2017年04月21日

こんな今日も思い出になっていく

何だか今日はいまいちな日だった。

というのはやっぱり仕事がらみになってしまうのだが。

自分がやらなければならないと思うことについて半分も出来ていなかった。

誰も気が付かないかも知れないし誰も何も言わないのだろうけど自分が見ているので非常に居心地が悪い。

また自分らしくない自分勃発。

もちろん思い通りになる自分が必ずしも自分らしいのだとは思わないし、このダメっぷりも私らしいのだろうけど。

それでも、何だか違うなあと違和感を感じる。

今のこの感じってどんな意味があるのだろう。

何だかたゆみなく続けて来た何かを失っているような気もするが、そこまで考えてまた新たな発見。

また奥底の自分を発見したのだろう。

上澄みだけのペラペラな安っぽいかっこつけじゃなくて、自分をよく見せようとするのでもなくて、不格好だけれど生身の自分が出て来ている。

じゃあ、どうするのか?というと、これまたやって来たことを続けて行くしかないなと思う。

何故新しいものはこれまでの積み重ねがあって初めて生まれるのだから。
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2017年04月16日

青空

事務所まで夫が送ってくれる道すがら少し寄り道をしたのだが。

寄り道と言っても偶然その道を歩いて出くわしただけ。

車内からフロントガラスに映る街の光景を目にしていたときから思っていたのだけど、ピンク色の雪のように無数に降りしきる桜の花びらが美しくて美しくて。

そして至るところのアスファルトに敷き詰められた桜の花びらの絨毯が美しくて美しくて。

少し強めの風が吹けば地面から渦を作って舞い上がり、そしてまたひらひらと落ちて行く。

今年は結果的に桜が咲いている時期が長くなった。

実はこの葉桜になりかけの光景が一番好きだったりする。

柔らかに太陽が照らしているこの世界はまるで地上の天国みたいに美しくてため息が出るほどだったので写真か動画に収めようとしたのだけど。

ダメだね。肉眼で見るのと全然違う。

だから心に写し込むことにした。

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メールカウンセリングを返信できないうちに電話カウンセリングを受けることになって申し訳ないなあと思いつつのセッション。

またある人などは返信できていないうちに面談を三回も四回もやっていたりとか。

なのだけど崩せない順番。そして少々の息抜き。

力を入れると余計に遅くなってしまのでコツコツと行こう。

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先日のヒプノトレーニングの会も今日の電話カウンセリングにおいてもふと考えさせられる。自己肯定感と独りよがりの差。

あくまであらゆる文献やマニュアルに目を通したりそれに触れたりしてみた後の話だけれど。

知識を入れたら、さっと捨てるか取っ払うことも大事。

そして直に口に出した言葉は「私はあんまり自分のこと好きじゃねーなー。」ということ。

ごく自然に見つめていると、「へー、こんなところでこんな感じ方をするんだ。」とか「こういうことが嫌いでこういうことが好きなんだ。」と普通に見える。

変わったやつだなあと思うこともある。

こういうところは凄く単純でこういうところが凄く複雑なのかあ・・・と知れば知るほど発見がある。

よくものの本には”自分を好きになりなさい。”と書いてある。

それはもちろんここに書いてあるような意味で書かれたわけじゃないものがあると思うが、やみくもにその言葉を繰り返す世の風潮には落とし穴があるなと現実の臨床では思う。

ある意味、鬱やその他のメンタル的不調をきたす人の多くは自分のことが大好きだから。

自分が好きだからやり方をあれこれ理由をつけて崩そうとはしないし、あらゆる人に意見を求めたり説明してアドバイスを受けたとしても「それは分かっているけど」と”はいでもゲーム”を続けている。

自分が好きだから、自分が関心があることや気にしていることを他人が気にしないと激しい孤独や怒りを覚える。

自分が興味のないものに惹かれている人を見ればけなす。

あまり他人のことは考えない。気にするのが他人にどう思われているかどうかということくらい。

その場合は、この世に自分と他人しか存在しないという思いこみが出来上がっている。一言で他の人と言っても何億もいるのだけど、自分対大勢という雑な見方しかしない。

その人が丁寧に関心を持つのはあくまで自分だけだから。

それは心理学でいう自分を見つめるという作業とはずいぶん違う気がする。

そこで思いやりという概念が登場する。

もしも他者も自分と同じように色んなことを恐れ、色んなことに悩み、それでも生きているのだとしたら?

そんなのそうに決まっているじゃないか、人間なんだから・・・と通常は思うものだけど、何故だかその人たちは違う。「いや、あの人はこれこれしかじかだから恵まれている。自分とは違う。」という見方をするんだよね。

自分は唯一無二のものだと思うが、他者もそうだろう。逆に言うとどんなに優れた人でも自分一人では何もできない。幸せにも不幸にもなることが出来ない。

だから他者のご機嫌を窺うのではなくて、他者から学ぶというのはキラキラしたギフトなのだと思う。

人は人と関わるときが一番手っ取り早く成長する。

なんてことを葉桜の季節に思う。
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2017年04月07日

良い話と悪い話

数年前、たった一人のお馬鹿な人のために長年使っていた便利なメールソフトが使えなくなった。

もしかしたらその人がお馬鹿なのではなくてその人を操作している方がお馬鹿な支配をしているせいかも知れなかったが。

でも、ニコニコ笑って言う通りにしている方も支配している方も両方お馬鹿なのか。

それはそれでいいかとそれを機にWebメールを使うようになっていたのだけど、今日突然画面が起動しなくなって、どうやらキャッシュをクリアすれば良いとのことらしい。

それでインターネットオプションから叱るべき方法をとって削除をクリックしたのだけど、それでもやはり表示されない。それどころかPCを再起動させても「削除できませんでした」というメッセージが出て来る。とほほ。

メールカウンセリング進めようと思ったのになー。

自分が何か変わったことをやらなくても外部が何かを変えてしまうことがある。

そういったことは本当に面倒だなあと思う。

何だか情報や時間のスピードが速くなるごとに、効率を悪くする出来事もふりかかって来るというこのジレンマ。

こんなときは。。。。ええ、やることやったのでしばらく放っておこう。ジタバタせずに。

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一日中カウンセリングや教育分析やヒプノ講座をして過ごした一日。

やっぱり事務所で出会う人々は一人一人、星の一粒一粒が濃いなあー。

色んなことが起こった。

そして、全部真実だった。

ふるふると心が震える人の勇気。強さ。

胸がいっぱい、頭もいっぱい。

丁寧に受け入れて行きたい。

一日は、そして人生は、その時々で無意味に振り回されているような気がする出来事と、その真逆に自分にとってとても意味のある出来事や人々と、その両方で出来ている。
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2017年03月28日

無駄な疲れもあり

ホームのナースの日は喧噪が激しすぎてドッと疲れる。

何故ならばわざわざ騒ぎにしなくとも良いことを騒ぎにする人も居るから。

しかも何せナースなので激しすぎる。

が、幸か不幸か私もナースなので他の職種の人々ほどは振り回されない。気持ちが分かるし、そういう状態に陥って興奮している人との接し方を心理学を通して学んで来たというのもある。

なので聴く耳をもたずに誰かに怒鳴っている人のモーターが止まるまで自分の仕事をもくもくとしながら待つわけだが、そのパワフルなモーターに刺激されて他の人のモーターまで回りだすと、さすがに「うるさい!」と黙らせたくなってしまう。

さすがにそれは口に出さずに席をはずして他の場所を使って仕事をするか、静かに返事することを繰り返している。いや、そう言えば何度か「うるさい。今それ言ってどうなるの。」と言ったこともあるか。

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来月から往診の曜日もドクターも変わるしシステムが大きく変わることについてもお騒ぎになられていた。

あれはどうなるの?これはどうなるの?と同じ質問をワーワー上司に向けている大御所様だったが、どう考えても上司だって始めてみなければ分からないことばかり。

簡単に言うと不安で不穏なのだ。

しかもその初回の往診日のリーダーが私ではなくて自分になっているということを知った大御所様はますます不穏になった。

「間違ってるよね!!!?尾崎さんにするべきだよね?」

いやいや、誰でも良いでしょ。というか、むしろ、ここでのキャリアは私の何十倍もあるわけだから、Sさんの方が適任だと思ってリーダーにされたんじゃないですか?

