯を食べずカレーの皿などを抱えてTVの前に陣取っていたかのように。

そうして段々兄ちゃんの姿は透明に近くなって行って、ある日、とうとう本当に帰って来なくなった。召されたのか、納得したのか。

それから半年くらいたった頃だったか。

家を建て替えるという話が出てお婆ちゃんやお爺ちゃんや母が嬉しそうに図面を見ていた。

私はそれが不思議だった。そして、嫌だった。まだこんなに悲しいのに・・・と。

保険金で家を建てるということを聴いたせいもある。人が死んで何かがうるおうなんて嫌だ。全部、元に戻して。帰って来て、兄ちゃん!と思っていた。無口な子供だったので誰にもその心情を語らなかったけれど。

それはともかく、当時、”とうさん”と呼ばれる大工さんが居た。

お爺ちゃんの友人の大工の頭領で、腕は確かだけど、アル中で、何故だかその奥さんもいつも一緒に遊びに来ていたのだが。

昔から我が家に来てまで夫婦喧嘩を始めるので辟易していた子供の私。うちで怒鳴り合うなよと。

大工のとうさんがビールを開けろと言う度に、うちのお爺ちゃんが「お前は!ほんとに酒、止めろ!」と怒号して決して飲ませなかった。「このままだと死んじまうぞ!」と。

それでもとうさんは飲んでいた。

そんなとうさんだったが、それからわずか数年で他界してしまった。

飲んだくれで、人んちで女房を怒鳴る男だった。

しかも、爺ちゃんが頼んだ図面と全く違う仕上がりに建った新しい家。

そりゃそうだよな。結局、ビール持参して来て、しょっちゅう飲みながらどんな家にするか話し合っていたんだから。あのべろんべろんな状態で正確さが追及できるわけないと、これまた子供ながらに驚きもせず納得していた。

そしてあれから何十年。

とうさんは、しょーもない人だなーと思っていたのだけど、洪水が来てもどでかい台風が来てもうちの家だけは無害だった。

そして今回の地震。

やはり、家具などは多少倒れても家自体はビクともしなかったという。

余所は冷蔵庫も倒れたというのに、うちは冷蔵庫を初めとする思い家具だけは何一つ倒れなかったらしい。

今更ながら、昔の大工さん、飲んだくれのとーさんの腕は凄いな・・・と感心してしまった。

とーさんは、飲む、打つ、買う。そしてべろんべろん。周りに蔑まれていたけれど、それでもやはり頭領だった。

そして、数十年後、うちの母や父や妹とその子供の命を守ってくれたのだ。

確かに家の中はぐちゃぐちゃモノが落ちているにしても、うちの家族だけが避難所にいなくて済むということ、そして何より怪我一つないって・・・・。

何せとーさんを信頼し仕事を依頼するような人間はうちの周りには爺ちゃんくらいしかいなかったから、こんな結果になったわけだ。

大工の頭領、爺ちゃんの友人、人が良いとーさん。ああ・・・でも、あの可愛い鳩を捕まえて焼き鳥にして食うっていうのも大嫌いだったなあ。

お礼を言おうと思ったら同時に嫌なことも思い出す。でも、とーさん、人が良くて、全然儲けてなかったんだろうなあ。

それでも、とーさん。物凄く曲者だったとーさん。あなたは没後の未来にすら大仕事をやって下さった。

ありがとう。

人間って凄いよなあと思う。

大嫌いだったけれど、結局、その突出して極端なところを持つ人間が昔は多かったということと、とどのつまり私はそんな人間に感動すら覚え、心底嫌いになれない。というよりは、むしろ好きなんだ。

ああ、それにしても震災は嫌だ。辛すぎる。
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2016年04月04日

押し付けがましさゼロ

先日お二方とのセッションをやっている際に『せんせ、我儘言って良い?』とお一方がコーヒーをご希望された。

おっけーと気軽に返事したら、肝心のコーヒーを切らしていたので「あ、ごめんね!この間ので最後だった。買って来るの忘れてた!」と謝罪。

コーヒーメーカーがぶっ壊れてしまった後、いっそミル買って手挽きで挽いた方が美味しいんじゃないかな?あと、ケトルと大き目のビーカーだかポット買おうかな?なんて考えているうちにまだ買っていない。

