2016年03月18日

心の一級建築士(が多数)

長年カウンセリングの仕事をしていると、状況や程度の差こそはあれど、類似したストーリーというものが幾パターンかある。

もちろん全部違うのだけど、根幹的な部分で同じようなことが起こり、そして幼少のみぎりから感受性が強かったり、自分の感覚というものを持っていた人に起こる共通項のあるエピソードのパターン。

そんな中でも、さらに絞り込むと、とても印象的だった人々が浮かぶ。

大抵最初は人間関係の話題かも知れないし恋愛関連の話題かも知れない。

けれどもある瞬間、家族の話しが出て来る。特に、今の家族ではなくて古い家族の歴史の話し。

その手のストーリーに触れることはしょっちゅうで、そして傾聴している私も独特の部分が揺れ動くわけだが、目的があるのでぶれないというだけ。

しかし、その人らの成長ぶりを見ていたり、新たに心の蓋を開けて自分に責任をシフトして行くことを何年もかけてやっている光景を見ると、胸がせつなくなるときがある。それは敬意が混じったせつなさ。

で、ある方のことを思い出す機会が多いのは只今世界の大変革中故なのかも知れない。特にその手のエピソードを今でも話してくれていて、だが、しかし、そのエピソードの捉え方が目をみはるほどに聴く度に変わって行くから。

初めて出会った頃から今までのことをしょっちゅう思い出すのでその方が話しているのを聴いていると、せつなくて愛しくて抱きしめたくなる。もちろん、それは適切ではないのでしないし、目的をはずすことは無いのだが。

沢山の話しを聴いたあと、自立したがっている彼女の魂の叫びを聴いたのは、もう何年も何年も前。そう、最初は言葉にすらしていらっしゃらなかった。

私もそうだったのだけど、ある若い時期、未熟な時代には、親を憎み過ぎるかと思いきや、立派な人だと思い込もうとすることで自分を保っている。

だから、逆らいながらも言うことを聴くし、怒りながらも『ほんとは親の言う通りかもな。』と心のどこかで思っていたり、結局はレールをはずれる勇気が出ない。

そんな折、繰り返し技法なる簡単なやり取りをしつつ本人の言葉を繰り返しているだけの時点で『自分の親を悪く言われて気分が良いわけない!』とその人が怒った。

いや、お母さんが悪いと言っているのではなくて、あなたがあなたらしく生きられていないことが問題なんだというところから始まった。

途切れ途切れにそのセッションは時に心理学やレイキを挟み進行して行った。

そして、こちらが何もアドバイスしなくとも彼女は自分が味わって来た気持ちに気が付き、やはて己が何者かということを知って行くような時期があった。

自立し始めたその後には、孤独のような気持ちもやって来るので葛藤する。

あたかも家族と気分の悪いやり取りをしていた時代の方が充実していたのではないか?と思えるくらいに。

しかし、実は、家族やら友人やら多くの人の中で感じる孤独は、実は一人の孤独よりもずっと辛い。

依存すれば依存するほど不安になったり苛立ったりしてしまう。

そんなやじろべえ的にバランスを取っていた人がやがて自分の2本の脚で歩きはじめる。

いつしか親元を離れてしばらくした頃、それでもやっぱり親は親。

『お母さんが泊まりに来てね』というときの彼女の顔が凄く嬉しそうになっていることを本人は気が付いていない。でも、そのインナーチャイルドの表情が全面に出たとき、とてもとてもせつなかった。

しかし、時は流れ、彼女の知も手伝い、彼女は自分に退屈しない自分に戻った。

要らないもので固めたダンボールの家のようなもので寒さをしのぐことの儚さも知ったんじゃないかと思う。

もちろん、その家もとてもユニークで素敵な家だったと思うのだが、今の彼女の心の中にある立派な大国と比べれば。。。やはり今の方が良い。

彼女は自分が何を出来るかを知った人。

かと言って、あの日やあの日やはたまたあの時の辛さが消えるわけではないにしても、むしろそれがあるからこそ、今の心の王国を大事にしているのだと思う。

たまたま近いセッションの日があったために彼女を例に取り上げては観たものの、とある会の前には、あたかも、王国が幾つも押し寄せるかのような状態になる。

皆、苦しんだり寂しがったりしているばかりではなかった。人並みに喜怒哀楽を感じたり自暴自棄になったりすることもありつつも、それだけではなかった。

ちゃんと素敵なものを積み上げて来たのだなと、会う度感動してしまう。

その城が出来る過程や背景を思うと、本当に内心号泣したくなることがしょっちゅうなのだが、これまた不適切なので号泣はしない。傾聴のために。未来のためにとっておきたいから。

何故ならば、やったことには全て、それに見合った結果や答えが返って来るし、未来はもっとよくなる人々ばかりだからだ。号泣はそれまでとっておきたい。

インナーに出会うと非常にせつない。

でも、それの何倍もの敬意が膨れ上がって来る。本当によく頑張って来てくれてありがとうと。

私はそういうのをかっこいいと思う。

格闘技の覇者くらにかっこいいと思うし、ミューズほどに美しいと思う。

そう、それが例え疲れていたり、時には花粉症や季節の変わり目で自分的にはへろへろに感じている日ですら。
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2016年03月09日