私の小さな幸せを奪わないで、やって下さいよ。そう言って笑ったのは、実はそれより少し前に当日のリーダーじゃないと知っていた私だったから。

「何が小さな幸せですか!大きな幸せいっぱい持ってるんだから小さな幸せくらい私に下さいよ!」と怒られた。

他にも色々お騒ぎになっていることが多いので、その場はまあまあってことで収めたのだけど、それから午後一番になってのこと。

また違うフロアでもくもくと仕事をしていると廊下の遠−−くの方で私の名前を連呼している大きな声が何度も響いていた。

私を呼んでいるわけではなくて、廊下の往来の真ん中で上司に向かって「尾崎さんにして下さい!冗談じゃないです。尾崎さんに訊いてみて下さい。尾崎さんの方が・・・etc」ってな感じで訴えかけている。

上司の方は何せ一生懸命作成している勤務の割り当て。しかも、ほとんど私についているから、たまには大御所様にと思っていたのかも知れない。
遠くからでもむっとしているのが分かるし、何せ往来の真ん中なので色んなスタッフがじろじろ見ながら通りすがっているし、会話の内容も筒抜け。

なんたって、遠く離れている私にまで聞こえて来るわけだから。

あまりに自分の名前が何度も聞こえるものだから一旦の仕事の手を止め廊下に出て来た私だったが、30秒くらい唖然として見つめてしまった。

すると、あまりしゃべったことのないスタッフに至るまで「ふふっ。」と笑いかけて通り過ぎたり、逆にあっけにとられて見入っている人がいたり。

で、話の流れや大御所様の様子から、何だかまた私がただの怖い人にしたてあげられていく流れ。

・・・・・。もう、ええわ。

とにかく不穏を交わして平静に仕事をする。平静に考えるというのが昨今のテーマの一つでもあるらしい。

ちょっと休もう。私も疲れる。
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2016年08月30日

うつし鏡

低気圧およびPMSなど、女性特有の症状に苦しんでいらっしゃる人が多い時期。

そんな最中に心理学やカウンセリングしていると、「だはーーっ。私に怒るなよ。相手や状況に怒るならまだしも!」とは思いますよ。

ただね。それでも出して貰った方が比較的安心。

何せ怒りや恐怖・不安で分泌されるアドレナリンは猛毒だからね。最終的には心だけでなく体に症状が出る。

はたまた温厚な人だなあと普通の人が印象を持つ人でも「怒りを抑圧している無理やりの笑顔だなあ。」とか「無意味に話しをポジティブにまとめているなあ・・・」ということもある。

実は後者の方が危険なの。

無自覚に溜め込んでいるのでどこかが変だったり小さなウソが目立ったり。

そういうのっていつか爆発するわけで。世で騒がれている事件。あれは決して他人事じゃないの。

だから身近な人にぶつかられなくとも自分の生活圏外にカウンセラーに向けて出すのは賢明ではある。

しかし、その癖がつくと世の中の人が皆自分の怒りを受け止めてくれてあたりまえという致命的な勘違いをしてしまったり、あるいは、ぶつけても大丈夫な相手をゴミ箱に使ってしまうという失礼な交流の癖が定着しないとは限らない。

なので、なるべく腹の中で長いこと腐らせている怒りは外に出した方が良い。

ただし、相手も人間なのだから、何かしらのレスポンスが返って来るというのは承知した上で交流しないとまずいのよ。あたりまえのことなのだけど、忘れる人は怒りの歯止めがきかなくなる。あなたに怒る権利があるように相手にもある。人は思う通りになるはずがないということ。

大抵の人間関係は鏡で自分が投げたものの答えが相手から返って来る。(中には全く唐突なものもあるけれど。)

余談だけど、昔一斉を風靡したアイドルの二人組の女の子がいた。

解散後、一人は順調に活躍を続けているが、もう片方の方は鬱独特の目をしていて、仕事も来なくなった。

この明暗はどこで別れたのかなあ?と思いきや、多分だけど、うまく行っていた女の子の方はいつもニコニコしていた。

一方、後者は「負けるもんか。」という心理が出ているせいか、どこかふてくされ顔のときの方が多かった。

何故だか仲良くするとか協力するというよりも戦うことを選ぶ人独特のいわれのないライバル心とか、人より上でいなければならないと思い込んでいる人独特の敵意とか。

ちょっとした差なのだけど、そんな些細なことが明暗を分けることがある、。
自分と見つめることとと、相手と自分を比較することって、ほとに似ていて非なるものだと思う。

出来ればアドレナリンにやられない程度に自分らしく生きていくという人生をコミットして、幸せに行きたいと思う今日この頃。

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2016年07月20日

ペース

どうも眠い眠いと思ったらPMSだったらしい。

年齢的にも不規則になって来ているので「え?またか。」とかということも多い。

なのだけど、それなりに60パーセント程度は頑張り自分をある程度許し続けて頑張っている。

”無理しちゃダメだよ。”症候群の方が自称セラピストの方々には多いのだけど、それだけだと現実を渡っていけないし、ものすごく変な人になっちゃうの。(本人はひたすら自分を良い人だ、優しい人だ。」という自己概念を持っているらしいけど、大きな勘違い。

でもその逆にもちろん常に完璧主義じゃダメ。体は頭や心についていけないわけだからして。

一番肝要なのは如何に今を大切にするか?ということ。

でも自称真面目な人にはそれが受け入れられないのよね。悪ぎもなく人に忠告していたりして突っぱねられてはショックだと傷ついたと騒ぐのだけど成長がない。

それは自分を観ていないからなのだけど。

プライドのためやポーズのため、あるいは自己満足のために心理学をやる人もいるのだけど、完璧主義の人は人のことばかり見てなかなか自分見つめをできない。

下手すると大人のプライドを持ちつつも幼稚園レベルの嫉妬心を振りかざすこともある。

まあ、それはともかくとして、今日は休もう。

セッションのお申込みメールもまだ返し切れていないのだけど、それは明日ということで。

もちろんお申し訳ないなー、待たせたくないなーとは思うものの、長く続けるコツがそこにある。

いや、それでもごめんなさい。
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2016年07月12日

自分で作った図形に過ぎない

”どうですか?僕、どうですか?”とか、”私、あってますか?当たっているかどうか、正しいのかどうか答え合わせに来ました。”というような言葉は、まだカウンセリングを理解したり有用活用できていない時期によく出る言葉。IMG_1073.JPG

カウンセリングは善悪を決めるためにやることでもなければ、人に褒めてもらうためにやるものじゃない。

でも、心理学を学んで来た人ですら、過去、そんな質問ばかりする人が存在していた。

そう訊かれると「自分ではどう感じてますか?」と訊くことがあるのだけど「わかんないから訊いてんですよ!」と逆切れされることもある。

自分で感じようとか考えようとか言う気持ちが無い人にはカウンセリングは万能ではないなあと感じるとき。

頭や心が極端に怠け者だと世間一般の常識だと思い込んでいることに従おうとする。

あるいは人の言葉や態度に激しく翻弄されて落ち込んだり喜んだりしている。

でも、それは疲れる生き方。

自分で自分の幸せって何だろう?と考えることはその類の人には面倒なことに感じるのかも知れない。でも、本当は他人や世の中に振りまわれて、相手次第で自分の感情や気分が変わってしまう人生の疲労と比べたら微々たるもの。

え?それじゃあ自分で考えるのならカウンセリングなんていらないんじゃんっていう人もいるけれど、それもはずれ。

たった一人の脳で考えたり感じたりしても、限界がある。ええ、それが例えスーパーマンだって総理大臣だって、IQがものすごく高い人だって不可能。むしろ、その類の人ほどシンプルなことを見逃してものすごく変なことになっているケースもある。

傾聴力とは、相手の意図も読み取ること。決して相手の思い通りになることじゃない。

話すことと聴くことは同時に存在するもので、話してばかりの人は聴けないし、聞くだけの人は何も感じないので何も答えることができない。

脳の中にいくつもの道筋がある。

例えば八方ふさがりだと嘆く人は、16、32・・・というふうに世界が限りなく円でできていることを忘れている。

そして、ほんの少し視点を変えれば細く見えていた希望の道が実はだだっ広く、あらゆる方向に延びていたりする。

それを知らない人が同じ話をする。世界のすべてを使い切ることはできないが、もしかしたらもう少しいろんな観方をしても損はないんじゃないだろうか。
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2016年06月27日

イソップ物語

よくあることなのだけど、「早く沢山セラピー出来るカウンセラーやセラピストになりたいから、旦那に宝くじが当たったら駅前のマンション買って事務所にして良い?」と言っていた人が居た。

「そこならかおるさんちに来る人が駅からより近い私のところへ寄ってくれるし。」

宝くじかあ。お客さんくれば良いかあ・・・

そういったことを言う人はこの業界に沢山いらっしゃるのだけど、皆一様にセラピストの概念が違うらしくて。

実際には宝くじがあたることで夢がかなうわけではないし、何か立派な場所を買ったり何か立派な自分になってからやるようなことでもない。むしろ今この時、小さな小さな気づきを積み重ねていくのが結局は”勉強”という近道なんじゃないか?とよく思ったものだけど。

「あとね!四人くらい子供ができると思うと、仕事ができないんんだよね。」と仰る意味も分からなかった。

「就職している途中うでご懐妊ーなんて言われたら、中断しなくちゃならないじゃない。あー、どうしよ、どうしよ。」

そんな調子だったので、宝くじの話から始まって、彼女は学ぶべきことに手を付けていない様子だし、経済的な不安を抱えているがまだセッションについての勉強はしなかった。しかもバイト先、仕事先に行けば行ったで「何で上から物言うかな。」とすぐに辞めてきていた。
その時の言い訳も”あーあ、子供が四人出来れば働かなくてもかっこ悪くないかな。」というつぶやきも半分無意識なんだろうけど、目を覚まして〜、それって余計に働かないとまずい状況っす。

(いや、上から言うなと言う人に限って自分が上だと思っている人が多いんだよな。。。多分どこの世界は・・・)てな具合にちょいと疑問を持ったのだけど、

慣れてはいるものの・・・・当然目的が違うので疎遠になっていく。というか、内容を理解してくれないし、最初から時分の強固な思い込みがあるように感じた。

それから何年も経ったある日、道端、事務所近くて声をかけられた。

見ると、子供をわんさか連れているその人で挨拶もそこそこで「えー?まだこんなことやってるんですか?」と開口一番言われた。

こんなことと言うのは私の仕事のことなんだろうなあ。

でも、あなたも宝くじがあててどうのこうの・・・ってこの仕事をやろうとしていたのでは?