コーヒーメーカーって酷使するとすぐ壊れるものが多いし、安めのやつだと美味しくない。しかも、大人数の依頼人様がいらっしゃる時にもいっぺんに沢山の杯数を入れられないから不便なんだよね。

結局繋ぎに一杯一杯ドリップするコーヒーを使っていたのだが。

「今年の先生の誕生日のプレゼントはコーヒーメーカーにして良い?」と言われ、「いえいえ、そんな大層なものは要らないですよ。お気持ちだけで。」と答えたところ、「いや、自分が飲みたいからですよ。」と言われて大爆笑。”おめーのためじゃねーよ”って感じで面白かった。

すると、もうお一方が「それじゃあ、私はコーヒーミルにしますよ。」と仰るので再び「いえいえ!」と言ったところ、「いえ、私が飲みたいからです。」とこちらの方も仰るので爆笑。

で、似たような話だけれど、上級卒業生の方々のためにと劇団四季のミュージカルのチケットをプレゼントしてくれた夫が、当日観劇後のレストランまで予約してやると言った時のこと。

いやいや、良いよ。適当にその辺に入って茶でもするよ。あの辺ならいっぱい店あるじゃん。と答えたのだが。

『いや、何言ってんの。皆さんのためだよ。(勘違いすんなよ。)』と言われたのでまたここでも爆笑。

何がそんなに嬉しいのか自分でも分からないのだけど、自分の好きな人が自分のために何かしたり、あるいは、自分の好きな人たちのことを誰かが理解してくれたり大事に思ってくれたりするのが物凄く嬉しい。

しかも、さりげなく私のためにって心も入っているけれど、拒否る性質だと分かっている故「おめーのためじゃねーから。」というニュアンスで押してくれる優しさが粋で大好きなのだろう。

そう言えば観劇後、結果的に凄く美味しい牡蠣とワイン等を皆で楽しめたのだけど割とリーゾナブルだった。ほんとに良い店を選んでくれたものだ。

で、どこかコーヒー屋さんに行こうということでお会計して小一時間茶ぁーしばいた後、誰かが「さっきのお金。」と言って財布を出した。

私が「えーと、一人○○○円。」と答えると無言で”嘘言ってんじゃねーよ。”と言わんばかりに、あくまで非言語ではあるが、お金が言った金額より多くボンボン重ねられて行く。

み、みんな、さっきの伝票、見てたの?これじゃ多いんですけど、せめていくらいくらと代替案を出したのだけど「見たよ。」とざざーっと立ち上がってバッグ持ったりトイレ行ったり。

色んな面で性質(たち)がばれてーら。しかも、さりげない思いやりと強めのストローク。

誰にでもされたら嫌なのだけど、要はラポールなんだろう。何だかとても面白いし、とても暖かくて嬉しかった。

人によっては理解されるのは嫌な気がしない。しかも、そんな人々に限って気遣いが押し付けがましくなくさりげない。

色んなことに幸せを感じる日々を送っている。
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2016年03月25日

そこが原点

まあ仲間が居て、その闘いは不思議なことにリンクしている部分がいっぱいある。

けれども、それとは別個、個人的に律して行かなければならない部分が沢山あるということも確か。

私は私の闘いをしたり、私なりの休息を与えて時間を構築したり、価値観を大切にしたりしている。

けれども、あくまで人間なので、私が『え?違うだろ、それ。』と思うとき、あまりに大勢の人がそれを正しいと信じ込んでいる様子を見ると、『あら、私の方が間違っているのかしら?』と一考するわけである。

もっと言えば一考も二考も三考もしれ練り直す。

はたまたあるときは、論外で一考に値しないほどあきらかなケースもある。

どちらにしても大なり小なり人間だから揺らぐのだが、やっぱり譲れないものは譲れないし、おかしいと思うことはおかしいということに辿り着く。例え相手が複数だったとしても。

そんなとき、頭やハートの傍らに、種類は違えども、自分の闘いをしたり自分の癒しに取り組んでいる仲間の存在が大きく影響しているのだということを最近特に感じる。

だから私は独りよがりという意味ではなくて、今日も自分を信じようと思った。

ナースだろうが、カウンセラーだろうが、顧客を自己実現のために利用するなんてことがあってはならない。

ましてやスタッフ間での不毛なパワーゲームなんて一番無駄なロスタイム。

そんなことを考えつつ、これからも私は自分のハートの真ん中を生きよう。

ただただ迎合するロボットになるのではなくて、自分の信じた道を選択して行こうと思う。

それは思ったより不安だったり恐怖だったり色んな感情を運んで来てくれてしまうには違いないのだが、ただ、確かなことは。

向き合ったり乗り越えたりした分、強く柔らかくなって行っているということ。

色んな意味で頭に浮かぶ面々に感謝している。
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2016年03月02日

