2017年01月22日

普通がとても劇的 その2

つい最近愛しき依頼人さんと話していたのだけど、某TV番組で視聴者が日常の腹が立つことをハガキで投稿しては二人のタレントさんがコメントするという企画がある。おそらく誰でも知っているファンが多い番組。

怒りがわいてくる事柄についての出来事を読み上げられた後、「お二人ならどうしますか?」とふられるのだけど。

何が面白いかというとお二方とも多分コメントが正直であるところ。

馬鹿!と思ったら言うし、共感できないことには共感できないと示す。その後、二人の話がどんどん脱線して行くうちに考えが柔軟に変わって「分かった、そういうことね!それは腹立つわよね。」と賛成するコメントに変わることもある。

何年も続いている番組なのだけど、お二方が「親戚縁者の中では我々はもはや異形のものだから。」とか「我々はクズだから。」的なマイノリティな感じを出しつつも、実は凄く常識人で、むしろ不特定大多数の人々の方が集団で常識がない部分があるのだなと感じさせられたリ。

出演者が大爆笑しているくらい楽しいものなのでこちらも笑ってしまうのだけど、時々深く頷いてしまう。

例えば今年の初めの頃に「インドに行って人生観は変わるか?」という質問が出たときにさんざん面白いトークが続いたあげく「インドに行かなくとも人生観は毎年変わるっつうの。」と言った芸人さん。

「何が、”この間と言っていることが違う。”だよ。あたりまえだよ。日々更新されるんだからそりゃ違うよ。それが成長だよ。」ということを絶妙な間の取り方で語っていらした。

そうなんだよねーと爆笑しながらも共感してしまう。

他人様に「変わるな。」と言う意志を向けてしまえる人のずうずうしさや幼さを思い出す。

そして自分自身も頑なに不自然なほど変わらないようにしようとしている人の幼さも。

「俺は曲がったことが大嫌い。」なんて言っている人を見ると引くもんね。そう言っていること自体が子供だし、物凄く曲がったこと。あるいは周りがあんたのためにもっと曲がんなきゃならなくなるんだよってこと。

もとい、プロの方々のトークで、しかも編集も多少加えられているので見事としか言えないのだけど、同時に改めて思う。

トークが出来る人というのは少なからず傾聴出来る人だなあと。

そしてよく考えて来た人でもあると思った。
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2016年12月03日

時間

昨日に引き続き、びっくり&感動したのは、やはり今回のことを会う人、会う人が応援して下さること。

『いやあ、尊い意志だと思いますよ。素晴らしいです。頑張って下さいね。』

いやいやいや、足蹴く通って下さっているそちら様の意志こそ尊いわけで、今回は自分の希望のためにその尊い意志の自分旅に利用して下さっているあなた方に迷惑をかけているわけで、それは決して素晴らしいだなんて言えないことだと思う。

しかし、そう言うと「だから、ほら。教えてくれたじゃないですか。ずっと。私の意志も尊いだろうけど、かおるさんの意志も価値があるものなんですよ。」

う。

そうか、そうか。ありがとう。こちらが傾聴している間、何年間にも渡って少しづつ、こちらが気が付かないほどに着々と伝えて来たことを受け止めて下さっていたのね。

『いえいえ、今までが自由に時間を貰い過ぎていたんですよ。これからも来るけどさらに一回一回を大切にするのでよろしくお願いします。』とか。そんな言葉を聴くと本当にいたみいる。

本当にありがとうございます。私も初心を思い出して自分の意志を大切にする。

しかし、思うに、定期的かつ頻回に利用して来て下さった方々ほど、今回の状況は困らせてしまうんじゃないか?と思いきや、逆だった。むしろそういう使い方をして来て下さった人たちほど本気の笑顔で目を輝かせて『賛成しますよ。』応援してくれる。

そう言えば、いつもそうだったような。衝動的に「今日か明日を空けてそこに入れて。」とか仰ったり、それが叶わないと被害的な気持ちを訴える人とか。

仮に衝動的な予約でもたまたま空いていてお受けすることが出来ても、前回と間が空き過ぎていたり、全然キャッチボールの球を受け止めてくれていなかったりするものだから、結局は前回の話と同じ地点から始まるケースとか。

『それは困る。勝手に決められて。もっと枠を取れるようにしてくれなくちゃ。』と言う人の比率が高いのね。

たまたまレイキのトレーニングにお友達同士でいらした際、まさにこの両極端のタイプのお二人がいらっしゃったのだけど。

『ええ〜?』と顔をしかめるお一方に向かって、コツコツ通って下さっていた方が『えーって。あんた、来れる期間にちっとも来なかったじゃん!』と突っ込んでいらしたので爆笑するのと同時に”ああ、そういう法則か。”と先述のことに気が付いた次第。

『どうせ、すぐに捨てたり投げ出したりするんだから。それだといくら時間空けて貰っても同じなんだよ。』とまで仰ったとき、思わず制してしまった。お友達同士だから大丈夫だろうに、ついつい止めてしまう心配性。

******

某居酒屋さんで、冬場になると熱燗を飲みながら読書している某企業の社長さんが下町ロケットなる本を読んでいたしたのは大分前。

偶然なのか、この人の時代を先取るセンスのせいなのか?それは分からねど、この人がそうやって読んでいた小説は、その少し後の時期に必ずドラマや映画になる。

だから、おそらくあれはメディアで放映されるよりずいぶん前のことだったのだろう。

何読んでいるんですか?と訊いたら、このタイトルが出て来たのだった。

本もドラマも映画も観なかったのだけど、そのブームが落ち着いた後に、やっとドラマを観てみたのだけど、色々と感動することがあった。

その色々な感動の一つになるほどなーと思うエピソードがあった。

宇宙へと飛び立つほど素晴らしいことが出来るロケットは、小さな部品が気が遠くなるほどの数合わさって出来ている。

要するにどんな凄いものでも、元々は部品という小さな単位の集合体。

そして国民性なのか何なのか、その部品を丁寧に精工に作るので大きな成果につながる。

とんでもない手間だと思う。

あんなに大きなものだから部品一個くらい多少磨きが足りなくても大丈夫なんじゃないか?思いがちだったり、あるいはロケットを打ち上げる上での注目や経済的効果や名誉だけを先に欲しがる人も沢山いるのが世の中。

でも、部品一つを研磨できないのだとしたら、ロケット自体や、それを打ち上げる人のことをいくら『いいなー、いいなー。』と羨んだり憎んだり怒ったりしても、それは無茶な話というもので。

一つ一つ部品を作ったり磨いたりする作業は心理学だけじゃなくて世の中のあちらこちらの法則を象徴している。

単体のときにはあまり用途が無いし、どうしてこんなちっぽけな部品ごときで苦労しなきゃならないのか?と捨ててしまう人も多いだろう。

『こりゃダメだ。リセットしよう。あっちの人が持っている部品が良いからあれを真似しよう。』の繰り返しで、そりゃもうドンドン捨てる。

小学校の家庭科の実習で筑前煮をみんなで作っている際に、だし汁の味見をして『あ、これ、筑前煮の味がしない。ダメだ!』と言ってシイタケごとそのだし汁を捨ててしまった子にはビックリしたが。

それ単体に完璧を求めても無理。だって、それは一工程、筑前煮の部品であり、でも、本当は欠かせないもの。

そんなふうに人の成果や結果ばかりを観て先に進もうとしない現象は、過去の自分を否定する気持ちとも似ている。どんな自分もどんな時代も大切なのに。

そしてそのドラマの中で気の遠くなるような工程を積む人々が言う。『なんで出来るのか?って?好きだからだよ。昨日分からなかったことが今日分かるようになるからだよ。それが面白くて仕方がないんだ。』と、

好きなことと言っても、決していつも楽しいわけじゃないだろう。嫌いになるときだってある。面白くないと思い続けてある日突然好きになることもあるだろう。

でもそれって、ある程度続けないと分からないことなんだろう。

*********

なんだかしんどいけれど、今のこれって、いったい何の部品なんだろう?と思うことがある。

でも、それは分からないことの方が多い。

組み立て始めてから初めて『あ、ここれにはまるものだったんだ。』と気が付くかも知れないし、それを通り越すと組み立てて満足だったのに、思いのほか、飛んでしまうことだって出来るというビックリするような奇跡が起こることもあるのだろう。

あるいは、飛ばしてみないと失敗だと分からないこともある。

そういう失敗は実は失敗と呼ばない。経験と呼ぶ。
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2016年11月16日

ひどいやつ(じゃないかも)

💢学生時代の友人からの電話に出るとろくなことが無い。

「ぷぷっ(笑)。かおるちゃんに似ているキャラが出て来る話があるよ。」

・・・・・・。暗殺教室っていうことならこの間職場で言われたけど。それに今それお借りして読んでいるからもう良い。暗殺教室 コミック 全21巻完結セット (ジャンプコミックス) -
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昔は可愛い人にしろとか、せめて女にしろって言ってたけど、もはや、人間じゃねーのかよ。せめて人間にしてと哀願する昨今。

「違う、違う。それじゃないって。人間だよ、人間。ちゃんと。」

ちゃんとって何だよ。じゃ、これか!?知ってるよ。名前が同じなんだろ。もういいって。しかも全然似てないから!闇金ウシジマくん(38) (ビッグコミックス) -
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「いやいや、そうじゃなくて。」

じゃあ、これか!あんた、前にこれに似てるって失礼なこと言ったじゃない。これか!もういいよ!似てないから!で、またしても人間じゃないし。鬼だし。今忙しいから切るね。鬼灯の冷徹(23) (モーニング KC) -
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「えー?そんなこと言ってないよ。」

あ、ほんと?そう言えば、これ言って来たのは元同僚ナースだった。濡れ衣着せてごめんね。じゃ、そういうことで!

が、電話を切った後、ラインが来て、動画のURLが貼り付けられて来た。

”カオルちゃん最強伝説”

・・・・・・・・・・・。ひ、ひどい。ひど過ぎる。私、化け物過ぎる。

生まれたときに原発が関係しているとか、化け物だとか、何なの、これ。この仕草とか喋り方とか、無いわ!

似てない!と返信したら

「あ、ごめん。ごめん。そのエピソードだと人間性が分かんないよね。こっちのエピソードだと人間性が分かるよ。」と言って貼り付けられていたのが”エピソード1”の方だった。

そんなの観ている時間は・・・・無いと言いつつ結局気になって翌日の夜に観てしまった。

確かにこっちだとセリフもいくらか人間らしいし、一途でええ話やないかい・・・と思う。わざと最初に酷い方を見せたな。

「そうそう。でも、そっちの話だったら良いでしょ?」

そうだねー・・・・・・・・って、なるかっ!

プリプリ怒っていたのだけど、間を開けてもエピソードを二つも見てしまうと、やがて色んなところに気が付いて来る。

昭和の昔の背景や古き良き(?)時代の夕暮れとか背景とか人情とか。

で、とうとう3作目もランダムに見入ってしまったのだけど、もう主人公も周りの人々のことも何だか好きになってしまうのよね。

物凄くくだらないけれど、物凄く笑ってしまったり、切ない話があったり。生と死の話があったり、スタンド・バイ・ミー的なところがベースにあったり。男が男に惚れたり女が女に友情を感じたり、恋愛要素やスケベさで腑抜けになって自分を見失っているしょうもないキャラが、ある日、もっと大事なことに気が付いたり。

で、周囲の人々が次々気がついて行く大事な何かを、実は主人公が最初から知っていたり。

しかも、実在する人々だったのね。だとするとまあ、半端なく素敵な思い出話だなと、見続ける度に色んなことが染みて来る。でも、まー、よく笑った。普通だけど普通じゃないんだもん。

進行中、やたら登場人物たちが『かおる!』『かおるちゃん!』と連呼するのだけはいちいちピクッ!って反応しちゃって見ずらかったけどね。

と言うわけで、少々感動してゆるーく深く好きになってしまったのでラインで「面白いの教えてくれてありがとうね。何だかちょいちょい流しておきたいドラマだわ。」と送った後で追伸。

似てねーからっ!過去にも今にも先にも!