数年後に「まだ、やってるんですか?そんなこと。」と言われれば、内心「いやあ、あなたこそ、やりたいって言っていたこと、その口調ではまだなんだろうなあ・・・。」と思うが口に出さず。

そして同時に思い出してしまったのはスピリチュアル関連の話をよく口にしていた時のセリフ。「自分のステージが低いと低い人たちとばかり関わる人になるから、私は一流の知り合いで固めたいの。」とか。

お元気ですか?と普通のことを普通に思い普通に訊いたのだけど、返答がすぐになかったので一礼だけしてその場を離れようとしたのだが、後ろから「子供は良いですよー!」と言い返す口調を聴いて思った。

いや、自分のことを訊かれたのに子供は良いですよって。。

時分の幸せとは何か?ということのもつれ。

多分この方は他人が子供産めば産みたいと思い、家を建てれば建てなければ!と思い。最後の最後は自分が何したかったかの目的が肩書に隠れて分からないままなのだろうなあと思った。

世の中には風変りなプライドというものがある。

何かの中身ではなくてその器ばかりをコレクションしようとし焦燥感にかられている人々。

それはさておき、今日も腹を据えて、自分の戦いをする。

そうそうに立ち去るのは、そこに時間を費やす気が毛頭ないからだったりもする。

中にはそのいう人にいちいち説明する人もいるけれど、人には好きなことを好きなときに見て好きなときに聴く権利がある。
欲しいものがあるとき、人は知恵を使う。自分にしか使えない知恵の壺を初めてのぞく。

私があれこれ言うことでもない。はたまたあれこれ言われてまで対峙する義務もない。

それぞれが何に時間を費やすかは自由だから。

でも、ただ一つ。その眼はなんかまだまだ怒りに燃えていた。

******

イソップの中の印象的な話だが、その知恵を使わず川におちて流されていく狐は「そんなブドウはきっと酸っぱい。」と言いながら溺れてみえなくなった・・・という話を思い出す。

狐はたぶん沈む寸前に及んでも、おいしそうに自分だけのブドウを手に入れた他の動物たちを見て悪態をついていたが、その声は、もはやブドウの木の下までは聞こえなかった。

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2016年06月03日

怒るだけでは進まないからねー

で、いつぞやも書いた覚えがあるけれど、単に機種変をしに行った際に膨大な時間がかかり、ケースをサービスされた。

で、しかも機種変に来たって言っているのに「プロバイダーを変えませんか?」と言われる。

環境を変えたくないし変える時間もないので今はこのままで良いですと答えたのだけど、かぶせ気味に「大丈夫です。何も変える必要がありません。不在でも家の外で水道屋さんやガス屋さんがメーターをチェックするのを創造してください。工事と言ってもそんなもんです。」と。

かぶせ気味がそのまま続くと機種変は進まないわ、ますます時間はかかるわで大変なことになりそうだったので「はい。はい。じゃあ、それで。」と返事しちまった。

後日・・・機器がでかい箱でどっさり送られて来た。ほらあああ!やっぱり変えなきゃダメなんじゃん。何にも変える必要ないって言ってたくせに。結局は隣の娘のPCとうちのPCに繋がっている回線ひっこぬいてルーター変えて・・・etc・・・。

これが嫌だったというとるんだよ。まあ、向こうも売り上げ問題があるのだから口を走らせるしかしょうがないのか。。。
忙しいのになあ・・、とほほ・・繋ぎなおして、今度はPC開いて設定しなおして・・結局、こうなるわけか。

が、最後の最後にやっぱり!ということを発見。端末と配線の接続部の形が合いませんもん。

これが入らないんじゃPCの設定以前の問題じゃん。

幸いにもまだ前のプロバイダーを解約していなかったので、携帯会社に「機器をお返しします。料金かかった分はとって良いですし、まだ一度も繋いでいないけれど使ったことになるのなら、解約という形にしてください。」と連絡。

案の定いろいろと食い下がられて「こんなにお得ですよ。あと、動画の見放題の・・・」とまた話しがずれていきそうだったので、今度ばかりは「あ、ちょっと待ってくださいね。希望は解約です。得することでも動画見放題でもないです。(そうそう、あの時も希望は機種変であって、ケースのサービスなどではなかった。そんなもん要らんわって話。)

なーんか、こうやって人間って子供の頃から「これが欲しいとか、これをしたい。」って言うと親や先生や環境から何百倍もの言葉が返って来て違うものを手に握らされて来たんだろうなあ。

で、無事、解約。

すると後日、元のプロバイダーが「○○さんからうちのプロバイダーの解約を要請されていると連絡が来ましたので○日に切らせてもらいます。」。

ずっこけた。なんで、人が使っている回線、今まで使って来たプロバイダーの解約をその携帯会社がやってしまうんだよ。本人の意思でもないのに。

「いえ、これこれしかじかな理由なので、今まで通り、何一つ変更せずに使わせてください。切らないでください。」

すると「えーと、でも、NTTさんの契約も切ることになってしまいますので繋がらなくなります。プロバイダーはうちのままにしておきますね。」

繋がらなくてプロバイダーだけうちにしておきますねって、あんた、どういうことじゃ。

まあ、もちろん怒鳴りもせず、ああ、そうですか、そうですかと聞いていた。

今度はNTTへ電話。

また最初から説明。「というわけで回線を切らないで下さい。」

プロバイダーもNTTも合計すると10人くらいの人と話すはめになったのだけど、、、、ある日、ネットが止まった・

・・・・・・・・・・・・・・・。申し送りは?あれだけの人数に同じ話させるってのは、残念ながらよくあることなので今更びっくりしないんだけど、いや、やっぱりびっくりしてしまう。

しかし、何もしないわけには行かないでのでまた電話をかける。

まじ、忙しいんですよ。クライアントさんが来たら「ああ、もう今日もここまでしか喋れません。またかけます。」の繰り返しだった。

で、最終的にプロバイダーもNTTも「新規の契約という形になります。はい、一度解約ということになっていますから。」。

・・・・・・・・・。だから解約しないって何度言ったことか。

でも、このままではいかん。仕方ないので、はい、新規申し込みで良いよ。

そして後日・・・・・大量の機器が大きな箱で送られて来た。ぱたっ!しかし、コネクター部分が違うんですよ!と再三いっておいたので、そこにはアダプタらしきものが付属されてついて来たので何とかはまる。

しかし、書いてあるとおーーりに繋げても、繋がらなかったり、PCの中の設定をいじっても一瞬だけきちんと繋がり、切れる。

もう、なんだかわかんないし、いつ切れるかもわからないが、もうちょっと休憩。明日もあるので今日はここまで。

まあ・・・明日広げてみたら繋がっていない可能性大だけどね。

ああ、初心貫徹の心を失ったばかりに、本当に面倒くさいことになってしまった。

世の中、難しいことが好きな人が多すぎる。

でも、多分、それは要がそれぞれ違うってだけなのよね。

何やら易怒傾向の友達から電話がかかって来て、その状況の私にてんこ盛りの愚痴をぶつけて来る。

短い間に三回も四回もやつあたりされていると・・・・なんか病名がついちまうんじゃないか?というくらいの易怒傾向なのよね。

しかし、今はやめとけ。

私の話じゃないって分かっていても、後、途中から私の生き方だの言い方に文句をつけ始めたとしても、やっぱりその怒りの根源は私じゃない。私の話じゃないから、ましてやプライベートでそれやるな。

私も負けないくらいいらついている上記の出来事の真っ盛りだったのであやうく走って行ってはったおすことだった。

でも、それをやらないで済むのは「ちっ。面倒くさいな。」と激怒しつつも、自分で手を動かしてどうにかしようとしているからに他ならない。

そうすると人に怒っている暇はなかなか取れないもんなんだよね。

いやあ、それは良いけど、まじ良い勉強になった。聞かないわけではないのだが、やりたいと言っているニーズを横に置いておいて、他の営業話を始める少々異常な世の中だってことを改めて思い出したわけだから。

でも、一言で言わせてもらえれば・・。ええ加減にせいよ。

周辺の方々にも迷惑かかっとるじゃないか。連絡が命のこの世界で。
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2016年05月22日