それでも生きていた方が良い

私は故意に電車に飛ぶ込むなんて方法を選ぶ魂をお持ちの方は生きていても死んでいても嫌いだし、出来ればこれまた生きていても死んでいてもお関わりにあいたくない。

それを片づける人の身にもなってみ、それによって仕事をふいにしてしまった人のことを考えてみ、それによってパニック障害を車中で起こした人のことを考えてみ・・・その他そんな特別な理由がないにしても充分多くの人が困る。

とは言うものの、そんなふうに他人のことなんて考えられないからその方法を選んでしまうわけで、そこに到った理由というものが垣間見えてしまう。

それはさておき”認知症男性JR事故死 家族側が逆転勝訴”というニュースにおいては、あくまで個人的な見解ではあるけれど、ああ、良かった。そうでなければ世の中どうなってしまうのか?とまで思っていた。

”2007年に愛知県大府市で認知症の男性(当時91歳)が1人で外出して列車にはねられ死亡した。JR東海が「列車に遅れが出た」として、男性の妻(93)と長男(65)に約720万円の支払いを求めた。”

そのニュースを聴いたときの率直な感想は、91歳の女性が93歳の伴侶にずっと貼りついていられるか・・・ということ。
で、各自事情があり、おそらく高齢になっても息子さんやその他のご家族も働かざる得ない状況だったかも知れない。

私が訪問入浴でお邪魔する介護や障害のご家庭は、とても努力して在宅での工夫をなさってはいるものの、それですら限界がある。

それより何より、なんか、大切なことを忘れてないっすか?と思ったのだ。

損害、損害って・・・・仮にもあなた方は・・・人間一人をひき殺したというこでもあるんですよ。事故であったとしても、普通の交通事故でも『誤って人を殺してしまった。』と表現するよね。

自ら飛び込んでしまう方の場合はまるで当たり屋のような行為(しかも、当たり屋のような行為だとうのに逆に自分が何一つ得しない。)で避けられないかも知れないし、さすがにこちら側はどうしても鉄道会社側が被害者に思えてならない。

でも、本当に単純に90を越える伴侶を失った遺族に金を請求するってな部分が何か、忘れてませんか?

故意ではないけれど、はねてしまったのですよ。それとも90越えたらいいんですかってな話にまでなって来る。

これからどう対策して行くのか?ってところの対策は必要で、損害だの請求だのとそんなことばかりに意識を集中させたところで何度でもこんなことは起こってしまうだろう。

多くの人にとって対岸の火事ではないのよね。

何か、大切で大きな忘れ物が多い時代になって来てたまらんなーと思う今日この頃。
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2016年01月28日

空の言葉

皆と違うということに不安を感じる人も居るのだけど、私の場合は自分の気持ちや心について嘘をついたときが一番気持ち悪い。

小さな出来事でもありだいぶん前のことだったので、しばしば忘れていたのだけど、自己セラピーをしていて気が付いた。

そりゃ風邪だか何だかの形で出るわけだ。この心の不納得が。

今月の大雪が降った日、ごく短い間の出来事だったのだけど、私を含めたったの三人しか出勤出来ていないときのことだった。

三人とも死にもの狂いで来て、私なんぞは背が低いのも手伝っていつにも増しての超満員電車の中で両手が傷だらけになったり腫れたりしているほどで。

そこまでとは行かなくとも私より少し早くに着いたSさんもMちゃんもびしょ濡れさ加減と寒さでへとへとだった。

ところが「来れるところまで来て下さい。」と如何にも自分は先に着いていて「着いてないのはあんただけだよ。皆待ってるよ。」というようなニュアンスのメールが管理者から届いていたので「来てねーのかよ。しかも、午後三時稼働かよ。はよ言えよ。」と三人とも憤慨していた。

さらに言うと「電車動かないから暖かいカフェにいる。」というメールが来たときには、私たち急遽三人で編成したチームで三人とも氷水の道に足首まで使ってお宅に物品を搬入している最中だったので余計に怒り、マックス。もう笑えるほど空気とか読まないし人の気持ちわからないのよね。