「わかってないなー。」

そっちがだよ!
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2016年10月16日

発表会

今年もりっちゃんママの新日本舞踊のオンステージの日が来た。

昨年は昼過ぎと聴いていた気がしていたので仕事が終わってから夫と一緒に駆け付けた。← 夫は日曜日なので大抵は休み。

しかし、なんと、出番が終わっていたという惨劇。

なので今年はもう最初から見ようねと夫ともにだいぶん前から言っていたし、ママ自身も何か月も前から「あー、緊張するわ。まだ完璧じゃないのよね。扇が開くかしら。。。」と、時折ぶつぶつ独り言のように言うので自ずとこちらも気合が入ったというわけで忘れるはずがない。

会場では、あんまり前に行く人はいないので、携帯と言えども動画を取るべく構えるのは恥ずかしい。

しかし、思い出していた。「母に観て貰いたかったのよ。」と。ママのお母さんは90代で未だ頭のさえた方で、昔にはこのお母さんの方も日本舞踊をなさっていたとか。

私たち夫婦が車椅子で会場まで連れて行ってあげるという約束をしていたが、お婆ちゃん、体調不良とか疲労とか、あと遠慮もあったのだと思う。行かないと仰ったそうだ。

行かないっていうものを無理やり誘いだすほどラポール取れてないし、余計なおせっかい止めようかと夫と話していたのだけど、やはり思い出すりっちゃんママの声。”母に観て貰いたかったな。”。

そして前々から”ねもっちゃんにも見て欲しかったな。”

これは黒子になってステージ端っこの下のあたりで団子虫化してまで撮るしかないでしょう。私。どんなに気を使っても目立つだろうけど、舞踊に集中している皆さんは私に気が付かない程度に頑張った。

おかげで綺麗な舞が取れました。これでお母さんにも見せられるね。ねもっちゃんにも見て貰おうね。

********

そんなポカポカ天気の午前中、りっちゃんママの舞踊を観て、感嘆して会場を後にする。

夫は「ランチして行こうか。俺、今日の定例会まで時間あるし。あんたも立川でしょ?一緒に行こうか?」

と、そんなわけでローカルな○○食堂という場所でゆっくりランチした。

そしてその後、夫が昼間なので当然しまっているとまり木さんという居酒屋の近くで車を停めて「猫たちのやつは昼間もいるのか?見て行ってやろう。」喜々として車を降りて塀の向こう側にいないかなー?と見ている。凄い。白ちゃん、あなたのおかげでこの人少し可愛いってのが分かって来たみたい。大嫌いだったのに。

すると、育児疲れで太陽浴びて爆睡しているコロちゃんを至近距離に発見。顎を上に向けて爆睡している。人間があんまり気が付かないゴミ収集所の裏にある茂みの中だった。IMG_1211.JPG

人は入れないので手を入れて撮影する子猫たちが”ほよ?どした?”とこちらを観ていた。

おっと、コロちゃん、起こしてごめんね。きっと今夜もお祭りみたいな夜が来るんだろうね。

猫も人間も同じく楽しく健やかにと願う。

私はというと、今週はとうとう行けなかった。昨日も今日も仕事あり。

でも、今やっと回復中故、仕事が無かったとしても、ちょいと一人で静かにしていたい気分だったのかも知れない。

そして月が素晴らしく美しいこの夜の静けさの中に深く入っていく。
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2016年09月23日

チェインギャング

あ。しもた。

ヒプノグループのアルバムに追加しようとしたら、またやり方を間違えてしもうた。後の祭り。アフターカーニバル。

でも、アホの思い出もこのままに、あえて修正しないでおこう。

********

昨日、ヒプノの実習を終えた後に、疲れているだろうに、またしてもMさんがマッサージを施術して下さった。

今度は肩がコリコリで頭ズキズキの部分を。

まったく持ってお申し訳ながんす。しかし、またよく眠れました。

”先生、何か重いもの・・・人を抱えた?”

い、いいえ、先日鉄のオートクレーブの機械を持ち上げました。あれがあかんかったのね。でも、どーーーしてもどかしたかったのだ。

********

ところで先日TVを観ていたら、圧倒的に強い柔道現役選手をマッチョサイコパスと呼んでいるシーンを観た。

なるほど。サイコパスというのは、決してネガティブな意味だけではなくて、例えば彼の場合で言えば、あの会場のブーイングが聞こえないほどの集中力だ。要するに勝つためには?ということを第六感まで駆使数秒で読み取る。相手選手の分析を何十秒かでやって作戦を決めて、あとは練習してきた体の反射に頼るだけ。

要するに見事に心も体も交通しているのだなと思う。

同等のことを、ここ数年の間、一人の少年ボクサーに感じた。そう、あの世界最速でデビューした上に最速で世界チャンピオンになった怪物青年。というよりまだ少年にしか見えないけれど。

観ていると先の柔道家と共通するところがある。いちおうVTR研究もするかもしれないけれど、他の選手とどこが違うか?というと「強いから怖い」という恐怖心がすっぱ抜けている。そう、緊張はあっても恐怖が皆無、もしくは普通の人よりずっと少ない。

何故ならば、人の評判もいちおう耳に入れるがさほど重視せず、相手が世界チャンピオンで自分が駆け出しの新人の部類だってことなんて関係なく、ぐいぐい行くんだもん。で、ガンガン打つ。

もちろんガードしながらなのだけど、あれだけ重いパンチを連打されたら、ガードどころか相手の手が出ない。

周知のとおり、敗れて行った方々だって、物凄い人たちばかりだったのに、まさに怪物が現れてしまったのだから。(ひさしぶりに)

しかし、マッチョサイコパスが狭義の意味でのサイコパスと違うところは、その目標を達成した際に、号泣というよりも咆哮に近い声をあげて大泣きすること。両手をあげて。

あるいは大の字になってひっくり返して泣く。

あれ、自分が得たものの大きさに押しつぶされるような喜びなのだろう。

合理的な部分をある分野に出してもむしろ普通の人以上に感情というものが存在する瞬間。

********

私はそういう圧倒的な才能の人々を恰好良いと思う傍ら、また別の意味で同じくらい心が揺さぶられ感動することがある。

例えば、アイドルグループのリーダーが、”チェインギャング”という歌を歌うまで、その歌を知らなかった。

でも、凄く良い歌詞だと思った。

好きな曲だなと思ったので持ち歌として歌っている人々の動画もきちんと聴いたのだけど、

まずは、その歌詞に打たれたということ。そしてそれは嘘の魂のつぶやきであったということ。そして、バラエティという場面で笑うべきものと扱われていたし、多分多くの人が笑うかも知れないけれど、私は笑えなかった。彼が一番心を込めて歌える人物でキャラがぴったりあっていると思ったから。

で、バラエティを長くこなしているというのに、「ここは笑って欲しくない」と彼自身が本気で思っているのが伝わったから。多分この歌を愚弄されたくなったし、笑いながら聞く歌ではないと思っていたからだと思う。

なもんで後者のVを観た際には、むしろ笑っている方の人間がかわいそうに思えたくらいだった。

綺麗に歌う、綺麗に何かをする。かっこよく歌う。上手く歌ったり器用に何かをこなす。それはとっても素敵なことに変わりないのだが、中にはその人ならではの、超越というものがあるから、ほんとは私、あの歌、最後まで彼の歌い方で聴きたかったな。

時に人は正しくて優しくて、でも、時々大きく間違える。
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2016年07月19日

とある時期、5回連続で放送された色んな芸人さんの列伝がある。

と言っても未だTVをリアルタイムで観れない私はそれをYouTubeで観たのだけど。(仮に時間があったとしても何故だかTV観ないと思うけど。)

YouTubeなどを観るようになったのは、大切な存在の姿を観れなくなってから。大切な子の体温を感じられなくなってから。

その時期もやると決めた仕事は頑として続けていたし切り替えていた。当時の心境と自分が貫いている仕事や生活のギャップやその切り替え方を回想するとまるで鬼の意志、鉄の意志のようだ。

でも、今思えば、その大切なフワフワの子が私の真隣の席に座って一緒にクライアントさんの話を聴いてくれていたり、ある時は玄関にいち早く迎え入れたり、テーブルの上にあがってその人の真正面に鎮座しては懸命にメッセージを送ったり耳を傾けたり、感極まって落ち込んでいる人の胸をちょこんちょこんと叩いたりもしていた。

積極療法やら対決療法の場面になると、そこばかりは猫なもんで本当に私が怒って喧嘩しているのかと勘違いして「まあまあ、まあまあ。。」と二人の間を行ったり来たりしてたり。

はたまたある時はヒプノセラピーの最中に、本人的には手伝おうとしたのだけど、クライアントさんを応援するあまり、本人が言わなければならないことを大声で叫んだことも。「にゃああああ!」と。

猫なのに「うん。」と声を出して傾聴している不思議な子だった。三階から一階まで降りて道端でお客様を待っていることさえあった。

そして仕事が終わると「やれやれ。とりあえず一緒に寝ようにゃ。」と誘って来たり。

理解できない人は「猫」だという。

世話しなきゃとか飼わなきゃとかいうのだけど、白ちゃんはそんな人間の思い上がりですら熟知した上ですべてを許してくれていた。私がそのことに関して怒ったり残念に思っていることさえ察知して、「いいんだよ。やめとけよ。何が一番大事なんだ?」と言うようなことを言う。

分かる方々は彼女を白先生と呼んだ。知らない人が聴くと笑うかも知れないが。

多分、白ちゃんが手伝って来てくれた日々、白ちゃんが支えてきてくれた仕事を決してダメにしてはならないなと感じての意志だったのだと思う。どんなにしんどい日も。

それでも一日に何十回も悲しくなるので、その白先生とのお別れの後、夜になると自虐的に猫の動画ばかり観ていた。そんなもん観ても白さんはどこにもいないのだが、やはり命は可愛い。

そのうち、政治だとかニュースだとかバラエティとか、興味もなかったものがサイドにあがって来るようになったので、それを観るようになったのがきっかけだった。

人って話を聴いてみないと分からないものだとリアルで出会う人たちに対してはあたりまえのように思っていたのだが、中でも私が衝撃を受けたのが芸人さんたちの話だった。

MCの人も雛段の人も、何故面白いのか?と思って観ていたら、ああそうか、口先だけの仕事ではないんだな、魂とか生き方とか、自分自身を知っていないとできないタイミングやキャラ作り。

これは実はカウンセリングと無関係じゃない。

心理学とは別の心理学だなと思った。

皆泥臭く苦労して来た時代の話を持っている。

そして、あがったりさがったりしている。

もうだめだ、おいまいだと思うような体験もたくさんしている。

でも、それを知らない人が○○みたいな芸人になりたいと思ってその世界に飛び込む。

その時点では、実はそこまでの苦労やアップダウンがあったということすら知らない子たちでさえも。

どの世界でも同じだなと思う。みんな互いを知らないでずうずうしく嫉妬したり、「あの人は恵まれているから。」とか「あの人はずるい。」という理屈で努力をしないことの言い訳にする。どうしても被害者でいようとする。何故ならその方が楽だと無意識が思い込んでいるから。