怒りと向き合い続けた人

もうだいぶん前からウインドウズ10にバージョンアップできますよってなメッセージが起動の度に出てきていた。

その度に無視していた。慣れたことを変えるのが面倒だし、あとは勝手に便利だと個人的に思っている機能がなくなったりすることもあるから。

で、そのまま長いこと無視していると今度は”既に何々万人の方々がバージョンアップしています。”というメッセージが出てくるようになった。

この”みんなしてますよ。”って言葉・・・よく聴くなあ。セールスや営業の人から、さかのぼると小学生のころあたりから。

昔の例え話で、船が沈没しそうになった際、乗客にどうしても海に飛び込んで逃げて貰わなければならないという状況の逸話があった。

イギリス人には”紳士は飛び込んでいます。”と言い、アメリカ人は”ヒーローは飛び込んでいます。”と声をかけたそうだ。

いずれにしても紳士の人はみんなとか、ヒーローはみんなとかいう理由なので”みんな”という言葉を使うことには違いないが、日本人には「みんな飛び込んでますよ。」だけで良いという。

日本人は逆に”あなただけですよ。そんなの。”と言われると不安を感じるらしい。

それはさておき、そんな些細な”既にうん万人の方が・・・・”ってのが出てくると、元々変えなくて支障がなかったものを変えるつもりがない気持ちに余計に拍車がかかって、さらに無視。

ところが驚くべきことが起こった。

昨夜、いきなり勝手にバージョンアップをされ始めたのだ。

うわあ・・・・。面倒くせー。

最初から強制的にやるならそう言えば良いじゃんと思うものの、始まっちゃったものは仕方がない。ふう。

で、翌朝、案の定、使いづらくなっていた。

あれはどこに行ったんだ?とか、スタートページが勝手に変えられていたりとか。たまらんなあ、もう。お金出して購入したものくらい好きにさせてくれんかなあ。

**********

昨日は、お久しぶりの方にお会いできた場面もあり非常にうれしかった。

で、次女くんと私が好きなMARKS&WEBの入浴剤がおみやげなんてすごく嬉しい。(次女くんも喜んでいた。)

で、カウンセリング2時間とレイキ一時間のメニューだったのだけど、つくづく頑張っていらっしゃるなあと思った。

悩みがなくなるわけではないが視点が変わったし、ご自身の幸せに責任を持っている状態だなあと。

出会いたての日のことは今でも笑い話なのだけど、怒りをため込んでいる状態だった。

でも、この人は、自分が怒ってばかりいるその理由を他人ではなく自分の内側に原因を探し始めたので圧巻。

いったん根深い怒りを溜め込んだ人というのは、たいていの人場合は傷つけられた!とか聞いてくれない!とか、ああいったこういった!などということを言い続けて一生他人のせいにする。

他人が自分を大切にしたり自分の話を聞くのがあたりまえだと思っているもんだから、その怒りは本当に下手すると一生消えないで心を腐らせる。

でも、そういうに聞いてくれない!と激怒する人に限って、自分自身が他人の話を聞こうとしたことがない人なんだよね。

抱えた怒りと同じくらいの怒りで、他人を怒らせてしまうので人生が複雑で疲れるものになる。

それでその人に「すごいですね。頑張ったんですね。」と言ったのだが、自分が取り組んでいる心の問題についてオーラソーマなどを中心にきれいにファイルしたものを見つめていらっしゃった。

世の中にはいろんなタイプの人がいるけれど、何かあると人の心を散らかしたり、人を批判することに心血を注いで余計に汚くしてしまう人と、もう一つのタイプはそのファイルに象徴されるかのように、自分で整理しようとする自分見つめタイプの人。

もちろん、前者は人を傷つけるので嫌がられるのだけど、後者はその整理された心のファイルがいつか自分だけでなく誰かの役に立つこともある。
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2016年05月10日

宝の持ち腐れ

昔、互いに28〜9歳くらいの頃『結婚は絶対28歳のうちにしないとね!』と言っている友人がいた。

当時の私はカウンセラーでもなく、同時にそんな考え方でも幸せになるか不幸になるかは本人次第なので『そう思うんだね。』と答えていた。

それから年月が経ってから、久々に再会したら『あなたが28で結婚しろっていうから結婚したのに、ちっとも幸せじゃない。』と罵倒された。
結婚なんてするんじゃかったというのが今の彼女の考えらしい。

当時はイラショナルビリーフや認知の歪みが誰にでもあるということは既に分かっていたが、とかく人は自由という考えは今と変わらなかった。

なので『そうなの。そうしてみるのね。』と新しい体験を普通に受容していたのだと思う。

で、ついでに言うと、私は28で結婚しなければならないなんて言っていないのだけど、人間ってのは記憶の改ざんをするのよね。

いくらそうは言っていないと言っても言った言わないの水かけ論になってしまうので途中であほらしくて止めた。

そのうち彼女が離婚したときには『どうしよ、どうしよ。子供のために働かなければならないなんて。この先どうしよ。』とのことだったが、この時ばかりは『確かにこれまでとは生活が一変すると思うけど、働くということは決して悲劇でもないしみじめなことじゃないよ。』と言ったのを覚えている。

『えー?うそー?働いてるから可哀そうって思っていた。』

この発言にも驚かなかった。だって、彼女はそういうふうに教育されているのだもの。

カウンセリングでもないのに『あのな』と話す必要もない。

好きな思い込みを持って生きて行く権利が人にはある。

それでもこれだけ心理に携わっていても未だにがくっと来ることがある。

その後彼女が再婚したあと、今度は幸せそうにしていたので「良かった、良かった。その時期は辛かったもんね。」とねぎらったところ、「え?何の話?そんなことあったっけ?そんなこと話したっけ?」とか言われるときとかね。

要するに、こちらが心配するほど本人はパワーがあって、むしろ悩んだりエネルギーを吸い取られるのはこちらの方なんだよね。

さらに言うとその後また時期が過ぎると今の人と別れたいと言いだしたりとか。

結局のところ、自分で考えない人にありがちな人生のバラバラ感。とにかく依存していかないと生きられないという思い込み。

今回はちょっと忙し過ぎたので「ごめん、今ね。ちょっと立て込んでいて会えない。」と言ったら、思い切り、『いや、酷い。冷たくなったね。』と言われた。

お見事。

依存だけならまだしも、そして、思い込みや認知の歪みや勝手なルールに生きることは罪ではないものの、自分の人生に責任を持てないということはどうしても不幸でバラバラな精神状態になってしまうのだなと再認識。

そしてまた出た。『病んでいる人相手にしていないで私の話しに付き合うべきだよ。』

だから・・・・クライアントさん、つまり依頼人さんというのは、あなたのように依存相手を探し続けている人々ではない。人目のみを気にしている人々ではない。

何とか自分の頭で考えて自分で行動して自分の人生や自分の幸せに責任を持とうとしている人々なのだ。

って、もう言い飽きたってのもあるが、何時間話しても通じない場合はスルー。

人生は限られている。命ははかない。

だからこそ美しいのだろうけど、私はもう何も無駄にしたくないと思うのだった。
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2016年05月06日

いや、むしろ聡明なんですってば

カウンセリングを依頼なさる方と言うのは、例えご自身のパターンや長年の考え方の癖に悩んでいたり自らを邪魔されていたとしても、基本的には自分で自分を振り返りに来る方々。

なので、友人や夫の兄弟やその他の知らない人に『やっぱり病んでいる人が多いんだね。』と言われると違和感を感じる。

酷い人になると・・・しかも、これが残念なことに医療従事者の方に多いんだけど『おかしい人が来るんでしょ?』なんてメガトン級に見当違いをしている人も居る。

で、そう言っている人自称普通のまともな人の方が少なくとも病んでいるというのが皮肉なもので。

ただ病んでいても日常生活を営んでいらっしゃるし、私が依頼されているわけでもないので触らない。

依頼人という立場の方々が自分より弱いと思っていたり自分より病んでいると思い込むことで優越感を感じたりそれが生きる糧になっていたり、とにかくしばらくは自分を保てるのなら、それはその人たちの勝手だろう。

でも、分かりそうな人や、真面目に訊いて来る人には、このことを説明することにしている。

すると「ああ、そうかあ。なるほどね。凄い人たちなんだ。。。」と普通にそのまんまに理解してくれることも増えて来た。

そうなの。自分を振り返ろうとか問題を解決しようとか、身近な人を捕まえて何時間も長話をしてうさばらしする人々とは全く違うの。(しかも、それ、何も解決しないどころか、双方がダメになる。)

心理学を習っていない人でも数年間定期的にカウンセリング受けた方々なんて、世のカウンセラーの方々よりも心理に精通する人になってしまうことも多い。

自分を見つめるって凄いことなんだよね。

ここが大事。

それは凄いことであって、あたりまえじゃないんだなと思うと、妙な誤解や思い込みを抱えた人の言葉を聴いても『はあ、またか・・・』とガッカリしなくて済むのかも。

『怖くなにの?おかしな人来るんじゃないの?』

いや・・・・・・・。おかしいって失礼だろ。でも、知らない人に限って言うんだよね。で、知らないのにそんなことを言うなんて、おかしいのはあなたです。

自分が普通、自分が基準と思っている人ほど、自分の常識と違う人を見ると騒ぐし、何であれしてくれないの、これしてくれないのと訳の分からない怒りにさいなまされ続ける。

その方がよっぽど狂気なんだけどなあ。ホラーより怖いなあ。
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2016年05月03日