本来は中止にする予定だった人のところに午前中に必死でお伺いしたところ、その方は先週も人員不足で入れておらずいつもよりお体が汚れているわ、冷え切っているわで非常に可哀そうなことになっていたし。

しかも皆やる気はあるのに人員が余る日があったり足りない日があったりするのが管理者の調整不足だと分かっているので、三人とも怒っていたわけなのだけど。

問題は、その後の場面。
その一件を終わらせて、真っ青な顔と凍傷のように真っ赤になった手足で事務所に戻ったとき、何と、余所から応援を要請していたヘルパーの女の子が到着してくれていた。

まあ、一人到着してももう一台稼働出来るというわけではないのだけど、応援だというのに、この天候の中を一生懸命来て下さったのだと思うと申し訳ない。なのに長がお茶しているなんて何かがおかしい。

で、その女の子がいる営業所の方の長の異動話をSさんが熱心に聴いていた。

皆、各営業所の状況やらをよく情報交換しているらしいのだけど、私はそういうのに無頓着。

でも、聴こえて来るところによると、そちらの営業所から二人、管理者クラスの人が移動して来るとか、あと、よくわからんけど、新しいセンター長がこれまた別のエリアの○○さんになるとかいう話だった。

もっと色んな情報があったのかも知れないけれど、あとはよく聴こえなかった。(ってか、聴く気がない。私は訪問入浴をやりに来ているんだから。)

すると少ない人数だというのに大騒ぎになっている。SおじさんもMちゃんも『うっわーー!信じられねー。もう辞めよう。』と言って居る。

どうやら好ましくない人が来るらしい。

しばしそうして騒ぎになっていたのだけど、黙ってカルテを読んでいる私に向かって「強烈なメンバーばかりになっちゃいますよ。あいつらのこと嫌いじゃないやつなんて居ないんだから!いったい誰があいつらとやっていけるんだ。特にあいつ!」と言って来た。

私は「????」だったので笑ってごまかしてカルテに視線を落とした。「え、ちょっと話を聴いてなかったのでわかんない。」と言って。

すると「例えば○○ですよ。あのくそ生意気な女。好き?尾崎さん、好き?」と。

周りからすれば一瞬のことだったのだろうけど、頭の中で色んな想いが廻った。

多分私も嫌なことをされたり言われたり実際にいじわるされたら彼女のことを嫌いになるかも知れない・・・というよりその場ですぐ怒るだろうな。

でも、まだ一度も嫌なことされていないんだよな。もちろん影では言われているのかも知れないけどね。

自分より上司の人には泣きつき、下には酷い扱いをするそうだ。でも、実は上司の前でのそれは嘘泣きで、相手が立ち去ると舌を出して笑うのだとか。

そりゃきしょいなと思うのだけど、それを私は見たことがない。

ええ、それと、確かにそこまで言わなくともというほど誰かがけちょんけちょんに言われているのを目にしたこともある。後ろの座席から口を挟んだりはしないが、「頑張れ、自分が正しいと思うなら今この場で意見しろ。」と新人さんに思ったこともある。

「社員なもんだからすぐ『バイトのくせに。』という発言も多いじゃん!」

ああ、確かに彼女の営業所へ行ったとき、新しい人を紹介される際「○○くんです。この人は社員ですから!」とそこだけ念を押すような言い方をされたこともある。

でも、「ああ、そうなのね。社員さんなのね。」と答えただけだった。私は私の仕事をするだけだから。

「あとさ、今度はIのことだけど。あいつの下に着くのが嫌で俺は異動願いだして来たんだよ。マニュアル通りで、機械みたい。喋らねーから何考えてるかわかんねーだもん。」

ああ、そうだね、彼は確かに口数が少ない。でも、彼の営業所に行ったときには、非常に丁寧に利用者さんの情報を教えてくれるし「・・・。尾崎さんが来てくれると癒されます。」と気持ちを言ってくれたことを思い出す。ええ、例えそれが嘘でも。