一般の世界でも自分と同じ年頃の女の子に嫉妬したり、まじで腹を立てたりってなことはよくあることで。

それを観ていて不思議に思っていたのだけど、そうか、そういうことだったのか。嫉妬というのは本来自分に与えられるべきものを自分と大差ない、あるいは自分より下だと見下している人間が持っているのを観て腹を立てること。

要するに、誰かが何かを成すために積み重ねて来たプロセスは見ずにある日突然そうなった、あるいは生まれつきそうだったと思いたいのだろう。

私は同病相憐れむという状況が好きな人が、友達だと思っていた人間が何かを成す度に一緒に喜ぶどころか、態度が一変するのを沢山見たけれど、そういう人には友達は居ないのだろうなと思う。

その番組に出演していたあるコンビは片方が小説で賞を取ったがそれを心から喜んでネタにしているくらい。誇りに思っているくらい。

はたまたある芸人さんは、年間に200本ものロケをやっている際、それはロケのうまさに定評があるからなのにも関わらず「漫才をやりたいのに。」と内心嘆いていたという。

またある人は、これまた意外な人物なのだけど、売れっ子になった後にパニック障害を起こしたり円形脱毛症になった。

笑いとリアルを交えて話している姿を画面越しに観ていて突然思い出したのだけど。

私、人は笑うために生きているとひそかに思って来た。長生きするとか、立派になるとかそういうことじゃなくて。

思えばそれって、どれくらい昔だろう。彼ら芸人さんたちが尊敬してやまない先輩芸人さんがとあるドラマの中で言ったセリフと一緒だったので驚いた記憶がある。

全く違う二つの根幹が実は酷似していることってこの世には沢山あると思う。

それぞれ色んな生き方、色んなやり方があるとは思うものの。

多分どこの世界でも、他人をじとじと見つめたり、自分がいかにかわいそうかというアピールをするために生きるのと、心から笑うために生きる人の違いは、あらゆる意味で現れると思う。

心から感動できる人が人を感動させることがあり、心から笑える人が人を心から笑わせることがある。
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2016年02月25日

何度もやってくる示唆

私の世界というものは、いくら歩み続けてもごく狭い狭い世界に過ぎない。

けれども、幸いなことをあげるとすれば、私自身がこの世界が狭いのだと知っていることだろう。

ある日、Bちゃんが懐かしい漫画を持って来てくれた。

さらりと1ストーリーを聴いたあと、彼女が何を感じ、何に涙したのか?ということが痛いほどよく分かった。

”多分ね、この漫画の前の章を私、詠んだことがある。これこれしかじかな話が無かった?”と思わず訊いてみた。

何故ならそれはシックスセンスしかり、私自身の妙な体験とも重なるが故、当初、私自身も涙した漫画だったから。

誰にもわかって貰えないし、そういったことを見たり感じたり遭遇する私はどこかまともな人間ではないんじゃないか?という疑問と共にその漫画に引きつけられていた時代に読んだ作品だったから。

それから私はそれとはかけはなれた科学や医療の世界に身を置いて来たのだけど、Bちゃんというパイプを通して、やはり、同じ作品がやって来た。

それに感謝した。

何故なら生と死の近くに私は居たし、今も居る。

だから物語は私にとって原点のようなものだったから。

解明されないことや、よく分からないことが好きじゃななかった。

けれども私の周りでそれは起こる。

仕方のないことであり受容していかなければならないコントロールでも出来ず理解も出来ないこと。

こんなことを自慢できる人のことを羨ましいとさえ思った。

恥ずべきことだと思っていたから。

ところが今回、約15年くらい前を最後に読まなくなってどこかへやってしまった漫画が再び目の前にやって来たとき、違う見解がそこに生まれた。

これはさ。

世の中の縮図。

何も死者や生者に限定した物語ではないのだと理解した。

どうしようもない悲しみや絶望。そしてそこにある明るさ。

なるほどなあ。再びBちゃんという天使のパイプを通してこの作品が目の前にやって来たことの意味が分かるような気がした。

ありがとう。何だか、また少し分かったような気がしたよ。
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2016年02月07日

ほんとに、ワイドというか、パノラマ過ぎです

今年になってからのニュースは既に騒々しいくらいで、世の中、ほんとに色んなことが起こっているのだなー、何だか今年は特に凄いなーなんて思っていた。何せ、前の出来事が薄れて行くほどの出来事が次々と。

数年前までの私はTVのニュースやネットの記事を読んでいただけだった。

悲惨な事故や、戦争や核の話や、はたまた芸能人・公人のプライベートを徹底的に叩くような、ちょっと人の醜さが垣間見えるニュースや、はたまた殺人事件。

本当に問題視すべきことも多々あれば、「それは関係のない人がそんなに騒いただり怒ったりすることじゃない。少なくとも今は。」と感じるニュースも多々あり。

人間も生物なので危機管理のネガティブ脳の方は優先的に働く。そうすると恐ろしいことや悲惨なことの方が報道受けが良かったりするし注目が集まるし、それが見当たらないときには、小さなことの中にそれを探す。

そうすると、ニュースだけを観ていて若干憂鬱になるのは当然かも知れない。

そんな普通の固めの報道番組を観るけれど、ここ数年は某芸人さんがやっている報道番組も合わせて観る機会も増えて来た。

実は後者の方が発見が多いと気が付いたから。

様々な立場の人が発言するし、割と私たちの生活に近いところに位置する公人の方々をゲストで呼んでいるので分かりやすいし共感しやすいのかも知れない。

いや、近いと感じさせられているんだよね、あれ。ほんとはある意味遠いのだけど、噛み砕いて語れる方々なのだ。誰にでも分かるように訳せるし、自分の解釈をうまく入れて来る。

物凄く頭が切れるのだけど、同時に私たちと同様に癖が強くて人間臭い生活人。

で、そんな教育者や作家や博士やスポーツ選手や俳優さんたちが発言する中で、その方々の発言を絶妙なタイミングで切り盛りしているのが芸人さん二人だと言うことに気が付いてから余計に凄いなあと思うようになった。本当に神回しなんだよね、あれ。

しかも何が凄いのかと言うと、どんな悲惨なニュースの中でも、悲惨なまま終わらせず、出演者の個性などを掴み必ず笑いを取るところとか。

で、普段はネットを炎上させたり、何でそんなこと言うのって思われるくらいの後輩芸人を上手いこと混ぜて同席させていたりする。

そうすると、「あ、こんなこと考えてるんだ。普段のあれは自分を馬鹿に見せるための芸風だったんだ。」と違う一面が見えて来る。しかも、若いと言えども芸人さんなので騒然とさせることを言っても、最後には必ず笑いで締めくくる。

いつぞや、その番組の中心となるベテラン芸人さんが彼らに憧れてその世界に入った後輩・・・と言っても既に芸歴20年のコンビに「何故、あんなペーペーを呼んで俺たちが呼ばれないんですか。いつも悔しくてクッションを叩いていますよ。」というようなことを言われていた。つまりは自分たちよりずっと後輩で、しかもあんなおかしなやつを招くなんておかしいと。

普段ご飯に連れて行って貰ったり可愛がって貰って来た歴が長いので当然不等だと思って抗議していたのだと思う。

でも、そのベテランさんは即答する。

「お前は俺を好きすぎるねん。(俺もおまえが可愛いけど。)だから、結局俺の言うことに全部イエスって言うから番組として面白くなくなる。だから、俺は、自分と合わないやつを呼ぶんだよ。」と。

なるほどなーと思う。実はそれが仕事と言うもの。

物凄く小さなスケールだけど、私も好きな人、仲が良い人と一緒に仕事をするのは嫌だった。特に夜勤とかオペ室とか少人数で緊張を要する仕事になるとダメ。

え?なんで?それだからこそ、いつも一緒に遊んでいる息の合う仲間と一緒の方が良いんじゃないの?と言われたこともあるのだけど、違うんだな、これが。

仲が良かったり、なまじ阿吽の呼吸が成立している相手だとどこかで油断しちゃうんだよね。いつもこうだから当然これをしてくれているだろうとか。

確認作業や緊張感がどうしても少なくなる。どんなにちゃんとやっているつもりでも互いを頼もしいと思い過ぎてはいけない。楽しいと思い過ぎてもいけない。

その点、全く異質の人と組むとピリッと気を付ける傾向になるので、ある意味安心感があるのだ。本当に分かったかってのをしつこいほど確認して、その後も尚、本当にやってくれたか、そして自分はやっているか?ってのを見届けるという心構えになれるから。

しかも合わない人、嫌いな人と組むと予想外の事象が起こるので勉強になるってのもある。

反発している見解を持っていた、どちらかというと嫌いな人が実は、物凄い長所を持っていたという発見をして頭が下がったり尊敬に変わったりとか。

話しは逸れたのだけど、彼らの神回しには年季が入っている。

当然あの大震災の時期が、彼らにも訪れたわけだけど、鬱になるほど悩んだそうだ。

かなり売れているある芸人さんは「ビルや家を建てる人、食べ物や衣類を売る人、工事の人、政治家とか・・・様々な職業がある中で、俺らは一番要らんことをやって飯を食わせて貰っている人間や。芸人なんて馬鹿にされてなんぼだ。」と言っていた。

ベテランになればなるほど、そんな分をわきまえて役割をしっかり意識している芸人さんになるみたいなのだけど、同時にそれは物凄い真剣勝負だったと言う。

震災のときには「今、いったい何が出来るねん?この状況でいったい誰が笑うねん!」と頭を抱え込んで泣いたり茫然としたり寝込んだりしつつも、それでも笑いという世界で戦っていたそうだ。

それは、ただただ悲しむよりもどんなに壮絶な戦いだろうかと思う。

でも、やはり向き合っていたという。

あんなことの数々を乗り越えて来たのだから、当然あの神回しになるわけだよね。

*********

ちなみに私はその番組で初めて尾木ママさんこと尾木先生が喋っているところを見た。内容は凄かった。

彼は教育者であり芸人さんではないけれど、やはり笑いを取る。そしてあくまで優しく深い目をしている。

それがきっかけで数冊本を読んだのだけど、すげーなーとさらに思った。あの口調とは裏腹に凄く博学で、しかもそこに長年の経験が伴っている裏付けがある。統計もしっかり取っている。心理学にもかなり詳しい。

それからしばらくして、と言ってもかなり昔の放送なのだけど、別番組で尾木ママさんが何故お姉言葉になったのか?という理由を知る。

男子校に勤務されていた頃は非常に楽だったのだけど、共学の学校に転勤した際、初めて女性学生とも向き合うことになったのだと。

とあるアドバイスを同じ教員から受けて、女の子たちには特に注意を向けていたのだと。

で、女子学生たちから目を離さず慎重にしっかり観察していた際、彼女たちが交換日記を交わしているのを発見したので自分もそれにチャレンジしたそうだ。

プライベートなことなど実に色んな話をしてガッツリ向き合っているうちに彼女たちの口調や物腰もうつってしまったのが始まりだと聴いてビックリした。

だって、自分が女性っぽくなってしまうくらい生徒に向き合うってどんだけだよと思ったのだ。半端ないよなあと。

そして、良くも悪くも女性の口調や感性がうつり、今では女性といるほうがとても気楽なのだとか。確かに無駄な力が入っていないなあと感じはしてたのだけど。

はたまたある番組で、これも大分前の放送なのだけど、あれも面白かった。議論する相手が典型的な男性脳で怒りをあらわにしているのだけど、先生の方も元々男なので最初はがっちりにらみ合う。でも、すぐにいつもの尾木ママさんのテンションに戻って自分流に伝えて行っていた。

そもそもトラブルの発端は、”質問が悪いから正しい答えが返って来ない。”という状況だった。これ、通説。そう、正しい質問をしないと答えは返ってこないというだけの話し。しかも、返事がもらえてあたりまえだと思い込んで怒るのも中二病だなーと思う。怒りの裏側にはいつも何かの甘えがある。