プロセスを信じた日

昨日の教育分析で、最近始めたアルバイトの話しを聴かせて下さった方がいて、それがまた面白かった。

面白かったってのは、色んな意味で。

人は自分のやりたいこと、もしくはそれに繋がることをやるとき、一番その人らしい本質が発揮される。

暇があっても無くとも時間をどんなふうに使うか?というのはとても大切なことだと思うけど、それをもしも簡単に言うなら、好きなことをやっている人は、あれこれ人の動向を気にし過ぎたり言葉じりを捉えたりすることが無くなる。

好きなことをやっていても、辛いときは辛いし苦労もするが、夢中になっている瞬間瞬間には、少なくとも自分と他者を比べたり、恨んだり妬んだりしている余裕が良い意味で無くなるのだろうなと思う。

最初から他者と自分は違う生き物だと良い意味での理解を思い出す瞬間なのかもしれない。

執着と好奇心は違う。

はたまた支配欲と愛情もまた間違えられやすい。

でもそれらは似ていて非なるもの。むしろ、まったく真逆のことなのだろう。

人は赤ちゃんと呼ばれる生物の頃には少なくともそのことを知っていた。

だから猫や犬と同じように初めて見るもの、聴くものをそのまんまに吸収したり興味を持ったりしていた。

ところが大人になると、その興味や好奇心が不躾な執着に変わるし、自分の感情の責任までもを他者の行動のせいにしてしまうようになる。

それが完全に悪いことではないのだけど、さらに先を歩むと、自分が今何をしているのか?ということがより分かるようになる。

決して「私の気持ちをどうにかしなさいよ。」とずうずうしい考え方をあたりまえのように持つような人のままではいられなくなる。

自分で自分に何を与えるか?どんな時間を与えるか?

それを知っている人、あるいは模索している人のエピソードは面白い。

逆に自分で自分に粗悪なうじうじした時間を与えて、嫌な気分を勝手にこさえておきながら「ほら、どうにかしてよ。」と言う人の話しは、いくら真剣に応えても進まないものだなあと思う。

何故なら自分の人生を進めて行くのは他人ではないから。

色んなところを旅をしているかのようでいて、必要なときに必要な場所に居る方法がある。

それは他人がどうのこうのじゃなくて自分を見つめることに尽きる。
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2016年05月02日

大人になるということ

カウンセリングの現場や専門書を読んだりセミナーに行ったりする他、外の企業、いずれも看護師としては初めての分野二つに出向いて行くことがある。

とてもシンプルに言うと、どちらもどちらかの縮図だなと思うことがある。人には心があって、その心がこの世の中を動かしたり悩みや悲しみや喜びを作っているのだと。

はたまたカウンセリングの現場においては、特に普段のその人独特の交流パターンが縮図として現れる。

もう6〜7年前のことだったか。

最初は個人セッションでカウンセリングにいらした方が胸に詰まる思いを話してハラハラと涙を流していた。口に出すと感情が込み上げて止まらなくなることがよくある。

その後しばしセッションでのお付き合いが続くとさらに特有のパターンが出て来ていた。

習い事をしていたけれど、その先生が自分に熱心でなかったので辞めると告げたところ、「あら、あなたには昇格して貰おうと思っていたのに残念だわ。」と言われたそうだ。

そのとき彼女は「それなら最初からそう言ってくれれば続けたのに!」と猛然と怒ったそうだ。

でも、自分がやりたいことをやる際において、先生が自分を見てなかったように感じたから辞めるというところも何だか違う感じがするし、その後先生の真意を聴いたとき「それなら辞めなかったのに!」と怒るのも何だかおかしい感じがした。それならばやるとその時意思表示するのも手だったと思うし。

そう言ったエピソードはとかく多かったのだけど、自分のパターンを突き詰める気持ちはなく、話題が核心に近づくとすぐさま『ま、いいか。』で終わらせてしまう時間が続いた。

そして、ある日、大人数のレイキのセミナーの際に何やら顔が真っ黒に見えるなあ・・・と思っていたら、その人は「私を見てなかった!」と怒鳴って帰った。

全体を見ていたってのもあるが、その人を見ていなかったというわけではない。ただ、ふくれっ面に対して皆の前で「どうしました?」と訊くのもその方にとって恥ずかしいことになっていただろう。

その後も似ているパターンの人には沢山お会いした。

同じくグループセッションで隣の人が号泣しているのに真近、隣で泣いている人への気遣いはゼロで私の方だけを見ていた人。

そして例外なく帰り際に「何で私を見ないの?」と怒って帰っていった人。

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こういう心理というのは多かれ少なかれ人間が幼い時代から持っているもので、幼い頃から幾分仕方ない。

でも、大人になると「私はあなたを好きなのに!なんであなたは私だけを見ないの?」と交換条件をふりかざした怒りに変わる。幼さはそのままで表向きの理論がくっついて来るのだけど本質は同じ。

私だけでなく少し執着を感じた相手に普段からやっている交流がカウンセリングの現場では出やすい。

極端に言うと「どうして私の言うことをきかないの。どうして私の思い通りにならないの!」という無謀な要求。

ある人は「愛している人の時間を全部欲しい。」と言ったが、それは愛じゃないんだよね。

愛というものの手前に、いいや、友情という関係のずっと手前。さらに言うともっと割り切った仕事上の付き合いの中にも大人になると”思いやり”というルールがある。

自分のことだけを考えていると、人の愛や言葉や時間だけを食らうモンスター状態にはまってしまう。

でも、多くの人はそれを愛だと思っている。

だから、ドンドン麻痺して来ていて最初は感動していた人の親切や思いやりもあたりまえになって、「もっと頂戴よ。なんでこうしてくれないの。」と膨れ上がって行く。

自分の生活があるように相手にも生活やその人の世界がある。

そんなシンプルなことなのだけど。

外の世界に身を置いてみても、多かれ少なかれ、この偽りの愛情ゲームは蔓延しているようだ。

綺麗ごとを言うつもりはない。

私も生物だからきっと多かれ少なかれそういう思いはあるだろう。

ただ、メカニズムを知った今は、もっと幸せに考えたり生きて行くことの方を選んでいる。

ただそれだけのこと。

全ては自分で選べる。

自分で作り出した世界と現実の中では決してそうとは思えないことが多いのだろうけど、世の中は結構平等であったりする。

この平等さ加減がしんどいんだよね。

そう、最初はしんどかった。だって悲劇のヒロインではいられないのだもの。

しかし、それを知った今は悲劇のヒロインに固着していた自分をつくづく面白い考え方をしていたもんだ、それでずいぶん多くの人に迷惑をかけて来たもんだと感じる。
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2016年04月10日

出来ないことを人に強いる子供たち

目は口ほどにものを言うと言うが。

そんな言葉をしょっちゅう実感することがある。

私は決して年齢より若く見えるほうじゃないが、あくまでその人の主観で、同じ年頃の私がその人より若く見えたとき、ほそーーい目で見つめられることがある。

そして多くの人が『苦労知らずなのね。』とか『可愛がられて育てられて来たのね。』と言う。

それは事務所の中とかカウンセリング中ではなくプライベートでの場合『ああ、そうですか。そう見えるんですね。』と流して終わる。

苦労自慢不幸自慢は無意味だし、私の方もその人の苦労を知らないしね。それと同じで相手が自分をどういうふうに見ようが評価しようが、それは自由であり勝手でもあるから。

そしてこれもカウンセリングではなくてプライベートでの関係なのだが『共感してくれない。』とか「あそこまで力いっぱい共感してくれなくても良かった。」と言う人も居る。

もちろん、カウンセリング内の話しになると、そんなことはしょっちゅうだ。

同業者というか、私の周辺のカウンセラーはそういう捉え方をしないように育っている。

はたまた”誰かに傷つけられた”などという考え方をしない。

それは学びが染みついているからだ。

その学びというのは、一回でも二回でも三回でも、誰か自分以外の人に共感しようとして、自分が持っている引き出しを必死に探しまくったことがある人だから。

つまりは傾聴そのものの難しさを知っている人だからだ。

その困難さは、逆に言うとやって見た人でないと分からない。

さらに、言い換えると、あれしてくれない、これしてくれないと、相手の在り方に腹を立て過ぎる人というのは、傾聴しようとか共感しようとかの努力をしたことがない人。

やって見たことがないから、されている自分の気持ちだけを押し付けるのは仕方のないことだろう、

何せ経験したことがないし、既に自分が大人になって、それをやる側になったという自覚がない人だから。

そういった意味で、私は、可能性を存分に抱えたインナーチャイルドは好きだけど、アダルトチルドレンは大嫌い。

やって見−よ。聴いてみーよ。自分が気に入るものを他者が与えてくれなかったと、いつまでごねてもその言怒りは収まらない。

アダルトチルドレンは往々にして批判家で何もしない。ずっと子供であり続けようとする。

何事も言うは易し。
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2016年03月17日

いくらでも複雑に出来るもの(する必要のないもの)