そう言ったことを繰り返していると、誰一人、積極的に嫌う要素が見つからないし、実際、好きでも嫌いでもないんだな、これが。

いや、もちろん、今の長に実質自分のペースが乱されるようなことがあると嫌いになるかも知れないけどね。

それなのに「好き?」と言われたとき、「いや。」と言い、「嫌い?」と言われたとき「うんうん、嫌い。」と答えてしまった。

その場の喧噪はそれで収拾がついた。

なのだけど、日数が経つと思い出しちゃうんだよね。何で嫌いでもないのに嫌いなんて言っちまったかな。迎合しちまったかなと。

もちろんそう言わないとその話が続くから面倒だったってのもあるけど、何で嘘言っちゃったかな。

Dヘルパーさんも「あいつさ。云々。」と悪口を言われ、確かにまだ未熟なところがあるけれど、「あの横柄さが許せない。しかも、あいつもなーーーんにも喋らないよな。」と言われると「あ、そうなの?」と思ってしまう。

何故なら誰も居なくなると「胃が痛いんですよね。もう辞めたいです。」と色んなことを話してくれていた。

皆と自分の感じ方が違うのは仕方がない。

ただ、なして嘘言うたかな?と思うと、せっかく今しがた、三人で氷水の道を歩み仕事を終わらせ、色んなことに共感して来たから、一緒ってことにしておきたかったのかも知れない。

でも、もう二度とこういうのは止めよう。

自分に嘘つくことが一番きしょいから。

違うときゃ違うでしゃーないじゃないっすか。
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2016年01月21日

地味と真面目は違う 苦労自慢と努力も違う

まーだ雪が残っている。しかも、ところどころアイスバーン。つるつる滑って危ないわあ。

昨日・・・・というより、長年の話しを引っ張るが、人は依存セロでは生きていけない。(助け合いを含める相互依存や相互成長を含めて。)

例えば私が時代時代で気付きを得て来たことですら、ぜーんぶ、世の中や他人から気づかせて貰ったことばかり。

色んな情報や色んな考え方の人に触れて「なるほど、そういう考え方もあるんだなあ。じゃあ、私はどうする?」という調子で、決して一人では学んだり気付いたりすることが出来なかったものばかり。

でも、昨日お越しいただいた依頼人さんとの間であがったのは、依存的過ぎる人の話しだった。

誰かが何かすれば同じことをする。

自分がやっていることを承認してくれなければいじけるとか。

その昔、もっと凄いなあと思う人に会ったこともある。

自分は鬱で何も出来ないから夫が全てやってくれているの。とサメザメ泣いているのを観ると、あんまり自分を責めないで・・・と言いたくなるのが人情なのだけど。

そして、根本的に立ち直りの理論はまず自分を大事にすること、無理をしないことであることには変わりない。

で、その方はそのアドバイスが凄く気に入っている様子で「じゃあ、何もしないで良いんですね?」とウキウキしていた。

あれ?と思った。

自称鬱歴が長い人に多くて、下手すると無理するなとか頑張るなと言ってくれる人を探す。泣きながら探して、その言葉を貰えるとぴたりと涙が止まる。

で、その回復期に有効な手段をずーっとやり続けようとする。

けれども、配偶者に「ここが汚れている!きちんと掃除機かけて!」とか、「もっと給料取って来てよ。」などと言っている姿を目の当たりにすることもある。

配偶者の人に申し訳ないのだと落ち込んだり泣いたりしていた同一人物とは思えないくらいの形相で。

それでも、昔はそういう人のことも肯定的に観たい気持ちが強くてその矛盾に目を背けていた。

お金を持っている人を見つけると「○○さん、あの学校に行かせてくれないかなあ。」とウキウキしているのにもビックリした。

お金があれば卒業出来ると思っているらしい。

そろそろ他者に目を向けたり思いやりを持つ余裕が出て来るほど回復した頃、そういう人は「やばい。」と思うらしく、「無理、無理。絶対出来ない。誰かがやってくれなきゃ。」と途端に具合が悪くなる。