発達段階それぞれの歩み

御多分にもれず一人の人間の中には誰しも沢山の自分というものが存在している。ユングはそれを性格というよりはペルソナと表現したのかも知れない。

で、カウンセラーの中にもカウンセラー以外の人間というのが沢山存在している。

それは多分、出会った人の数や出会った価値観の数、そして自分の頭で考えて来たり、自分の目で見て来たデーターを持っている人々が沢山自分の中に居るから。

でも、プライベートはともかくとして、カウンセリング中はその方の先を見越してプロセスに合った方法をカウンセラーの部分の私が仕切る。

ただ、それだけのこと。

今日はたまたま三者三様、それぞれのエピソードをお話して下さっているのにも関わらず、どこか、とても共通点が根底に流れるようなエピソードばかりだった。

何が正しいとか悪いとかはない。

ただ、私はこう思うよということを伝えたとき、とある人の中に幼い頃の記憶が蘇ったという話をして下さった。

それで類似体験を自己開示したのだけど、お互い泣いてしまった。

そう、きつかったんだよね。

友達みたいな親子はあっても良い。ただ、親子は友達ではない。

子どもは一つの人格ではあるものの、あくまで子供であって、決して対等にはなり得ないのだ。

そこを思いやれない場合、自分を正当化する言い訳をしてしまったり、自分の心が苦しいというだけで色んなことを吐きだしてしまうのだけど。

本当はそんなことはするものではないとチームかおるの一員は言っている。どうしても、どうしても子供対大人はフェアじゃないから。後々の人生にまで影響を及ぼす傷を負った自分だからそう言える。

どの人員も激しいのでカウンセラーをリーダーに据えてからの人生は大変なものだった。

けれども、自分の中の色んな自分を抑え付けることはしない。ただ、今は待て、待ってくれと言うだけ。

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今日の最後の教育分析では長きに渡っての教育という催眠の話題になった。

誰でもそうなのだけど自分らしく生きようとしても何かがアンカーになって、古い脚本にどっぷりはまってしまうことがある。

長年付き合って来た脚本で到るところにストーリーの矛盾があるということが分かっていても筋肉が覚えているので一つ一つの出来事に反応する。

抜け出ても抜け出ても追って来るしつこいアンカー。

余談だけど、たまた今日の私は信じられないくらい疲れていたのでその方の持っている特殊技術を所望した。事務所に来て下さっている状態で依頼するのは悪いのだけど、セッションの後で『是非とも』とお願いしたのだ。

めっちゃ心地よかった。

そしてふと見ると、そこに、自分が何者であるか?何がしたいのか?ということを思い出している人の顔があった。

これから魔女の呪いの世界とこの覚醒した世界を行き来することが何度かあるかも知れないけれど、これが本当の彼女なのだなと思った。

副産物で私の疲れはすっかり取れました!いやあ、気持ち良かった。言葉にせずとも多分どれだけ良い仕事をしていてどれだけ相手が助かるかってことも残らず筋肉は覚えているんだろうなあ。

人は本当は積み重ねる必要のないものを積み重ねてしまうものだけど、ある種の人は、それに負けないくらい良いものも積み重ねているのだなあとしみじみ感じた。いやあ、あんなに寝たのにまたよく眠れそう。
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2016年01月26日

勇者に触れた日に思う

ナースになりたての若い頃、必要に迫られて(いるような気がして)色んな心理学書を読んでいた。

多分、施す側、やってあげる側だと思い込んでいる立場の職業の傲慢さに疑問をいだいていたのだと思う。

世間話のような申し送りや、患者さんやスタッフへのレッテル貼り。

そういったものを優しさだと思い込んでいる風潮に触れるよりも、バイタルの値やデーターなど、数時の方が余程知りたかったのだけど、なかなかそこに辿り着かない報告にイライラしていた。

確かに病んでいるや患っている方々が存在する場所ではあるものの、何か別のところでの歪みを感じていたのだと思う。2016012501.JPG

そしてそういう仕事をしている側こそ余計に自分を振り返らなければならないと思ってそういった本を読み漁っていたのだろう。

そうすると度々”機能不全”の家庭という言葉が出て来るので辟易していた。その言葉が嫌いだったのだ。

機能不全と表現されるとあたかも家庭という場所が一つの装置のような気がして。

でも、今になって思えば、とりあえずそう表現するしかなかったのだろうなと言うことが分かる。

多分だけど、例え不格好でも愛が伝え合える環境だったなら将来つまづかなくて良かったことが沢山あったかも知れない。
でも、多くの人がつまづき、そのつまづきすらも恥と考えて世間体を気にしている人が今の世の中に多いなと思う。