人いうものの生育環境というものは様々で。

中には『何不自由なく暮らして来たし愛されて来たな。』と言葉にしないまでも自己肯定感をあたりまえのように思っている人がいる。

一方では、ある人々から見ると・・・と言うよりも、かなり多くの方々のエピソードを聴いていると、虐待という言葉にはもはや言語的虐待的、暴力的虐待等々色んなケースがあるので、よくニュースになるようなあきらかな虐待の他にも、自分が悪気なく虐待されて来たと気が付かないまま大人になっている人もいる。

何らかの形で自覚して来た人は大なり小なり、しんどかったのは自分だけで他の人間は何にも辛いことなく育ったという認知の歪みを持ってしまう。(そんなわきゃー無いだろうよと普通に思う人の方が多いけど。)

つまりは聴く前、付き合う前に『いいよなあ。苦労知らずで。』と思ったり、『憎たらしい。』とか『誰にも自分の気持ちは分からない。』という思い込みを強固に固めて行くかも知れない。

そして、なにが支障がというと、わかりやすい虐待を受けて来た人もそうでない虐待を受けて来た人も、皆一様に親や子、家族とは対決が出来ないということ。

極端に言うと、母への恨み、父への恨みをあたかも通り魔的に他人様にぶつける。
で、通り魔的な知らない他人だと自分が充足出来ないので、変な知恵(まあ生きるための知恵だけど)を身につけると、慣れ親しんで来たりやや親しくなった頃、ぶつけはじめる。

暴力を受けた人が行動や言動の暴力で、『この人にも同じ目に遭わせたい。』とか『自分のことを重く考えて欲しい。覚えていて欲しい。』と考えて、ほんとに出発点からして無意識なのだけどそう思って”かも”を探し出すことさえある。

あるときは企業や職場なのに『あれしれくれない、これしてくれない。』と自分の親代わりに。

自分を持っている人ならば、まず『いやあ、そりゃ面倒くさいな』と気付く。

他人も企業も何一つ、自分の思い通りにはならないよということに気付き始めて『じゃあ、人じゃなくて自分はどうして行こうか?』と考えるのだけど、長年そのパターンが人付き合いそのものになってしまっている人には難しい。

それに気が付くと人に怒っている暇が無くなるし、何せ自分で自分の面倒を見なければならなくなるから。

ほんとに色んなケースがあるのだけど、例えば家庭内で言えば、嫁、姑、舅は基本的に合わなくても不思議じゃないよね。基本血がつながっていない家族なのだから姑をお母さんと思ってはならない。何で?と言われれば、そのまんま。お母さんじゃないから。お姑さんにとっても決して娘じゃないから。現実的には下手すると、普通にそれ以下。(笑)

お母さんと思い込んだり比較している人ってのも無意識だから表面上は『そんなこと思ってないわ。』と言うのだろうけど、思い入れや監視の時間を考えると凄いことになっている。もはや実母、実子以上。

元々夫婦や家族というタッグは違うもの同士、うまいこと行かないもの同士が集合している場合が多い。一節によると皆同じだと成長できないからだとか。全然違うタイプを高め合うために無意識に選んでいるのだとか。

生まれつきの家族だけだったら分かるが、成人してからもうまくいかない友人、うまく行かない夫婦を形成する無意識があるとか。

それに気づくとゲーム性がかなり減って自分の気持ちに正直に好きな人々とのコミュニティを作るし、好きな人と過ごそうとする普通に健全な気持ちに近づく。なんたって、別段傷つけ合わなくとも人は成長できるし、嫌な思いする必然性はないのだから。
100歩譲って、周りが自分に合わなくても本当は重篤な問題や事件に発展させる必要はない。

発展させているのは『違う』と騒いでいる本人や、もしくは同じ考え方を持っている『違うから自分を分からせよう。相手を変えよう。』と思っている相手が作り出している妄想と暴力。

皆人間でそれぞれの生き方をして価値観を持っているのだから。

でも、そこに、あるいはその人物に執着する人というのは、年柄年中、その人のことを悪く言ったり『我慢できない。』と言って居る。

で、気分が悪くなるのは勝手だが、何もその人のことだけ考えないでも良いじゃないかと思う。

ある人が友人に『もう、あんな家はいや。帰りたくない。』と再三言ったとき、そのご友人はおそらくは沢山の事情を聴いた後で『早く離婚できるように祈っているね。』と言ったそうだ。

こういう話もよく聴くのだけど、要するにご本人が家にいたくないを連呼していたら、そんな答えが返ってきてもあたりまえのような。

すると、それまで家族に対してぼろくそに言っていた人なのに『なんで、そんなことを言うの?ショック!』と返って来る。

『え?なんで怒られる?さんざん嫌だって言ってたからてっきりそう思ってるのかと思ったのに。』と言葉をそのまま受け取って鴨にされた人は首を傾げ、それでもまだゲームの鴨にされたことに気が付かないで『なんで?なんで?』となる。多分、この方は普通の解釈をしている。

で、鴨を選別してゲームを繰り返している方は大抵の場合、その場は何も口を開かず他の人に言うんだよね。『傷つけられた。』と言いつつ何度も人を傷つけて回っているようなのが交流だと思っているので。

そりゃそうだよね。仕掛けている方だって、あくまで無意識で『あの人はNO。ダメな人。そして私もNO。』という刻印を押す相手を探すような出会いや交流をしているのだから。(なんか、分からなないけれど互いのダメってことにすれば落ち着くらしい。)

本当は健全でシンプルなキャッチボール的な交流の場合、ボールを受け取った瞬間が『あ、そういう意味じゃないの。別れるとかそんなことじゃなくて。。。』とすぐにアサーションすれば違っただろうに。

何年も何十年もの前の言葉を温め、古い怒りを抱えたまま過ごす人には境界線がない。そして物凄く固い決めつけが入っている。

もしも自分がやりたいと思う目的があったり自分で立とうとする心が育てばそんなゲームはしなくて済むのだが。人をどうにかしようなどと二度と思わなくなる。第一、同化する暇もそんなこと考える暇もなくなるから。(笑顔は増えるけど。)

原因を人にせいにすることは簡単だ。

その代り、自分は未来永劫、幼稚なままで居なくてはならなくてはいけなくなる。

というわけで私は「ショックだ。傷ついた。どうにかしろ。」という機会が大人になっても異常に多い人。しかも今仕事しなければならない側の人がそんなことばかり言っているのを聴くと、プライベートでは面倒臭いなーと正直に思うタイプ。

こういう理由なのかーと分かっていても、暴力受けるのは嫌なわけだから、ましてや一般社会の人々は訳が分からないくらい『わー、やだ。あの人。』と思うかも知れない・

怒っても笑っても泣いても、現状って自分がやって来たことの結果。

それに則って、今の交流関係、人間関係も自分が作っている部分が皆無なはずがない。
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2016年03月12日

メサイアコンプレックスの長い夢

とある方が精神的にもリアリティの世界でも自立するためにとある資格を取るための勉強を続けている。

それは自分と他者を援助するための資格。

真剣に自分の生き方を考えたとき、人は真実の願いを叶えようとする。

はたまた、資格云々が問題なのではなくて、とあるセラピストさんは、こちらからお願いしますと依頼するまで決して自分の高等な技術を押し付けない。が、依頼した途端最善を尽くしてくれる。

資格の有無が問題なのではないと重ね重ねと言うのだけど、そこには、確かに心の”資格”というものが存在している。

それは『ああ、かわいそう、かわいそう。私がこれしてあげる。これ買ってあげる。あれのお金を出してあげる。』と言いつつ、その代償として「こうしなさいよ。あの人と付き合うのを止めなさいよ。それからここはこうしなさいよ。」とずうずうしく人の人生に入り込んで来る人の行為とは全く違う。

下手すると後者はとんでもない暴力になる上に、それをやっている本人すら「せっかく言ってあげているのにアドバイスを聴かない。おかげで私が傷ついた。」くらいの概念しか残らない。

”私がしてあげる。”という我が強い人は自己満足のために人を癒そうとするので、何やら相手がリラックスすると妙な征服感を抱くみたい。その自己満足は恐ろしいなあと思う。

自分の孤独の分量だけ人におせっかいをやかないではいられない。でも、自分のことは歪んだ認知のままおろそかにしている。

そこには重篤な幼さが存在しているなあといつも思う。

現実はそんなに甘いものじゃない。

多くの人との沢山のディスカッションが求められるし、沢山の人の意見や話を聴いた上で自分が大切にしているセラピストマインド、カウンセリングマインドを死守して行く強さが求められる。

それは本当に綺麗ごとじゃない。『ほっこりほっこり』言っている人がとてつもなく誰かを恨んでいるのはそのせいで、自分の傷にばかりこだわって人の傷に無頓着なのは、その覚悟が足りないからなのだろう。