要するに一時的に元気になっているかのように見えたのは、依存相手がすり替わったというだけの話しだった。

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昨日、某若き社会学者の話題にもなった。

彼は大学院でも相当な研究をしているし、沢山の大学を卒業している。

でも、『いや、努力なんて何もしなかったですよ。努力嫌いだもん』と言う。

経歴と年齢をみると、いや、かなり密に努力してないと今の肩書きはないだろうにと思うのだが。

その意味が分かった。

彼は勉強するということを努力だとは思っていなかったらしい。

で、感情が乏しいのか?と思いきや、良く観ると、怒るべきところできちんと怒っていた。怒ってしかるべき相手にきちんと怒っているので、他人にあたることはない。

しかも努力云々じゃなくて、自分が勝手に好きなことを学んで来ただけだという認識なので、他人に努力しろと押し付けることもない。

まだ若いその方のコメントを聴くと「は?」と驚くことがあるものの、ふと思う。

あそこまでの人々というのは、努力自慢もしないし、自分が真面目だとか、決して言わないなあ。

でも、真面目に向き合っているのだけど、真面目な人ほど「いや、あれくらいのこと。」と言って、また執筆活動に入ったり。

第三世代が出て来たとも言われている人なのだけど、真面目と地味と同義語だと思い込んでいる人が多い社会の中で、あの極端さは面白いなと思った。

ちなみに、昨日いらしたクライアントさんも多分自分のことを真面目だと思っていないし頑張っているとも思っていないようだ。

いつもとても綺麗にしていらっしゃるし、喋り方も落ち着いて穏やか。でも、その奥には前向きな炎がある強い人。

真面目な人ほど自分をナマケモノと言う。
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2016年01月20日

ある日の靴下 / 選択

昨日の訪問入浴の最後のお宅に着いたのは外が暗くなる頃。

私が入った頃、厳しいし細かいのでこのおうち独特のやり方を守ること!と言われていた介護者様は利用者様のお母様。

実際、長が怒られている場面や他の人が厳しく言われている場面も目にしたことがあるにはあるのだけど。

それは言われても仕方のないことばかりだった。で、よくもまあ、要注意なんて言う言い方をしておきながら、このお母様に失礼なミスが出来るもんだと長にビックリしたこともある。

で、そもそも大事な娘さんをケアさせる上に、娘さん自身が障害のために何も言葉で苦痛や不満を発することが出来ないのだからお母さんが目を光らせて代弁するのはあたりまえ。

それ以前に自分の家に他人が三人もどかどかと上り込んで来て風呂の機材を持ち込んで仰々しい作業をやるのだから、逆の立場だったら新しい人が来たら警戒するだろうし、ベテランさんが何か違うことをすると「もう、何回言ったら分かるのよ。」と言いたくもなるだろう。

娘さんはもう成人になってからも長い。その長い介護の生活で酷く疲れていることも多いようだ。

「もうねえ、この間、こういうことがあってね!あの人ね!いや、あなたに話しても困るっていうのは分かるんだけどね。」と怒って話している声をあちら側から聴いて他のスタッフが固まることもあったけれど、私にはその声が泣いているかのように聴こえたこともある。

そんな諸々の話しの流れをお湯が溜まる間に聴きながら、「お疲れさまです。」と肩を揉ませて貰ったことが三回ほどある。

「いやあ、もう、ありがとう。ありがとうね。」と言っているその肩も背中も鉄板が入っているほどに固かった。何せもう娘さんもお母さんの体重を追い越しているわけだから当然こうなるよね。

で、昨日の雪の日、お伺いした際、「お久しぶりですね。今年もよろしくお願いします。お元気ですか?」と訊いたら「うーん、あんまり元気じゃない・・・。」と言うお母さま。

が、すぐに下の方を観て「あらあ!」と大きな声で叫んだのでビックリした。

え?何?

「どうして裸足なの?!こんな日に!しもやけになるわよ!」

いや、これ、しょうがないんです。何回靴下を履き替えても車を降りる度、誰かのおうちに近づく度に濡れて冷たくなってしまうの。しかも、その濡れ足で靴下履いたままお宅にあがっちゃったら訪問先に濡れた靴下で足跡を着けてしまうから。。。

でもね、もう、ここ、○○ちゃんちが最後なんで、良いんです。

「もう、大変よね。ありがとう、来てくれて。デイサービスの人もね、雪の中、必死で来てくれたし、もう皆凄いよね。」

ああ、そう言えば、朝の混雑した駅のホームで30分も1時間も待たせられて寒くて不機嫌になっていたけど、駅員さんが必死だった。考えてみれば彼らがホームに立っている時間なんて私たちの比じゃないのに。