それでその番組も他の芸人さんがまわしていたのだけど、芸人さん+尾木ママさんの個性でがらりと状況が変わってしまうのよね。

観た人も沢山いるのだろうけど、それがこれ。

結局、何、こいつって個人的に思っていた人の可愛いところや面白いところ、素直なのだなというところまで引き出してしまった。

大元に戻るけど、昔は笑いなんて要るか?と思っていた。でも、大切なんだよね。いつもコロッと視点を変えて違う世界を見せてくれる風のようなものが吹く。

***********

昨年の10月頃初対面だった人との心理学の進行中。

同じ年齢の方で凄く落ち着いているのと同時に、物凄く喜怒哀楽が豊かな方。

でもね、彼女は女性なので語弊が少々あるかも知れないけれど、彼女と話していると、その深い目の奥に尾木ママさんみたいなエネルギーを感じることが多々ある。

私は尾木ママさんが言うようには出来ない。全ての人なんて愛せない。けれども尾木先生くらいの年齢になったとき、ああなるのはまさに、目の前にいるこういう方なんじゃないかなあと思わせられる。

重ね重ね、どうしたってなれない。でも、とても素敵な思いもよらぬ先人を見つける度に、「ああ、もうこんな年か。」なんて言って終わらせている場合じゃないのだなと、嬉しい意味での決意を仰ぎ見る。

尾木先生は言う。「私が尾木ママになったのは62〜3歳の頃よ。自分って結構面白いわよー。見つめると本当に色んな可能性があるって分かるの。何が出て来るか楽しみになっちゃう。」。

これまた・・・どんだけ見つめたの?と驚いてしまうのと同時に、60代で新たな自分に変容するのだったら自分にもまだまだ知らない自分に遭遇し知らない人々に出会い学んで行く可能性が多々あるのではないかとつくづく思う。

元々は白ちゃんとのお別れがきっかけで自虐的に真夜中に猫の動画ばかり観るようになったのが始まり。はよ寝れば良いのね。

でも、それがきっかけで以前よりも良い意味でビックリする方々が目に留まるようになった昨今は結構楽しい。そして深いなあと思うようになった。

皆、真剣にやっているなあと思う。真剣に笑って生きて行こうとしている。

”芸人なんて”と仰っているスタンスのご本人たちが、その真剣な人々の考え方や個性を見事に見せてくれるMCぶりは圧巻だし、ただ固いだけだったり「自分はこんなに勉強していてこんなこと知っています。」というようなことを言っている立派な方々よりも余程凄くて天才的だなと思う。

それこそ相手を愛していないと出来ないんじゃないかと想像する。

今のところ、私の技法とは全然違うし、真似しようとも思わないものの、とても勉強になる今日この頃。
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2016年01月06日

現実とサイコドラマ

うーん、そこそこ仕事進んでいるのに、事務所の空気がまだまだ滞っているような。

2日くらい空けただけで大分違うのね。

そこでローズマリーとレモングラスのブレンドオイルを炊いた。で、空気入れ替えつつの保温と加湿。

そしてポカポカストーブとカーペット。うん、段々ウォーミングアップして来た。

今日は教育分析があった日でもあった。

カウンセリングは始動していたけど、教育分析は今年初めての方だった。

で、この方がいらして、ご自身のことに関わる話題の中で某偉人のお話も出る。

私、ある種の作家や漫画家さんは偉人だと思う。もちろん俳優さんやドラマや映画を作る方々も。

でもね、その中で何を感じたか?ということを今日のように一人の人間から聴くと「この方も偉人だ。」と思うことがある。

偉人が目の前に居る。

偉人は普通の人の感覚も知っている。特化した得意技も持っているけれど、ごく普通の感覚も知っている。

だから喜怒哀楽があり、食べたり飲んだり、味に文句を言ったり美味しいと言ったり、寒かったり暑かったり、気持ちがざらつく人間関係を体験したり。

そしてそんな生活の中から、いや、どんな出来事の中からも宝石を見出すのだ。

***********

俳優さんなどプロの世界で大活躍している某御人のお話を聴いて、痛々しいほどの人間臭さを感じた。何故に天才なのか?何故に七変化できるのか?という理由は人それぞれだと思うけど、自分自身の自我やセルフイメージやその他諸々の自分の要素が、多分空だってことはないのだろうけど、透明か白で染まりやすいタイプの俳優さんに多いのかも知れない。

普通の感覚を持っているので、あまりに大勢の人に会い、あまりに多くのストーリーの中に身を置いているうちに、在るはずの自分に戻って来れなくなったり。

今日のお話に出て来た人じゃないけれど、私もとある男優さん、そうあの歌舞伎の世界にも存在する人の演技にぞっとするものを感じたことがある。演技じゃなくて本物の2重人格になってしまっているのがよく分かる映画を観たから。

そして、実は私たちのように演じる仕事をしているわけではない一般の人間も同じくあまりに他者を観すぎたり、あまりに他者との境界線を無くすと簡単にそうなってしまう。何せプロの方々ですら一歩間違えば狂気の世界(いや、プロだからこそか)に行ってしまうくらいなのだから、私たちの惑わされやすさとは、彼ら以上だろう。

だから、毎日自分に訊く。何がしたい?何が嫌?と。
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2015年12月27日

下見と言えども本気 / 人間になりたがった猫

今日はおそらく今年最後の休日。

この貴重な休日を取れることになったのはK社長さんが”人間になりたがった猫”のチケットを二枚分ゲットしてプレゼントして下さったことがきっかけ。

夫が上級コース修了者かつ、トレーニングを頑張っている方のために取ってプレゼントしていたのだけど、取れなかったなんて話をした数日後、いったいどうやってゲットしたのかこの嬉しいプレゼントを下さった。

このご夫婦のどちらかが手をまわすと、取れないはずのものが取れたり、過去、竹内マリアさんとか今井美樹さんなど大入り満員のライブのときにも何故だか前から三列目あたりで取れてしまうという快挙。なんだろ、これ。やっぱり日頃の行いなのでしょうか。

どちらにしても夫が既に来年春の分を四枚ゲットしていたので、検討した結果、Mさんと下見がてらに武蔵村山のさくらホールで本日観劇。

当然ながら素晴らしかった。

そりゃあTVドラマや映画と比べればこんなに素晴らしいセットでも、臨場感においては劣ってしまう。でも、ここが凄いのだ。

ほとんど出演者の力だけで、観客を引きこんで行く。

先日話したマッサージの話しとも共通するものがあると思う。

オプションはあくまでオプションで、要は中身とプロさ加減。

感動して涙、涙、涙。

これまた当然なのだけど、その動きで凄い声量。迫力。

そして、何とも優しい物語。

何度でも観たくなる。

来年の春は、また違った角度から見れることだろうと思う。

昼間はポカポカと暖かったのだけど、日が暮れて外に出ると、二人とも頭の中でその曲がこだましていた。

夜の街をバスに乗り、行きつけの居酒屋で一緒に鍋を食べた。

あまりに凄いものをみると言葉を失うものだけど、多分これからまた徐々に浸透して行くのだろうと思う。
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2015年12月16日

Death of a Tea Master (1989)

パンパンでにっちもさっちも行かないというほどではないのだけど、やはり12月ってご予約のご希望になかなか答えられない。

すぐご近所さんでいつ会えても不思議じゃないのに、微妙に互いの予定がずれちゃうのよね。

で、何故だかごく稀にするりと合間を縫って結構な確率でお会い出来る人も居る。

なんでだろ?ってことで理由は分からないのだけど、大抵は普段定期的に予約を取っている人の”突然”には時間の神様が味方してくれるらしい。

**********
千利休関係の映画はよく観るけれど、これ、知らなかった。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞取っていたのね。

比較的新しい映画の海老蔵さん主演の作品も利休は何を愛しどう生きたか?ということが描かれていて前半は感動した。

でも、このやや古めの作品の方が何を言わんとしているか?ということがよく現れている。

その生き方がベストと思っているわけではない。ストイック過ぎるのはだらしなさすぎるのとほとんど同じだから。

でも、それを見る人がストイックだと思っても本人にとっては流れに任せて生きているだけで”自然”にしか感じていない場合も多いようだ。

何故なら生まれる前から何の修行をするのかを決めて来て、ありのままに生きざる得ないのも人だから。

この作品は当時の日本人の美学がよく出ているなあと思う。

人と人との間に礼節や距離感という概念がしっかりとあるのに深く互いを愛している。その絶妙な距離感を保ちつつも愛情や敬意は、ベタベタしている現代人よりも遥かに激しく熱い。誰がどんなに誰を愛したか?というのがひしひしと伝わって来る。

テーマは”理解したい”という想いのようにも感じる。

で、利休とそれを取り巻く一流の茶人にはそれが理解できるし、もっと言えば庶民にもその世界の素晴らしさが伝わっていた時代なのだろう。

ただ、多くの利休ものに描かれる秀吉さんの一面は、決してそれを理解できない。

きらびやかに飾り尽くしたり、大きなリアクションをとっても、権力で脅しても、今一「何故なんだ?何故なんだ?何故自分を一番に敬わない?俺だけを見ろ!」という焦りが出るのは、ある意味「何かが違う。」と頭の中では理解出来ていたからなのだろう。

残酷な面もあったのだろうけど人にものを与えるのが好きな人でもあったのだろう。

やがて平安がやって来て、もうあげる領土が無くなると余所の国に出兵してあげられるものをふやそうとしたかも知れない。はたまたその出兵という刺激がお祭り騒ぎかのような役目を果たすと無意識で思ったかも知れないし、とにかくいつも何かを起こしていなければ寂しくなってしまう状態だったのかも知れない。(いずれにしても己や己の力が見えてないと常に周りか自分を傷つけるのが常。)

これは利休の死後の物語なのだけど、一人の弟子が既に死んでいる利休と二人暮らしをしている一つの小さな家から始まる。弟子は毎日死んだ師匠と会話して暮らしている。死して尚、多くの人の心を離さなかった。本人は全然そんなこと望んでいなかっただろうに。

「皆俺について来い。どこへ行くんだ?ほら、こっちについて来い!ええい!ついて来んか。あんなに良いものをあげたのに、良くしてやったのに!」と焦燥感に駆られる秀吉さんと、

片や、寂しい砂利だらけの道を一人歩み、後ろからついて来る弟子に「ここはおまえが来るところじゃないよ。もう、お帰りなさい。」という利休。
弟子は一時的に傷つくが、やがてはその深い意味を知る。

秀吉の派手派手な金色の世界と、利休の白黒の世界の対比がよく描かれているのだけど、実は私はどちらの人物も人間らしくて好きだったりする。

執着する秀吉とすっぱりあきらめる利休。

金色と黒。

どちらも極端すぎる世界の住人だった。

ただ一つ。

私は知ってしまった。そしてあらゆる今の時代を生きる人々も。

自分だけの道が一人に一本ある。

極端であり続ける必要もない。

秀吉と利休が左右にいるとしたら、それはとんでもなく距離が開いた左右のスペースだと思うのだが。

その中間に”調和”がある。

でも、調和が生まれるまでには、まずは極端な人が登場してそれを教えてくれるしかないし、誰かが言いだしっぺにならなけば何も始まらないということがほとんどだ。

"Tea Master"

先人や、その先人を描く人々は常に色んなことを教えてくれる。
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2015年11月29日

とりあえず落ち着いて欲しい(面白かったけど)