これをやるためならばこれくらいの我慢は出来る。でも、ここは譲れない。人それぞれその臨界点は違うものの、それが皆無の人の幼稚なおせっかいは困りもの。

それは自分の孤独を見つめない限り一生続く矛盾なのだろう。

皮肉なことに親兄弟にこの暴力や支配が横行しやすい、

『私の言う通りにすればこんなに良いことがあるよ。私はこんなに良いものを持っているよ。』と言っては相手を支配する化け物は実は人間だったりする。

結局のところ、自分の人権を護れない人には、人の人権も尊重することも見守ることすら出来ない。

***********

とても遠回りな沿線に乗って、この遠回りも多分どこかに続く意味のある道なのだと今日、思う。

それは目的という出発点が違うから。

昔良く観かけたハエ取り紙のように、何もかもをくっつけて、何かを紛らわそうとする人のケモノ道とは明らかに違う沿線。
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2016年03月05日

何とか体操ではないけれど

『こんにちわ、先月は行けませんでしたけど・・・』というご予約メールの出だしを読んで思う。

『先月は行けなかったけど、ずっとかおるさんが傍にいるような気がしていました。』

私もですよ。

あの、フワフワのスヌードに包まれた健康な笑顔が忘れられない。頑張り屋さん過ぎなため、ちょっと油断すると顔色悪くなっていたり、ドンドン痩せて行くのでいつも心配でドキドキしつつ毎回待っていたけれど。

何だか元気そうに見えたんだよなー。

あと、他にも突っ込みどころ満載なんですよ。

先月は行けなかったけどって仰るけど、距離感おかしいって。(笑)

遠いんだもん。

私も会いたいのは山々なのだけど、彼女がやっている仕事や営んでいる日々の生活、そしてこの距離を思うと、あんまり我儘を思っちゃダメと考え直すほどだ。

それでも、かつて心理学の基礎コースを進行中の頃はカウンセリングやヒーリングを交えて、あの距離を毎月毎月やって来て下さっていた。

もう、大丈夫だよ。自分のペースで大丈夫。

でも、もしも大丈夫なタイミングがあったら、やっぱり会いたい。

そんな嬉しい予約メールだった。

*******

今月に入ってすぐの頃から訪問入浴の責任者から『今月、この日とこの日とこの日と・・・・・etc.』と信じられない日数を指定して来て『全然足りませんー。全部とは言わないけど、どこか出れるところありませんか?』と。

出たよ。

ってか、もう新婚旅行から帰って来てたんかい。で、留守中のこと、多分ちゃんとしていなかったからこんなことになっているんだろ。

それでも、何とか少しでも協力したいと思い『ちょっとお返事待ちのクライアントさんが幾人かいらっしゃるので、金曜日に返事して良い?』と訊いたら「良いです、良いです。待ちます。お願いします!」と。

鼻にかかった鳴き声みたいなの出すのが得意なのを思い出して、一瞬覚めるー。

で、結果、金曜日までお待ちしてみたものの、『ごめん。一日も出れる日が無くなった。』と返事する私って。

冷たいんかい。

いいや、今となっては先方の冷酷さと、周りに甘えて変わろうとしないさ加減の方がよっぽど凄いと思う今日この頃。

*********

若い頃・・・そうだなあ・・・、10代20代の頃は自分が40代50代の年齢になることなんて想像できなかった。何せ元々早世気味の家系だから。

今でも50代後半や60代なんて想像も出来ない。

そんな家系の中でも一際、虚弱な体質だったし、生まれつきのものは早々変えられないと思っていた。

もしかしたら人一倍働ける今日があるのは、レイキに出会ったからかも知れない。

で、自分がそんな生まれつきの課題を持っているせいか、負けず劣らず健康に悩む人々に沢山お会いして来た。

病院に勤めていた頃はあたりまえと言えばあたりまえなのだけど、一般的にそこそこ普通に生活して仕事している人たちにも苦しい症状を抱える人たちは沢山居る。

今でも忘れないのは、幾人かの人がカウンセリングの最中、ある日ふと気づいて「な、なんだ。皆私ほど身体が辛くないんや!」と叫ばれたこと。

辛いのが普通になっていると、いつの間にか皆もそんなもんだと思ってしまっても無理もない。ましてや一番近くに存在していた親や親に代わる人々が『この子は根気がない。』とか『根性がない。』なんて言語や非言語で表現しようものなら本人もそう思い込んでしまって不思議じゃない。

気の持ちようと言う言葉は確かにあるものの、いつしか使い方を間違えてしまった無知の群れほど怖いものはない。

小さな小さな山を越えるのも精一杯の人に横殴りの風が吹いたらそれだけで倒れてしまう。

でも、元々そんな体感覚を経験したことがない人で、一際想像力がない人は永遠に分かりっこない。

ただ、一つ。

そんな人々も居るというだけで、心身の具合が悪い人の全て、人間関係がうまく行かない人の全てがこのタイプじゃないのよね。

例えば、健康な身体を持っていたのだけど、怒ることばかりに体力を使って来た人や、人のことばかり見ている人の場合、要するにそれだけの元気があるということなんだよね。

その授けられたエネルギーを不毛な方向へ使ってますます怒りを募らせることに人生を注いでいるのだと思う。

けれども先日書いたように、性格はあくまで周辺機器。

そして、エネルギーの方向性を変えれば、もしかしたら体質まで周辺機器と考えても不思議じゃない奇跡が起こるかも知れない。

元々100歳まで生きる身体を与えられた人が80歳で亡くなるのと、20代で早世するはずだった人間が40代後半まで生きられていること。どちらが幸せかと言うと何となく私は後半のような気がする。

そして、同年代の人々と一緒に年を重ねていると、最近、特に思う。皆、ドンドン自分らしくなっているな。ドンドン自分の幸せに近づいて行っているな〜と。

重たい鉄の塊とか、刃物とか。それを持つのには余分なエネルギーが多大に要るし、そのまま孤独を嘆いていても無理。

狂気を振り回しながら自分を愛せと叫んでいても、大抵の人は何キロも距離を置きたくなるというあたりまえ。

これは年代や性別の問題じゃないか。というあたりまえ。

人は自分の幸せにおいて責任がある。何故ならば、その自分を放棄している人、つまりは自分が痛い人ってのは周りの人をも痛くあって欲しいと思う人が多いから。

笑っている人をわざわざ憎む。自分より幸せな人は許さないが、自分が幸せにすることの何たるかを考えないし行動しない。人に生まれて来て、これほどの孤独で不幸なことって無いと思う。
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2016年03月03日

遺された先人の大輪

かつてアドラーは『自分の性格を変えるには、いくつになったら手遅れでしょうか?』と尋ねられた。

大抵の人は年齢で答えが返って来るかと思うだろう。

しかし、アドラーはこう答えた。

”死ぬ1〜2日前かな?”と。

アドラー心理学での日本の権威の某先生は、そのエピソードを引用しつつ、『僕は1週間くらい欲しいなあ。』と言って笑ったという。

要するに性格というのは、もちろん生まれつきの遺伝子が無関係ではないものの、それを物凄い勢いで追い越すほど、後付けの要素の方が多いということなのだろう。

昔の映画の”エス”しかり、元々普通の生活をしている一般の方々を募集して看守役と囚人役を演じつつ生活して貰うという実験&研究が実際に行われた。

すると、わずか1〜2日で看守役の人々も看守の心理状態になり囚人役の人々は囚人の心に変化して行った。

さらに日数が経つと、ますますその要素が固定されて行く。(まあ、どちらも凶暴化したり卑屈になって行ったり心が怒りに支配されるわけだけど。)

ここまで大袈裟な実験でなくとも、私たちだって、一つの職場である程度長い期間を過ごせば、その職場での常識やら偏見やらが身につくし、他の世界が見えなくなるというケースが多々ある。

例えその環境を抜け出たとしても、自分自身がそれを自分の性格や自己概念だと思い込んでいるので当分抜けない。

そんな環境要因の中で比較的長いものが生育環境で、しかも人生の初期に刷り込まれるものだから、今の自分に合わないセルフイメージや世界観、人間観だと分かっても中々捨てられなかったりするケースも多い。

もう場面が変わっているのに、しつこいほど前の時代のフィルムにこだわり、しつこいほど他人にも押し付ける。

人は自分が憎んでい来たもの、忌み嫌って来たもの、はたまた逆にこよなく愛して来た何かにそっくりになってしまう。

それがこだわりというもののやっかいさなのだろう。

ある人は「心理学なんかで私を分類されたり決めつけられたくない!」と心理学そのものを学ばぬうちから猛然と怒るのだけど、実は自分自身が『男とは、女とは、親とは・・・』というふうに誰よりも沢山の決めつけを持っていて一切人の話しが聴けないまま年をとっていたり。