やっと立川に辿り着いたとき、なるべく速足で出勤していたら、今まで気が付かなかったけれど、”こんなところにお弁当屋さんがあったのか。”というのを発見。

お弁当屋さんと言っても、一人暮らしのご老人やご病気の方々のためにお届けするためのお弁当屋さんだ。

で、何で初めて気が付いたか?というと店の前に車が止まっていて、そこに会社名のロゴが書かれてあったから。

そして、ぶーーん!ぶーーん!とスタッフがエンジンを大きくふかしていたから。

雪が関係あるのかどうかは分からないが故障して車が動かなくなったのだなという様子が一瞬で観て取れる。

通り過ぎるときに聴こえた。そして観た。

「どうしましょう?」というスタッフに、違うスタッフが「どうしましょうじゃねーよ!みんな、ご飯食べて貰わなきゃ死んじゃうじゃんか!何としてでも届けなきゃ!」と車の下に潜り込んでいた。

皆必死だったな。

話しは逸れたが、お母様と「皆頑張ってましたね。」とそんな話をして、無事に娘さんをお風呂に入れて、ベッド上でオムツやお洋服を着せていたときのこと。

「あのさ、これ、一回履いちゃったやつで申し訳ないんだけど、うちの子の靴下なの。サイズ、ぴったりだと思うんだけど。」

それは分厚いアルパカの毛糸の靴下だった。

思わず爆笑と涙。ありがとうございます。大丈夫です。そんなのいただいたら、私、何しに来たんだか。もう帰るだけですから。

「いやいやいやいや!帰りも絶対寒いから絶対履いて行ってよ。あまりにも可哀そうよ。帰ったら捨てても良いからさ。」

内心思ったのは「当社は黒靴下、黒いズボンと決まっているんだけどな。これ、すっごい可愛い模様入ってるし、どちらにしても・・・。」ということだったが。

「早く!」と言われて、「あ、はい。」と履いてしまった。

うわあ〜、あったかいわあ。久々の靴下。もう午後からすっかりあきらめていた靴下。

「良かったわあ。風邪ひかないと良いんだけど。」

まじで暖かった。何て優しい方なんだろう。そして私が「うわあ〜、暖かい」と大きな声を出したときの、お母様の嬉しそうな笑顔。

色んなことが染み入る日だった。

誰が捨てるもんですか。大切にとっておきたいです。愛する娘さんの靴下を、ありがとうございます。

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うって変わって今日はカウンセリング、クリスタルヒーリング一件、電話。そして特に午後二番目にいらして下さった方と一番長い時間を持てた。

沢山色んな会話をする中で、共感できることが沢山あった。

何もしようとしない人と何とかしようとする人の話し。

ロジカルな人とか前向きな人とか、責任感がある人は、よくよく怒る側になったり、対策を講じなければならなかったりと大変な思いをするのに対して、依存度が強い人は、とにかく人がやってくれるのを待っているか、如何に人にやらせるか?ってことばかり。

そういう関係があらゆる人間関係の場所に存在する。親兄弟、姉妹や友人関係など、どこにでも。

パンクするのは自分でやろうとして来た人の方が多い。

それで今日もそんな例を聴かせていただいて互いに話していたのだけど、依存的なんが強すぎる人の方が楽に過ごしているケースも多いし、まあ大丈夫なんだろうな。もしかしたら得しているのかもね。とか。

でも、意見が一致したのは「でも、ああいうふうにはなりたくない。で、余計に苦しそうだ。」ということ。

他にも怒りのマネジメントについて話したり、レイキをやったり。

で、この方と接するといつも思う。私はやっぱり、自分で道を切り開いて行こうとするこの人のような人が好きだな。
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2016年01月08日

タイミングと思いやり

ある日の件案で「ママ友同士の社交辞令が大嫌い。こんな会話していて何になるのか?」と虚しさを訴えて下さった方がいらした。

その方はたまたまママ友に言及して話して下さったのでひらすら素直に聴いていたのだけど、とことん耳を傾けてみると、ママ友だけのことじゃないのだなということが分かった。

職場の人や学生時代の友人とも、全ての人間関係において同じようなことを感じ、はがゆい思いをしていらっしゃるということ。

その結果どこに行っても疎外感を感じたり否定的な気持ちになったりしているうちに終始怒りの感情に見舞われて苦しむことになったという状況。

人はそれぞれ違うストーリーを持っているのだけど、時折、シチュエーションや言語が違うだけで核は同じ問題だということもある。

また別の方はネットの掲示板で知り合ったグループとトラブルを起こす度に「所詮ネットだから。もうネットの人付き合いは止めようと思います。」と言っていたけれど、やはりネットだからということもなく実際に会う仕事仲間やかつてのご友人と同じトラブルを起こしていた。