昨日、とある方のコンサルをやらせていただいて非常に感動することがあった。

自分ではどう感じるのか?ということはさておき、何かを根気よく継続することって凄い結果をもたらすなあと思った瞬間。

しかも、さらに言うと、ご自身でもそれを1グラムでも2グラムでも体感して下さることって、とても大きい。

***********
この話はまた後日書くことにして、その他プライベートでちょいとあきれるやらビックリすることがあったので今日はそちらを。

夫が事務所まで車で迎えに来てくれたので帰路へ向かう途中、ぼーーーっと夜の街を見つめていただけだった。

で、車のフロントガラスの上の方に綺麗な月が見えた。

あー、綺麗な月だなーと思っていたのだが、何となく違和感。

これだ!上に挟んであるこの紙のようなものが邪魔なのだ。前方しか見ていなかったから感じなかったけど、そのちらしみたいな紙をザっ!と抜き取った。

そう言えば、この紙、この車に大分前からあるけど何やの?邪魔だなあ。

するとそれは、劇団四季の”人間になりたがった猫”のちらしだった。劇団四季 人間になりたがった猫 [DVD] -
劇団四季 人間になりたがった猫 [DVD] -

「いやいや、それ、あなたのだから。」

夫曰く、夏の頃にとあるバーで知り合った皆さんと玉置さんのライブへ行った際、そのホールに沢山のちらしやポスターが展示してあって、私はこのちらしを見つけるやいなや、ぱっ!と抜き取ったと言う。

ああ、思い出した。

何とも悲しいイラストでせつなくなった。

タイトルも切ない。

あの時そう思ったのだ。

もしも白ちゃんが人間だったなら、”それは止めてよ。”とか”こっちに行きたいよ。こういう余生を選びたいよ。何でかと言うとね?”とあらゆる人間に説明が出来ただろうに。

そんな感慨とこのミュージカルの内容は別物なのだろうけど、イラスト一つで私的に万感の思いが込み上げて来て思わず手に取ったのだった。

ライブの後、私はそのちらしの存在を忘れていた。無意識だったのだろう。あまり触れたくない心情だった。

「だから、俺、そのミュージカルをクリスマスプレゼントにしようと思ってとっておいたんだよ。26日、空けておいてって言ったでしょ?」

ええっ?あなた、ミュージカルなんて観れる人じゃないじゃん。映画館でもほとんどの作品を前にして、場内が暗くなったら自然に寝てしまうという原始人的な作りのはず。ええ、もう何十年も一緒にいるとよく分かる。多分観ても面白くないかグーグー寝ているか、あるいは私に向かっていちいち「どういう意味だ?」と訊いて来るという面倒臭いことになるでしょう。

なので、無理せんでいい。あれ?でも、チケット、もう取っちゃったの?

「いや。あんな小さな会館のチケットなんてすぐ取れると思って今日電話しようと思ってた。」

それを聴いてずっこけた。

夏に発表されているミュージカルツアーで、しかも劇団四季。今から取れるわけないでしょうが。でも、まあ、良かった。無理させないで済んで。

「え?嘘。そんなもん?」と慌ててオイスターバーで電話し始めてたけど案の定、完売。

良いの、良いの、気にしないで。お気持ちだけで充分。

電話を切ったあと、「いや、ちょっと明日まで待ってろ。色々調べてみるから。」。

ええっちゅうの。

***********

すると翌日事務所に電話がかかって来て、夫が言うことには、そのツアーが来年の春に浜松町に帰って来るとのこと。

「ちょっと遠くなっちゃったけど、大丈夫だろ?今月中にとっておくよ。」

・・・・・・・・。そんな来年の春のことは分からないなあ・・・と思いつつも何だか止められる雰囲気ではなかった。

しかも、おかしなことを言いだした。

「あとさ!ピザの会の上級の方々いらっしゃるだろ?」と3人の名前を言う。お、覚えてるんかい。

そもそもピザの会の上級者というのが意味不明なんだけど。

そう、そもそも、くどいようだけど、そもそもピザの会じゃないし。

全く持って私がどんな仕事しているか知らないのだから、まあ良いか。私もよう話さんし。

すると「上級コースの方々は上級まで辿り着いたってことだから、きっと物凄く頑張って来た人なんだろ?もちろん基礎の人たちもそうなんだけど、より自分らしいところに辿り着いているってことなんだろ?」。

あれ?何言ってんだろ?この人、分かってるんじゃないか、本当は。いや、その理解度を差し引いたとしても、何言いだすの、この人。

「そんで、ピザの会の上級者の皆さんは皆猫好きだもんな!上級まで来て下さったんだから彼女たちもご招待しよう!俺が!」

ちょ、ちょっと待て、ちょっと待て。

まだチケットも取っていなければミュージカルがお好きか?とか、このお題のミュージカルを観たいのかどうか?とか、あと、春のご予定も何も訊いていないんだから落ち着いてよ。

「あ、ああ、そうか。そだな。とりあえずチケットを取って・・・」

違う!お伺いが先!

「あ、なるほど。いやあ、しかし、何か感謝を表したいとか、それって何かご褒美もんじゃねーのか?!って思っていたので良かった、良かった。ああ、良かった。」

良くない。とりあえず黙れ。保留。

「あ、そうだよな。俺、サラリーマンだから必ずしもボーナスが通年通り出るかも分かんないもんな。」

そういう問題じゃない。ってか、サラリーマンだからその辺りが大丈夫なのと違うんかい。

話しが混乱して行く一方なので、まじ、とりあえず保留。

夫にばしっ!とお札を貼り付けて鎮めたいくらいだった。

あと、この人、ほんとはピザの会じゃないって分かってるし、実は時折私が話していることもいちおうちゃんと聴いているのだなあと思った。

猫よ、ありがとう。

白ちゃん、今でもふわふわなまま夢で会ってくれる白ちゃん。

ありがとう。

あなたそのものが全て魔法だった。そして、現実だった。
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2015年11月19日

我が道 人の道

例えば好きな仕事を選んだとしても、それは決して平らな道ではないんだよな。

なので、時に奮闘していることがある。

なのだけど、好きなことをやらせていただいているのだから、決してその苦労をいとわない。

その果てに、いいや果てまで行かずとも既に今、大切なものや大きな喜びが見えているから。

ホ○エ○ンさんが某大学で祝辞を述べた際の伝説のスピーチというのがある。

卒業を迎えた生徒さんたちへの言葉で彼自身のハートから発信されていた。もちろん何かを読み上げることもしないし、何かのマニュアルから抜粋したものでもない。あくまで彼自身の言葉。

”ここまではレールを敷かれた人生を歩んでこられましたが、いよいよ、レールがありそうで無い自分の人生へ巣立って行かれます。”

もちろん大学を卒業していく方々は今までだって色々な困難を乗り越えて来たことだろうし、レールを敷かれた人生を辿って来たなんて微塵も思えない人も多かったことだろう。

まさかレールだったなんてね。

”今、この世界ではネットやスマホなど、色んな情報源があります。もしかしたらゲームやSNSにしか利用していない人もいるかも知れないけれど、実はこの世界のどこかで頭の良い人たちが勝手に世の中を変えようとしています。それは防げません。ただ、お願いしたいことは、この時代は色んな人の言葉を聴ける時代でもあります。自分がこの人はと思った人がいたらすぐに手記や動画を見ることが出来る。

そこで、是非お願いしたいのは、情報を全て鵜呑みにするのではなくて必ず自分の頭で考えてみて欲しいということです。”

彼は、過去の通説にあるような、一つの会社に勤めれば安泰だとか、道を逸れなければ大丈夫だという考えはもう古いと言いたいようだった。

まあ、もちろんそんな考えを植え付けられて育つレールだったわけだから、どうしても染みついているんだよね。

しかし”自分だけの人生を生きなさい。”と彼は言う。誰もが自分だけの人生だというのはあたりまえなのだから、それを自覚したり意識したりして行きなさいという意味なのだと思う。

”なーーーんにもしなければ失敗もしません。でも、成功もしない。何かをやれば失敗したりこけたりする機会も多いが同じくらい大きなものを得られる可能性があるんです。”

ええ、何もしなければ失敗しないってのも実は嘘で、実はもっと恐ろしいことになるかも知れない。例えば自分が分からなくなるとか、人とハートで付き合えないとか。

昔、私はこの方に良い印象を持っていなかったのだけど、今は、到るところで共感を覚えてしまう。

そんなわけで最近は著名人の演説やスピーチに面白いなあと思う内容を見つけることがあるのだけど、もう一つは華道家のカーリー先生。

まあ、世界をまたにかけて仕事していらっしゃって非常にハードな日々を送っていられるのだが、ある日、こんなことを語っていらっしゃった。

「もう、みなさんさあ、”そんなに頑張らないで。”って言う人が多くて。でもね、頑張らなければならないときも多いのよ。要するにメリハリが大切なの。だから頑張るなって言われるのは嫌い。頑張るときは頑張って、休むときは休むの。」

これもちょっとリンクした。

私にも時々「もう、かおるさん、頑張り過ぎだよ。絶対絶対疲れてる。頑張らないでよ。」と言われることがあるのだけど、結構休んでいるんだよね。

で、そう仰ってくれる人の非言語的なメッセージに別の思惑が混ざっているのが心理学的に分かるのでげんなりすることもある。

セラピストというものに神聖なイメージやプライドを持ちすぎていて、結果傷つきやすかったり、結局、”私より先に行かないでよ。”という焦りが出ている人。

要するに、穏やかさや綺麗ごとを装いながら心の中がメラメラしている。要するに競争しているんだよなあ。競争してますよということを剥き出しにしている人より性質が悪いんだな、これが。自己一致していないもんだから。

かと言っていちいち今日はこんなことをして休みましたよと補足しなければならない相手ってのもまた面倒臭いので、どうか好きなように観て、好きにして欲しい。

私も依頼されない限りはその認知に対して説明する気もないから。

***********

さて、今日もカウンセリング三昧。

ある時期、めっちゃ忙しくてちっともご要望に応えられなくて申し訳ないなあと思っていた方とやっとお話出来た。

その頃私は遠隔レイキを依頼されて毎日のようにやっていたのだけど、それがサポートになったということを聴けてとても嬉しかった。

ああ、それにしても皆頑張っている。

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2015年08月02日

チキンな私が偉大なチキンを聴く夜

今日も暑い中ありがとうございます。

私なんぞはたった3駅の自宅から来るだけで汗びしょびしょだってのに。

******

いつぞやの時期、とある子が非常に危険なことを言っていた。

本人としては「もう◯◯歳ですよ。」と、若い子でも決まってそんなセリフを耳にするのだけど、まだまだこれから楽しいことがあったり、その人にしか出来ないことや使命がある。

何より笑って生きる権利がある。

なもんだから、非常に心配になり話し合ったそんな時期があった。

でも、考えてみれば、言ってくれてありがとうって話でもある。

言わないとそんな状況にまで来ているってことすら分からないから。

そりゃ相当な魚眼と相当な一点集中スタイルでさりげなく様子を見ているのがこの仕事なのだけど、言葉にしてくれない限りそこに触ってはいけないという鉄則も少々ある故。

それから何度かセッションをしてからの今日、「あり?健康・・・。」と思うに。ええ、ひそかに、

この健康ってのは心の健康ってことだ。

そしてお話を聴いたところ、一歩踏み出した話が出て来たのでとてもほっとしている。

素直というのは大切なことではあるけれど、全ての人の言葉を鵜呑みにしてはいけない。

はたまたそういった言葉や扱いを元に自分で思う悪い方のセルフイメージを強化してはいけない。

書き換えの旅が始まる。

本当の自分を取り戻して欲しい。

*******

それで思い出したのだけど、昨日セッションにいらしてくださった方がBUMP OF CHICKENのCDを下さった。

今日全てのセッションの後片付けつつBGMにしていたら、これがとても良い。

ああー、と思うくらい聴いたことがあるものもあった。結構あちらこちらでかかっているのね。

もちろんどれも良いのだけど、”ゼロ”という曲を聴いて、今更ながら音楽って凄い芸術だなあ・・・と聴き入った。

でもって、私は結構歌詞を聴くタイプであって、いちいち感動してしまうところがある。

それは色んな曲の至るところに散りばめられている短いけれど、とても深い言葉たち。

例えば

”嫌いな自分と一緒に世界まで嫌わないように”