色んな人がいるんじゃない?と言っても『いや、絶対、こうだ。何故なら自分は・・・』と昔話を始めてこれまた誰の話しも聴けない。

世界を変えないことに力を注ぎ過ぎて青筋が出来るほど踏ん張って、でも、結局は周りが変わって行くので景色も人も違うものになって行く。

変わるということ、流れに乗るということが、実は大切な何かを変えないことで、変わらないように踏ん張ることが、実は大きな喪失を生むほどの変化だったりする。

臨床に向かう前は、人はとことん話を聴いて貰えれば変わると思っていたし、確かにそれは50パーセントほどあたっているかも知れない。

でも、中にはいくら話しても、誰に話しても、幾人の人々に出会っても、どんなに遠出しても、自分の中にある暗い法則を立証するために他人様を使い続ける人も居る。

その人に残るのは、やっぱり怒り。

そこに付き合えないほど皆も頑張っているのだということを分かろうとしない幼稚な怒り。

怒っても他人は変わらない。

変えられるのは自分だけでしかない。

それに気が付き行動して行くのが、アドラー曰く死ぬ1〜2日前じゃなければ手遅れではないとのこと。

日本の某権威曰く一週間前だと。

でも、同時に彼らは言っている。

”今すぐ変えられるんだけどね。”と。

それはそう思いさえすればの話しで、『だって・・・・でも・・・』というゲームをしたり、はたまた『何々のせいで私はこうなったんだ。』という無理な理屈を立証するゲームに時間を費やしたい人の話しではないのだろうなあ。

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いくら人の愛を貰っても、いくら人の時間を奪っても、いくら喋りまくっても、何も変わらない人に遭遇してからそれが分かるまでにはどうしても多くの時間が必要ではあるが、これだけはハッキリしている。

その人々にとって必要なのは、もはや喋ることじゃない。黙って耳を傾けたり、素直な目で同じ生物としての他者を静かに、これまた素直に見つめてみることしか残されていない。

それを知ってから私にはなるほどなーと思った。

『書くことが嫌い。』、『いちいち考えるのが嫌い。』と言いつつ、喋り散らかしては、自分で片づけようとしない人の大きな不安や不信は、留まるところが無い。

人の道に踏み入っては花を踏み、こうしてあげようか、こうすると良いよと言う癖がある人の落ち着かない目や言動の中にある数々の嘘にも終わりがない。

残念ながらそこに本当の笑顔はないのだなと改めて知る。

実は本当の笑顔とは、自分の幸せに責任を取っている人に咲く花のようなもので、そう言った人々というのは、決して他人の花を踏み散らさない。

自分にとってのそれが大事なように人にとってのそれも大切なものだということを知っているから。

寂しいのは、人や過去をじっとり見つめている間に、自分の道や自分の花壇が荒れ放題になってしまっているからだ。

もとい、性格とは、後付の周辺機器のようなもの。

取り外しや交換が可能なものであり、逆にあんまり古いものをつけていると壊れるし、時代が変われば人様に『何、それ?』とビックリされるのは当然だったりする。
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2016年02月24日

人様の翼にぶら下がってはいけない(振り落とされるから)

もはや、今年二回目のカウンセラーズトレーニングの会。

春の嵐が心身&公私共に吹き荒れる中、本当に皆さんよく頑張っていらして下さったなあと思う。

の前に、どうでも良いことのような気がするのだけど、ここ一年くらい夫がこの第四火曜日の前日にピザを注文してくれるようになっていた。

さすがに忘れているだろうと思ってこちらで注文しようとしようものならダブるという危険性がある。いくらなんでもピザ4枚はこの人数ではきつい。

で、これはいつ気が向くのかは分からないが、時々ピザ代まで先に支払ってくれていることがある。

このピザの宅配が来る時間帯は大抵やっとシェアリングが終わる頃なのだけど、時々、ほんとにランダムに『あ、お代はいただいていますよ。』と言われることがあって『え?そうなの?』というやり取りになる。

そんなことも忘れるほどの喧噪が生じるトレーニングの会なので、前回のとき、何かの拍子にやっと思い出して『そう言えば、この間、ピザ代払ってくれたでしょ?その前も。それからその前も。ありがとね。』とやっとお礼を言ったのだった。

気まぐれなんだか理由は分からないのだけど、二分の一かそれ以上の確率で払ってくれてるよね?と。

するとビックリすることが判明。『いや・・・。俺、あの時とあの時以外は払ってないよ。』と。

え?夫が申告して来る回数とピザが無料になっている回数が全然合わない。

夫が払ってくれていた!と思った時、玄関から帰って来る私にBちゃんが『小人さんが払ってくれたのね。』と冗談で言ってくれていたのだけど、まじで夫も私も払っていない機会が時折あることは確か。

ドキドキするので明日の分は払ってないよね?とわざわざ確認を取って出向いたところ、今日は確かに払っていなかった。

小人さんだか天使さんだか・・・確認取るとこの現象は起こらないらしい。

私は結構大ボケこくけど、夫はこういうの忘れないのよね。ほんとにあれは何だったのだろ。気がついちゃったから、もう二度と起こらないかも知れないけれど。

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で、話は戻って、それぞれ内側や外側で色んな気付きや転機を迎えている方々のドラマは濃い。

一人一人のお話を聴く度に皆心や普段使わない部分の脳が良い意味で動いている。

皆、凄いなーと思う。

ほんとに一人一人凄すぎるのだけど、全部書くと本が出来てしまうほどなので、一つだけ取り上げるとすると・・・。

常日頃介入と侵入は違うということや、依頼と非依頼の場合において起こり得る失礼さや暴力について話し合うことが多い。

一般的に人は悪気なしに『○○してあげようか?』って言うのが好きだし、依存的な人だとそれを喜ぶばかりだけど。

カウンセラーやら人育てや伴走するときの心構えなどを考えると、そうは行かない。そこのところを学んでいないと頼まれてもいないのに『○○してあげようか?』と土足で入って来るだけの人間になってしまうから。

ところが、今日、とあるお一方がお話してくれたエピソードを聴いて多くの人が憤りを感じたり何かしたいと強く感じた。

世の中で言う善悪なんてものを越えて、本当に馬鹿げたことを仲間に言ったりしたりする人間に向けて。

お一方が『ううううう。やっちまいそう。やり過ぎてしまいそう。』と自分の中のNPを押さえる場面もあったのだけど、この場合は良いんだよなあ。ってか、それくらいでもあまりある。

何故なら緊急事態だから。

そこのところを言うと、たちまちシェルターが二つも三つも増えた。

皆自分を知り、自分の大事な場所を自分の手で築きあげて来た人々。

だから、誰にでも解放しているシェルターではない。

でも、彼女という大事な存在には、シェルターの家主が、シェルターごと、ぐわーーーっ!入り口を大きく開けて叫ぶ。『おいで!いつでも来て良いからね!』と。

それはそれは、家主もしかり、どのシェルターも強固に守ってくれるシェルターに違いない。

その少し前の時期に私も同じようなことを言っていたのだけど、とある理由で『うん、そっちの方が良いかもね。』と感想をもらした。

するとそれについての方法を『じゃ、こうしよう。これを渡して。』とか『これも持って。』とか『いや、それだとこうなるよ。』とか『ぎゃー!あっ!そっか!一緒にしてちゃダメだ!』とか、もの凄い騒ぎで我が身のこととして考えていた。

でもね、この場合も何かを提供するだけであって、決して彼女の選択についてあーだこーだ言ったり、こうしろああしろと言う人など居なかった。

他人の人生やその選択を尊重することはもはやあたりまえとなっているので、誰も気が付かないかも知れないけれど、こんなとき皆凄いなー、成長したなーとひそかに感動する。邪魔しないというあたりまえが浸透しているのよね。

もう涙の後の笑い。

必死なことって、その時は必死なのだけど、後でその光景を見れるとしたら笑えることの方が多い。

私が一番嬉しかったのは、その出来事を世間一般、通り一辺倒のきれいごとを言う人など一人もいなかったということや、何より、彼女自身という人間を本当の意味で知り、本当の意味で共感したり守ろうとしてくれている方々の心。

結局、在る人が提供した宝物は誰にも分かるし誰にも分からないものとして置き場所が決まった。

あらゆる事態を想定していっぱい考えて口に出した割には決定が早い。凄いっす、このチーム。

女は怒らせると怖いぞ。

暴力や暴言無しに、女は黙ってある日突然、こてんぱんにする。だから、あまり調子に乗らない方が良い。それを知っている男は異性を上手に扱うし非常にもてる。(笑)

時代はもはや移り行く。古いやり方は通用しない。

『私、怒ってる!』と誰かが言う。

みー ちゅー。

それはともかくとして、皆、今を生きよう。

癒しだの浄化ってのは成長のためにある。ありのままであるためにある。

だから、浄化して終わりってわけじゃない。

ところが、本人が浄化しようとすると、汚しに来る人がわんさか居るのも問題なんだよね。

でも多分、蝶の大群しかり、勢いは止まらない。

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そう言えば、某女優さんがさりげなく、押し付けることなく語っている人生観を聴いて感銘を受けていたというお方あり。

その女優さん、こうも言っていたのよね。

”私は血の繋がりなんて信じていませんから。”と。

全ての人ではないけれど、とある荊の道を歩んで来た人を励ます一言ですらあるのかも知れない。

肉体の家族も非常に色んなことを学ばせてくれるものだが、それ以前に魂の家族というものが存在することを知っている人なのかもなーと、そんなことを思った。

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今日のワークは、目に見えない。けれども確かにそこにある大切なもののプレゼントリレー。

皆、素敵なものを分かち合って下さった。

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