もっとも起こしているという自覚はなく、あくまで被害者だと思い込んでいらっしゃるのだけど、逆に物凄く加害者だよ、あなたの方が。。。ということはよくある。

でも、人は見たいように観て聴きたい部分だけを聴き、捉えたいところだけを捉える心のフィルターがついているので、どうしても「ネットだから」とか「ママ友同士は・・・」ということにしたくなる。

それで気持ちが楽になるなら全然構わないのだけど、それが長期に渡ると本当に孤独な被害者という自画像が出来上がるし、そこにドンドン筆を加えて行くために他者を利用するようになってしまう。

ある人は「朝礼でのごたくが嫌い。」と足でドンドン床を踏み鳴らして怒っていた。「そんなものは時間の無駄なのに皆なんで我慢しているのか?」と。

私個人も、オール社交辞令で生きている人は苦手だし、思っていることと言っていることが全然違う人の様相がクリアに見えてしまうようになってしまった心理学を学んで以降は、「やり過ぎっす。」と内心思うこともある。

でも、社交辞令や天気の話しなど、簡単な会話すら出来ない人と深い話をしたいと思う人は居ないだろうと言うのが事実。

笑い合ったり、言葉をそのままに受け止めてキャッチボールをするような肩慣らしが出来ないのに何故に「もっと大事なボール下さい。」という心構えが実はずうずうしいのかも知れない。

肩慣らしのボールをボロボロ落としたり捨てている人に大事なボールを投げたいという人は皆無だろう。

そういう目に見えないボールのやり取りを人は存外によく観ているものだから。

逆に投げても投げても受け止めてくれないと嘆いたり怒り狂ったりすることが多い人もいるのだけど、それもまた原因がある。

相手が何か他のことをしていてこちらを向いて居ない時に横からいきなり剛速球を投げているのに『大事なボールだったのに、受け止めてくれない。』と言っているという状況を延々と繰り返していたら、ボールをぶつけられる方は痛いので近づかないようにもなる。

貰ったボールを正面から受け止めて、どれくらいの強さで来たのか?をじっくり感じ取る。そして願わくば同じくらいのボールを投げ返してみる。
多分人は本来そういう感覚や思いやりを大事にする生き物なのだと思う。

「なんでボールくれないの?ボール頂戴よ。いっぱい投げたのに。」という感覚が恋愛や友情やあらゆる人間関係に及んだら相手は『いや・・・・。いっぱい投げましたけど。全部捨ててやん。もうありません。』となっても不思議じゃない。

あるいは何度も捨てて来たボールを地面から拾いあげ、いきなり投げても相手はもうこちらを向いていないかも知れないわけで。

タイミングってのも大事で、待つということも大事。

でも、そのタイミングっていうのは自分のことしか見えていない人にはまるっきり見えないのでますます自分を孤独にする。

で、孤独を感じるとますます焦って、ボールどころか自分自身の身体をガーン!とぶつけてしまう人もいるのだけど、そりゃビックリされる。

他人様がいきなり自分の居間で勝手に寝転んでいたとか、いきなり風呂場に入って来たようなものだから。

逃げられることをしているのだけど、逃げられるとますます嘆く。

悪循環なのだけど、その悪循環は誰が作ったのか?そして悲壮感漂う被害者の自画像を丹念に描くために人を利用し続けて来たのは誰なのか?というシンプルな話。

しまいには自分が嫌いな人のことまで延々と執着し続けたり、要するに他人が向いている首を自分の好きな方向に向けさせようとしたり。

簡単に言うと、痛いことは誰でも嫌なのよね。

この悪循環を抜け出すコツは自分も痛みを本気で嫌になること。

楽しみや喜びの方を大きく感じるようにするには、自分が嫌だなと思うことを自分が手放すこと。

そうすれば他人の生き方や持ち物、考え方にまでずかずか入り込んで行ってまで地団駄踏むエネルギーが節約できるかも知れない。

仕事で疲れるとか、やりたいことをして疲れることがある。でも、その疲れは休めば取れる。

でも、物事をそのままに観ようとしない歪みは、寝ても寝ても取れないのよね。どこで誰と何をしていてもその作成した歪み故に消耗して余裕がなくなって行く。そして余裕がなくなると、どうしても他人を動かしたくなる。
でも、過去と他人は変わらない。

「変われない、変われない。」と言っている人のジレンマはここにある。それは自分じゃなくて他人を変えようとしているのだということに気が付くその日まで。
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