””鏡の中の人に好きになって貰えるように”

”どれだけ傷ついたって誰にも関係のないこと
鏡の中の人とだけ二人で持っていける”

”寂しくなんかなかったよ 
きちんと寂しくなれたから”

聴き入っているところに夫からので電話で「飲みにいかない?ってか、ちょっと、何よりかけてんの。うるせーよ。」

・・・・・・。うるせーのはあんたじゃ。
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2015年06月09日

自己概念(セルフイメージ)の源

少なくとも日本よりは心理学が進んでいて人々に浸透している国の海外ドラマ。

実際の事件をモデルにされているのだと思うのだけど、犯罪を扱うドラマの印象はやはり凄惨でインパクトが強い。201506082.JPG

だから非常に極端な例であり、こんなものはドラマに過ぎないと感じてしまいそうになる視聴者も多いと思う。
さらに言うと実際に現実世界でそんな事件が起こったとしても、「あれは特別に異常な例だ。」と思いたがるかも知れない。

けれども、どのストーリーもこの現実の世界で起こっていることを象徴している。

もちろん心に病を持ち病名をつけられた人々が起こす事件も取沙汰されているけれど、ごく普通の人でも陥りそうな事態がてんこもりでテーマにあげられている。

一人の父親が妻と娘へのDVが元で離婚され親権も妻に勝ち取られてしまった。

しかしその後娘を誘拐し行方不明になってしまう。

数年後、父親は娘を連れてとある病院を訪れる。娘が転んで暖炉で顔に火傷を負ってしまったと言うのだが、実際には離婚した妻を思い出してしまう娘の顔にいらついて暖炉に顔を押し付けるというDVが原因だった。

その後父親は娘を部屋に監禁してマスクを被せて育てる。

娘が外を見たがると「外は醜い世界なんだ。見るな。そして、お前の顔も火傷で醜い。だから決して見るな。もっとも、その顔では外には出れないだろう。その代り、その顔を16の誕生日までに父さんが治してあげるから。」と激しく脅したり慰めたり救世主になったり。

娘はDVに怯えるのと父親の愛を失うことの両方を恐れてひきこもり続けた。人に会って顔をさらすことも怖いし、父親からさんざん聞かされた醜いという外の世界も怖いから。

そしてその街では殺人事件や殺人未遂事件が何件も起こり、被害者は皆右側の頬の皮膚を切り取られていた。

父親は醜い娘の顔に移植する皮膚を手に入れるために他人を殺したりさらったりし続ける。

やがて捜査の手が伸びて、父親が逮捕される。部屋に残されたマスクの娘の元へ女性の捜査官が歩み寄りマスクを取るように説得する。

最初は怖がっていた少女だったが恐る恐るマスクを取り、促されるままに鏡を覗いてみると、そこにはごく普通の美しい少女が映っていた。

「どうして?どうして?お父さんは治らなかったと言っていたのに。醜いままだって言っていたのにどうして?それに、私の顔を治すためにあんな恐ろしいことをしていたのにどうしてこの顔は治っているの?」

激しく混乱するのは無理もなくて、窮屈でありながら、そして歪んだ愛だと勘付いていても、引きこもっている部屋はどこか居心地の良い部分もあったのだろう。守られているような愛されているようなそんな感覚も持っていたことは確かで。

捜査官は丁寧に説明する。「とっくに治っていたのよ。そしてお父さんは確かにあなたを愛していたとは思う。でも、お父さんは、あなたの顔やこの世界に自分自身の醜さしか映し出すことしか出来なかったの。」。

父親の無意識が何をしていたのか?と言うと、娘が自分の元を絶対に離れて行かないためにマスクを被せてだましていたとも言えるし、実際に醜さだけしか見えていなかったとも言える。

女性捜査官が何故この事件に思い入れがあったのか?と言うと、自分自身が父親から言葉のDVを受けていた過去があったから。

捜査官の父親は、彼女たち姉妹の姉の方を「おーい、頭が良い方ー。」と呼び続けていた。

それが悲しくて懸命に勉強や努力をして来たのだけど、父親が変わることは無かった。そして自分自身も世の中にどんなに優秀だと認められても未だに自分を優秀だなどと思えないでいた。

現実世界の話に戻る。201506081.JPG

様々な人々にお会いして話を聴いていると、こんな例はしょっちゅうで。

姉妹の片割れを「おーい、結婚している方ー。」と呼ぶ親御さんや、「上の子は活発なのにこの子はひねくれた子で。。。」等、自覚のないまま酷いことを言っているのは、自分自身の影をその子に見出していることに気が付かない方たち。
その割に決して遠くへやるまいという無意識の呪いの鎖のようなもの。

勉強にスポーツに果てはアルバイトや仕事、その先は人によっては結婚や引っ越しなど、人生に節目が沢山訪れるのだろうけど、その度にダメ出しをして「あなたはダメな子なのよ。」ってのをやってしまう。

でも無意識なので親子の双方共が何故今こんな現状になっているのだろう?ということに気がつけないというケースはあまりに多すぎる。

そしていつしか育った子供が大人になってまた自分の子供に同じことをする。

法に触れないDVほど怖いものはない。しかも結構蔓延している。

でも、ドラマの物語の最後に、その女性捜査官の上司が言った言葉に驚いた。

それは私がよくカウンセリング中や授業のときに例にあげる言葉と同じだったから。

子供の頃に足を鎖で繋がれた象は、大人の巨象になったあとも動かない。鎖が切れても動かない。動けるということを知らないし気が付かないからだという話。あるいは、気が付いていても未だムチを恐れ愛を乞う故か。

それはやはり愛とは別物だなあと思えてならない。自分の孤独と向き合わないで来て、子供や親で心を満たそうとする幼稚な騙し合いに過ぎないように今は感じる。

同時にそれは親子間以外の人間関係にも起こり得ることだろう。何せそこがその人の原点なのだから。

ある日、窓の外をタンポポの綿毛が飛んで行った。

幾つも幾つも。

タンポポは我が子を遠くへ飛ばすために、そして着地する場所まで支配しようとはしないし、もっともそんなことが出来はしない。だから、ただひたすらその子の力を信じて祈る。

タンポポは強い花だなと思う。アスファルトの隙間からポンポン出て来る明るい色そのままに。

タンポポは二度と我が子に会えないかも知れないが、人間は妙なことをしなくとも新しい関係性を築きあげて行くことが出来る。

むしろ縛ることによって歪んで行くばかり、自立とは無縁の状況とは裏腹に心はドンドン離れて行くばかり。

頭の中にかつて象に繋がれた鎖が切れて地面に落ちているところが浮かぶ頃、ドラマでは、マスクが部屋に投げ捨てられていた。

象はどこかへ旅立った。強い象として。少女はもうこの部屋には戻らないし、マスクも要らない。
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2015年03月29日

この世で最初の友達によせて

大分前にオーストラリアのNっちゃんと某居酒屋で飲んでいたとき、常連のS紳士が読書をしつつ日本酒を飲んでいらした。←日本酒飲みながら読書するって・・・改めて書いてみると凄いよね。でも、時折行く居酒屋やバーではこういう方々をよく見かける。

活字もよう読むし色んなドラマにも触れるが仲間たちと本心で語り合っていたり、時には童心に戻ってふざけたりあばれたりしている大人たち。

そういう方々が実は実社会の会社で偉い人やってたり幾人かの親御さんであったりと悲喜こもごも。メリハリさ加減が大好き。

話は逸れたけれど、その時Nっちゃんが「何の本読んでるんですか?」と陽気に話しかけた。

私は読書している人をそっとしておくタイプなのだけど、Nっちゃんが陽気に話しかける様子を観て「ああ、なるほどー。」と思った。

何故ならSさんが嬉しそうにどんなストーリーなのか?を話し出してくれたから。

必ずしも誰もが私のように邪魔せんといてくれと思うわけではないし、第一それだったら気の置けないこの店で読んでいるはずないのよね。

で、その時彼が読んでいた本が”流星ワゴン”だった。

そんなことも長らく忘れていたのだけど、TVドラマ化されていることを間もなく知り、無料で観れるネットのチャンネルでコツコツと後を追いかけて視聴していた。

で、最終回にて号泣。

途中にも色んなことを思ったのだけど、最後に改めて考えた。

母と私が同じ歳だったらどうだったろうか?と。

多分殴り合いの喧嘩していただろうなあ。

ドラマの父と息子は正反対の性格なのだけど、母と私は認めるのも嫌だけど、似ている傾向があるのだ。

何が違っていたのか?と言えば、ただ私は出会いに恵まれていたり、短い逢瀬の人から長い逢瀬の人に到るまで、皆大切なことを教えてくれた。

自分一人では生きていけないということや、自分と同じように他者も傷つくのだと言うことも。

愛し方は人それぞれ。正解はないけれどそれを考えることの大切さや、また、それが出来ないときの自分を責める必要はないということや。

教育やら道徳。

そういうものは、命の危険を免れてこそ学んだり吸収していけるものだということも。

そして、例え、安全な環境に居たとしても心が安全でないと思い込んでいるうちはどこまでも自分のことを考えるだけで必死になっても不思議ではないのだと言うことも。

私は母の嘘を憎んだり、偽善を憎んだり、現実を美談に換えて自分の言動の責任を取れていないところに大泣きして来たのだけど、親という枠にあてはめてしか見ていないからこそでもあった。

変えられない現実もある。

でも、そんなに嘘をつく必要はないよ。そんなにしてまで怒り狂い凶器を振り回さなくても大丈夫なんだよと・・・もしもあの流星ワゴンに乗れるのならば、あの手この手で伝えたことだろう。

もとい、そんな様々なことに傷ついたり号泣していた若かりしの私や幼い頃の私の元へも行って、今こんなことが起こっているのだけど、これには訳があるんだよ。意味があるんだよ。でも、大丈夫なんだよということを伝えたことだろう。

ただ、時代と教育や道徳が違うだけ。生い立ちや感性が違うだけ。

かと言ってこの世界でそれを理解し合うのはとても難しい場合も多々ある。

けれども、やっぱり私も立ち向かって行きたい。

自分の人生を生きるために。そして大切な人と関わるために。

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昨年の暮れだったか。

夫が『いやあ、今年もいっぱい代行を使ったなあ。』と言っているときに『威張るな。飲み過ぎなんだよ。』と言っていた私。

その代行の結構上司の方にSさんという女性ドライバーが居る。

年末には猫のカレンダーを下さったり、はたまた、例の猫居酒屋で飲んでいるときにたまたまSさんが迎えに来て下さった場合には、必ずキャットフードを持参して来てプレゼントして来てくれたり。

夫程ではないのだけど、結局私も夫と飲んだ日にはそんな代行のお仕事をなさっている人々とも言葉を交わすようになった。(まあ、もっとも、私と二人で代行を頼んだ暁には、夫は安心しきって乗車するなり眠ってしまうから私が道案内をするはめになっているからである。)

で、最近知ったのだが、この会社だけなのかどうかは知らないが、代行のスタッフの方々の多くが、昼間も働いていらっしゃる方々だという。例えばOLさんとか、サラリーマンの方々とか。

そりゃあ、凄いなあ、偉いもんだなあと驚いたし感動した。

だって、酔っ払い相手だし、しかも、訪問入浴のドライバー同様、顧客の家の場所はおろか、どの道を通って帰るのかっても決まっている。いつ呼ばれるかも分からないし結構大変な仕事だと思うのだ。

それなのに昼間も他の仕事を普通にメインにやっているなんて。

そんな話を今日たまたま独身の若い男性に話したところ「なんでそんなに働くんですかね?お金に困っているんですかね?」とかえって来たので、ちょっとずっこけた。

いや、一人一人の事情は知らんし、中にはそういう人もいるだろうけど、結局は子供を育てるためだったり夢を叶えるためだったり、色んな理由があると思うよ。ただ、私はそこに向けて何かやっているってのに感動したんだよねえ。

「ああ、そか、そか。俺、なんか、お金をネガティブに考える癖があった。そういうことなんですね。」

いやいや、例えお金に困っているが理由だとしてもネガティブじゃないと思うわ。

とにかくどうにかしようと具体的に動いているという状況なのだから。

「あ、そかそか。俺もがんばろ。」

うん、私も何か知らないけど頑張ろう。いや、今でも頑張ってるけどね。

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幼い頃、その時々の配偶者に向かってお金がないと怒り狂ったり情緒不安定になったりしている母を見た。でも、そういうときの母は働いていなかったなと思い出す。

働く時期があったらあったで、如何に楽に大金が手に入るか?しかも、どうしたら威張ったままでいられるか?とそんなことばかり考えている様子を観ていた。

働くってそういうことか?

そう感じるようになったのは、まだまだ幼い時代だった。

考えてみれば、そんな母に色々と気づかされた面が沢山あったのだと今の私はそう思う。

それは豊さの概念。

でぶでぶして、いつも怒って、他人に何かを貰うのを待っているだけじゃない生き方。

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2015年03月16日

ペース / 可愛い女

数年前に心理学を始めたYさん。

その理由も複雑なものではなくて極めてシンプルだった。

確か当時は旦那様との関係が主題で「気持ちが分かるようになりたい。」というようなことを仰っていた。

それから早幾月。

何年も経つ間に可愛い乳飲み子は言葉を発し、そしてさらに時が過ぎて今や立派なレディー。

ほんと親に似るとはこのことで、物凄く内気で言葉数の少ないお母さんのお子さんってやはり無口。

で、Yさんのお子さんは素晴らしく表現豊かで歯に衣着せぬ状態で自分の要望やお願いが言える。

で、このYさんというお方は出会った頃の少女のような面影は残してはいるものの、私が言うのも何だが、物凄く大人のレディになられた。思いやりが生まれたり論理的に考える側面がどんどん出て来て、時が過ぎて二回目のエゴグラムなる心理テストをやったときには、ハッキリと形が変わっていた。

しかし、どこかひょうひょうとした自由人に見えていて、例えばご本人が物凄く悩んでいるときでさえ、面白いし元気が良い。

自由人なもので心理学もずいぶん途切れているなあーと思った数年前のこと。

『あたし、娘が小学校になるまでには心理学を終わらせたいんだ。これこれしかじか、こういう理由で。』と仰った際、正直私は目が覚める思いがした。

自分自身がやり始めたら一気に片づけるタイプで、それが出来ないとおもうダメなんだと思う方だった。

けれども、ごく初期の頃に見つけた法則のように、人間には人それぞれのペースがあるのだ。

途切れるのは必然で、学びたくなるのも必然。

その時は笑いながら「あんまり間が空いてるからもう止めちゃったのかなと思ったよ。」と言ったのだけど、それに対しても笑い返して「何でよ。」というキャラ。

そのYさんが昨日とうとう基礎コースの最後から二番目の章を終えた。

いやあ、コツコツやるって凄いことだなとつくづく思う。

例えばあの数年前に詰め込み式でやっても今ほど理解が入らなかっただろう。でも、今のYさんからはポンポン質問が出るし、時に「ははあ、なるほど。」と言ったりしている。

何事もコツコツ続ければ終わる。

積み上げて来たことの成果が頭角を現して来ているのを観て、Yさんの生き方やら性質やらに敬意を感じて止まなかった。

この人は素直だ。そして物事を複雑にしない。女性なのでバイオリズムの関係で時折複雑さにはまることもあるのだけど、最近の彼女は「ああ、今、そんな時期なんだな。」と自己一致もしている。

人間って凄いなあ。まじ、尊敬する。

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なんだったけな。

私はよくYahooのページでニュースを毎日読むのだけど、その端っこに現在TVで放送されているドラマが観れるようになっているコーナーがある。

で、何気なくクリックしたら、自分だったら絶対観ないだろうな、くだらないなあと思う類のドラマだった。

しかし、女優さんが上手なので何となくボーっと観ていた。

夫が浮気していることに気が付いて嫉妬に苦しむセレブの奥様役の人なのだが、そりゃもうありとあらゆるいじわるやたくらみをする。

なんだけど、じーーっと見ていると、演出として恐ろしいしヒステリックな女という設定にしたかったのだろうけど、見れば見るほど可愛くなって来る。

『愛情♪愛情♪愛情♪』とクッキーの材料を混ぜ合わせるシーンとか、出来上がったあとに食べてみたらそれがまずくて「なんでまずいのー!」とキーっとなっているシーンとか。

結局最後の最後まで可愛くしか見えなかった。

そんなもん止めちまえ、さっさと離婚しろと思ってしまうタイプの私なのだけど、あの情熱は凄いと思った。私には無いものだ。あんだけの根気がある人が何か仕事したら物凄い成果をあげるだろうなと。

恨んだり妬んだり人を呪ったり。

まあ、それが出来るということは、そんだけのパワーがあるということで、逆に私にはそういった根気はない。馬鹿らしくなってしまうから。

でも、人間的、女性らしさをその女優さんが演じているシーンに垣間見て、「良いね、それ。可愛い。」と感動。

私の可愛いってのは結局尊敬のニュアンスなんだろうと思う。

うーん・・・でも、自分に降りかかって来たらやっぱ面倒臭い、勝手にしろ、二度と傍に来るなと思ってしまうのだろうけど。

もっと大事なことがあるだろうよ。。。。とかさ。

どこに力を使い、どこで疲れるか?ということですら、人は自分で選んでいるのだなと思う。

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2015年01月20日

そんな人生があった

一月も半ばを過ぎた。

というかまだ半ばか?という気もするし、ずいぶん長い時間が過ぎた気もする。

毎日訪れる方々に今年もよろしくお願いしますと挨拶をしている時期、一方では「あ、この方はもう今年二回目だとか三回目だ。」と言う方々もいらして。

そんな折、先日お越し下さった方に新年の挨拶をされて「え?!そうだっけ?!」とビックリしたのだけど、後になってしみじみ思う。

それだけこの方が数年に渡って、コツコツコツコツと通っていらしたという証拠だなと。しかも定期的に。

たまたま前に枠でセッションが終わったカウンセラーさんとも言っていたのだけど、その成果が出ている。

どこかが?というと、自己一致出来ているところなんだよね。

無意識と意識に責任を持てるようになっているところ。

心理学を学んで色んなことに気が付いた後は、自分の言動の意図が理解できるようになる。

通常、表向きの理由をこさえて人は怒ったり悲劇のヒロインになったりと忙しいものなのだけど、実はその感情は自分の考え方や生き方を人様に押し付けたり投影してはずかずか入り込んで行っては勝手に不幸になり勝手に人のせいにしているだけだったりする。

ところが目覚めた人というのは、自分自身が自分のコントロール下にドンドン入って来るので、そういったことは極力少なくなるし平和になる。

平和になった分の余力で、今度はそれまで後味の悪い生き方や交流に使っていた分の時間やパワーを楽しく生きることに使えるようになる。

もちろん一朝一夕には行かなくて、時折古いパターンが出てしまうこともあるのだけど、自己一致している人はすぐにそれに気が付く。

そんなことをしているうちに、段々”やってしまってから気づくまで”のスパンが短くなって行くのだった。

そんなプロセスを歩む人の姿や心は美しいし、それを目の当たりに出来て幸せだなあと思う今日この頃。

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”利休にたずねよ”というタイトルのDVDが送られて来たのは3日ほど前だったか。

ネットでリストを無作為に作っているので忘れた頃に思わぬものが送って来る。で、”何でこんなの借りたんだろ?”という類のものもある。

年末年始と忙しかったのだけど、また就寝前に少しづつ本かDVD鑑賞をすることを再開しようと思って取り出したら、この作品だった。

一日目。

前半半分くらいまで観て終わらせたのだけど、ながら病の私が手を止めて釘づけになって見ていた。

日本の美しさ、人の心の美しさが見事に描写されていたから。

絶対的な権力を手にした秀吉が、あらゆる人物に無理難題を押し付け、中でもその人の大切な家族や配偶者など、とにかく女性を所望したという話は至るところにあるのだけど。

同じく、一旦切腹を命じた利休に対しても法外な要求を出して、「そうすれば、詫びたということにして命を助けてやるぞ。」と言われるのだけど、

そこで利休が言った言葉は「私が額づくものは、美しいものだけでございます。」と拒否する。

何と言うのか強すぎる。でも、気持ちが分かる。

たった一人の茶人の屋敷を軍勢で囲むほどの恐怖を秀吉が感じたのも無理もない。

利休は水に映る月や、紙を切り抜いて小鳥の影法師を蝋燭の火で照らし壁に移して奥方と感じ入った。

床の間や茶室にはいつもたった一輪の花だった。

信長には水に映る月を献上した。

茶室の障子をおもむろに開けては、ひらひら、ひらひらと舞い落ちる桜の花びらを部屋に導いた。

それに比べて、きんきら金ーーー!の部屋できんきら金ー!の茶道具を使っては目が泳いでいる秀吉との対比をうまく描いている。

物質や権力は時に人を不安にさせる。

しかし、利休は季節や花々、月、動く美しさ、はかない美しさの尊さを愛したのだろう。

と、感じ入りつつ観た作品だったのだけど、個人的には後半にいくつか残念だなあ・・・と思う箇所があった。

けれども、それは私の感覚でしかない。

全体的に大切なことを教えてくれる映画であったのだとも思う。

そして不思議なことに現代を象徴しているようにも見える。

私は、鼻歌を歌ってのんびりしているときの秀吉や、焦ってギラギラしたり嫉妬に駆られたりしている秀吉も人間的で好きだ。

ただ、利休の心はいつどんなときでも静かだったというだけ。

そして、いつもこの同じ登場人物が出て来る作品を観ると思わされるのだけど、結局のところ、利休は秀吉を愛していてくれたのだと思う。

自分の生き方を貫くこと、そして、Noと言うこと、袂を分かつことで示す愛もこの世にはある。

言いなりになっていた場合、先々のその人がそうなって行くか?と利休は知っていた。

その真意を知るのは、生前の信長と、病死寸前、あるいは亡くなってからの秀吉だったかも知れない。

でも多分、利休は、永遠に分かって貰えないとしても恐れないことだろう。

まったく見返りを求めない愛ってそういうものなのだろう。つくづく言葉の少なな映画だった。

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2015年01月12日

何故飛び続けるのか

心理学を使って一歩一歩進んで行く人々も色鮮やかなのだけど、定期的にカウンセリングを積み重ねている人々の羽ばたきにも感動する今日この頃。

季節は寒いものの、いつもより早く事務所を後にして7時半に自宅に居られたことも幸せ。久々に好きなNHKの動物番組に間に合った。昔はよくバックのソファーで無言で横になっているお爺ちゃん、テーブルで向かい合う夫やお婆ちゃんたちと観ていることが多かった番組。

10年20年があっという間に過ぎて、今夜久々に同じような見慣れた空間。

動物を飼っているところとか、好きな様相とか、ただの一度も観たことがないのだけど、爺ちゃんと自分が観たい番組が一緒だなあ・・・と昔から思っていた。

外にタバコを吸いに行くタイミングとか、そろそろ風呂入っておこうと思うといつもばったり出くわして慌てて退散したりとか。

この光景がいつまでも続けば良いなあと思うようになるなんて嫁入りしたての頃にはとても想像がつかなかった。

お婆ちゃんが居てお爺ちゃんが居て言葉少なではあるものの、少し会話して。

全く違う世界観を持って、外では全く違う仕事をして・・・。

そう思うと家族というのは不思議なものだなと思う。全く違う者同士が一つ屋根の下で暮らしていていつの間にか落ち着くようになるのだから。

**********

滅多に観れない時間帯の今日のその番組の主役が蝶々だと知って少しガッカリ。虫かよ・・・。蝶々だと少しましだけど、やっぱ虫は怖いなあ。

と思いつつもナレーションに耳を傾けながらお爺ちゃんお婆ちゃんをバックに鍋を夫と共につついていたら、何とその蝶々が日本を南から北まで縦断する旅をして生きる性質なのだと。

あんなに小さな生き物が一回羽ばたいたとて、進む距離など微々たるもの。

風にあおられて全然進めなかったり、休む場所などどこにもない大海原の上空を延々羽ばたいて旅をして、途中海に落ちたり鳥や他の生物に捕食されてしまったり。

そうまでして何故旅をするのか。

今までもっともこの番組に関心が無かったのは夫だと思う。

しかし、その夫が「すげーな。凄い距離だな。小さな翼で・・・。」と独り言のように呟いていた。

ちょいと虫が群れているのを観るのは怖かったものの、恐る恐る画面の方を観ると、けなげにけなげに飛び続けていた。

ひらひら、ひらひら。

はがゆいほどの羽ばたきで日本を縦断してしまう生き物。

目の前に居る夫に心の中で思う。あなたもやっていることだよと。

夫の会社の若い人々は朝の6時半、いや、下手すると朝の5時半に会社を取引先に向けて出発する。

おうだいに乗った年齢の夫もその時間に合わせて今も毎日出勤しているのだけど、若い頃はもっと辛かっただろう。

今も色んな責任や重責が肩に乗っかってて仕事はキリがないことだろう。でも、ずっとずっと続けて来た。

後ろのソファーに転がっているお爺ちゃんも。

歳をとって皮膚が脆くなったので、失敗された点滴の後が酷いことになって、手首に包帯が巻かれている。このお爺ちゃんはもっと長いこと、世の中を羽ばたいて来たのだなあと思う。家族を載せて。

お婆ちゃんもコツコツと米を研ぎ、この夫が幼い頃は野球の応援へ行ったりして、孫たちの成長をも見守り・・・。

思いは家を離れて依頼人さんや生徒さんたちのところへ飛ぶ。

小さな羽ばたき。

あんなに遠くへは行けないよ・・・と途方にくれるような気持ちの日にも、もうダメだよと絶望的な気持ちになった日にも、一回一回丁寧に小さく羽ばたいて来た人々。

進めば景色が変わる。

でも、じっとしていて周りの景色が気に入らないといくら憤慨しても変わらないのはあたりまえ。

けれども羽ばたいても羽ばたいても景色が変わらないように感じるエリアもある。

でも、羽ばたいている限り、いつの間にか何千キロもの旅になっていたということをある日知る。

海を越え、山を越え、羽ばたいて羽ばたいて。

鳥くらいの翼があれば良いのにと思うこともあるだろう。

でも、結局は小さな羽ばたきが行きたい場所へ自分を運ぶ。

ああ、自分で翼を動かすしかないのだなあ、一日一日がそういう小さな羽ばたきのようなものなのだなあと、改めて思う。

そんなことに気が付いた人は、横にも前にも後ろにも、仲間たちが同じく頑張って生きている、羽ばたいているのだという壮大な景色を目にする。

蝶々があんな凄いことをするのだもの。

あの方々やこの方々が、生きるということ全うするのも無理もない。それはきっとどんな人にも可能だろう。

ただ今日一日を積み重ねるというただそれだけで。

物語の概要を聴いた最初は”大変なことをするなあ・・・。しんどかろうなあ。。。”と思ったのだけど、それに気づくと、何だか飛んで行く蝶たちが、皆笑いあったり会話して、案外楽しく飛んで行っているような気がして来た。

よく見ると、とても美しい模様の羽根。

そう言えば、皆、何故だか美しくなって行くなあ。

今年に入ってから卒業した人のキラキラをも彷彿させる姿だった。

『山越えが終わったよ♪色んな景色が見えたよ♪』と泣き笑いしつつ、次の旅へと向かう、小さな、小さな、可愛らしくて、強くて、美しい、皆、蝶のようだ。

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2014年12月21日

静かなレジェンド

長年ナースをした経験がある人の全部がそうだとは限らないのだけど、私は基本、眠りが浅い。

それでも疲れがピークのさらにピークを通り越すと、時々爆睡してしまう夜がある。

そんな日の翌朝は目が覚めた途端に時計を見ては心臓がバクバクする。”今日のカウンセリングって何時からだっけ?”と。

もしかして遅刻したんじゃないかしら?とか。

あるいは今朝などは『やべっ!もしかして今日、訪問入浴だったんじゃないのか?呼び出しの着信がいっぱい入っているんじゃないのか?!』とも思う。←いやいや、訪問入浴は昨日行ったでしょうが・・・ということを思い出すのに数分かかるわけ。

それで携帯を置いてある場所に走るのは、わざと少し遠くに置いて居るからだ。そうすればアラーム止めるために否応なしに起きると踏んで。

で、訪問入浴の日ではないのだけどこの時は気が付いてなかったので、長からメールが来ているのを見て心臓がドキン!としてしまったのだが。

その早朝メッセージは『今夜竹内マリアのライブ、楽しんで来て下さいね。』と書かれたあったのでずっこける。

そうだった。ああ、良かったよ、訪問入浴じゃなくて。『Gくんも忘年会、楽しんで来てね。』と返信。

**********

夏の頃だったか、K夫妻と四人で飲んでいるときに某アーティストのライブに行きたいね!と夫を含む三人が仰っている際、実のところ私はこう思っていた。

”懐かしいだろうなあ。でも、わざわざライブに行くほどの情熱はないなあ。”と。

なのだけど、その空気の中で『それほどでも。』なんて言えるほど豪胆ではない。←よく言いそうな人に見られるのだけど、私にも多少のACがある。

で、月日が流れ、Kさんのバースデーパーティーの翌日である今夜武道館へ向かった。

Kさん夫婦は本当に行動派なのだけど、でかいバンでやって来て車内にビールまで用意してあり、ちょいとTVなんぞをみている間にあっという間に着いた。Kさんだけ飲めなくて申し訳ない。

高速乗って早くに着いたので四人で武道館の前お店でパスタやバーガーを食べたりハイボールを飲んだり。

で、問題は竹内マリア殿のコンサートである。

まずは思いの外ファンの熱狂ぶり&人数に驚いた。

Kさんのくじ運のおかげで並ばずに済んだのだ上に、なんと一万人も収容されている
武道館の真ん前、真ん中で前から二列目という凄いVIP席。

・・・・・・・・・・・・・・。Kさん。何か、コネ使いました?

『いや、偶然。』

で、生で観るのは初めてだったのだけど、アーティストさんご本人も33年ぶりのライブで、今や59歳。果たして最後まで声が出るのか?とか色んな勇気が必要だったのだと語って下さる。

で、ビックリした。

登場はロックンロール。昔好きだったプリプリの一曲にも使われているリズム。

ボーイッシュにパリッと男性もののスーツにネクタイを着けて現れた女性はあまりに美し過ぎた。

これが59歳??

目が良い上にこんなに近くてはハッキリと見えてしまう。どう見ても30代。そして決して化粧のせいではない。

そのスーツから始まって、ラフでトラッドな恰好をして現れたときも、スパンコールのドレスで現れた時もアンコールで登場した際に、長袖Tシャツにデニムで現れたときも、何と言うプロポーション。特に一番最後のラフな格好が一番スタイルを際立たせていた。

で、声もまったく衰えていなかった。いや、若い頃にラジオで耳にしていた声よりグローイングアップしている。

隣のKさん夫人が『あ、達郎さんが居る!』と言うので気が付いた。

だってマリアさんも山下さんもほとんどTVですら見たことない。

もしかしたら会場にでも居るのかな?と思ったら、目の前でバリバリステージの助っ人をこなしていた。というか、達郎さんが過去自分の耳で聴きに行ってスカウトして育てた人とか、普段ご自身のバックで演奏している人をそっくりそのまま登場して貰っているとか。

メンバー紹介なるものを中盤で聴いたのだけど、皆さん今日ひいいている楽器以外もプロなのね。

懐かしくて、何かのシーンを思い出して泣くかも知れないなあという予想はあったのだけど、まさか、今現在の彼女そのもののハートある歌に涙するとは思わなかった。

バラード中心かと思いきや、ジャズあり、ロックあり、そしてトークも結構やるなあ。

途中途中でもビックリしていたのだけど、終了後には夫までもが『いやあ、やられた・・・』と言って居た。

ええ、まったく。

歌もトークもハートも全てが素敵だった。

**********

そし私はて恥ずかしながら、”静かなレジェンド”という歌すら知らなかった。

よく話して下さるライブでもあって、その曲の短い前説はこういったものだった。

”私は今、こんな環境を与えらえていて幸せです。TVにも出ない。ラジオもやらない。ipodなんて好きじゃない。そしてレコード世代だからせめて出来る限りジャケットがあるCDで出して行きたいなんて思っています。
こんな我儘な私なのにも関わらずそれを理解して下さった事務所や関係者の方々には本当に感謝しています。そして、何故こうして33年ぶりにツァーをしようと思ったか?ということの一番の理由はTVにも出ず、一枚のアルバムを作るのに7年くらいかかるのに、ずっと待っていて下さる、応援して下さるファンの方々に直接お礼を直接言いたくて始めたのが今回の全国ツァーでもありました。”と。

そして。

”私は皆さんのおかげで今こうしてステージという非日常的な世界に立っているのだけど、皆さんにとっては、身近なレジェンドがいらっしゃるでしょ?これ、けいすけさんと原ぼうさんとたつろうと四人でコラボしたんですよ。
けいすけさんの病気が治って一緒に謳えて嬉しかったわ。”

”皆さんの周りにレジェンドがいらっしゃるでしょ?例え表舞台に出て来なくとも、親だったり、飲み屋のママかも知れないし、日々がんばっているレジェンドがいるでしょ?”

そう語られる言葉を聴く度に、そうなの、そうなの、そうなんですよねと思う。

途端にカウンセラーさん、クライアントさん、飲み屋のママやマスター、ママ、色んな人の顔が浮かんで来る。

そして冷たい雨の日に歩道をせっせと掃除していたお婆ちゃんや、コンビニで素晴らしい仕事をしている人、その他諸々。

この歌にも感動した。売れないからとサバイバル的なバトルで曲を作ろうとかあいつより売れようと思う人も居るだろう。でも、それより何より、色んなことをよく見てよく感じて生きている人だなあと思った。

Kさんご夫婦も『生きることに真面目な人なんだねえ。』と。

そういったことの全ては、まだまだ話たりない、歌い足りないと言わんばかりに彼女の全身から溢れていていちいち心に沁みた。

色んな意味で二重にも三重にもビックリしたライブの夜。

Kさんの運転する夜の高速を走りあっと言う間に地元に帰って来て、よく四人で行く店で飲み明かしていたのだけど、感想やら感動やらが尽きなかった。

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