本当は、そんなの恥ではなくて、ただ普通に我が身を振り返り、気付き、失ったものを取り戻したり、知らなかったことをトレーニングして覚えていけば良いだけの話しなのだけど。


多分、通常だったら子供を愛さない親はいないと思うのだけど、その愛し方が分からないまま、ただただ周りを気にして育てた人もいるかも知れない。

仮にその愛が伝わらなかったら、本人は幼少期に親から愛されたという感覚を持てない。

ほんとは愛されていたのかも知れないけれど親御さんの方が自分を愛せない場合、子供を含む他者をうまく愛せるわけがないから。

そういうループというのは代々続く。どこかの代で止めようとしない限りは。

偶然なのか、必然なのかは分からないけれど、今世で出会う人々は自分の代でそれを止めようと果敢なチャレンジをしている人が多い。

でも、チャレンジャーの方々も「愛する」とか「愛される」とはどういうことなのか分からないのだけど、無意識に、とりあえずは親がやっていたことをやる。

愛するということは互いのものを共有することだと思い込んだり、愛されるということはずっと自分だけを観てくれることだと思い込んだり。(自分を見つめない親御さんはとかく子供だけをじっとり見つめてあれこれ言うのだけど、親子共々それが愛だと思い込んでしまう場合とか。)

愛されるも愛するも分からないのだから、当然経験がないということになる。

そのため自分なりの方法で愛を伝えようとするのだけど、それがお金や物や時間を貢ぐことだったり相手の言いなりになることだったりするかも知れない。

もしも「迷惑だ」と拒まれてしまったら、あれ?やり方が違うの?それとも足りないの?じゃあ、もっと愛を注がなくては!とやはりエスカレート。

その衝動ってのは凄いエネルギーなのでなかなかおさまらないというケースを沢山目の当たりにして来た。

逆に、努力した結果、たまたま功を奏して「うれしいよ、ありがとう」と言われれば、自分が認めてもらえたという幸せに包まれるのだろうけど、そうすると、もっと認めてもらいたくて、行動はエスカレートして、しまいにはストーカーに発展するかも知れない。(もっと凄いケースだと何の心の通い合いもなくストーカーすることもあるみたいだけど。)

はたまた本人の感受性や認知にも個人差があって、自己認識では「凄く粗雑に扱われた、虐待を受けた。」と思っている人でも、実は過剰な世話を焼かれて我儘に育てられていたりとか。

そうすると他人が自分の思い通りにならないとヒステリックになって怒ったり号泣したりと忙しくなる。

どちらにしても、他人の反応ばかりを観るというのは自分だけでなく周辺の全てをへとへとにさせてしまう。

これは誰にでも起こり得ること。

で、カウンセリングという仕事をしているとかなり多くの頻度で遭遇するケース。

人には恒常性というものがあって、何らかの独自の方法でうまくバランスを取りつつ生きて来ている。

でも、自分のバランスを保つために他者のバランスを崩すという方法はやがて限界が来てしまう。

ただ、やはりそこは恒常性。

恐れすぎる人は抑圧して、結局、何かの拍子に蓋が開くと爆発的にこの傾向が出てしまう。

だから、ここでもやはり”なるべく”って感覚が大事なのだなと思う。

あまり頭で考え過ぎると親密な関係を避けるという症候群が出て来てしまう。最初は良いけれど、仲良くなったり信頼し合いかけたところで関係をぶち壊す。つまりは幸せになってはいけないという症候群。

本人は無意識でやっていることなので、まったく気が付かないし、それなりに傷ついてもいるのだけど、相手はもっと傷つくんだな、これが。

何せ無意識なものだから、全く分からない理由でいきなりぶち壊しにかかって来るわけだから。

じゃあ、どうするのか?というと、やっぱり他人にはどうにも出来ない。

自分の内側に原因があるということをどの地点で気付くのか?受け入れるのか?で人生が変わる。

で、重ね重ね、それは他人には変えることが出来ないのよね。

関われるのは変わろうとする人だけ。

それだけでも時間は過ぎるので。

現状や自分や他人の悪いところばかりを探すのが得意な人、つまり不幸の才能に長けた人には言うことは何もないし、わざわざかける言葉もない。

でも、そういった位置にある人ほど自分を観ることを避けるので、どうしても他人に首を突っ込みたくなるらしく、自称優しい人ということになっている。

そして「頼んでいませんよ。」と言われて勝手に傷つき恨み言を増やしていっているような。

そこで冒頭の機能不全という言葉を思い出した。あまりに同じことを単調に繰り返していると、それはそれで人間らしさが無くなるのだなと。

一見とても感情的に見えるのだけど、傷ついた傷ついたと自動装置が働いているかのように感じて鋼鉄感すら感じてしまう。

弱いとか傷つきやすいという仮面も使い過ぎると硬化するのだなあ。

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今日はとても人間らしい方のメールカウンセリングの返信を書いていたのだけど、そして内容的に自分を責めておられるかのようだったのだけど、とても柔らかい人間らしさを感じるばかりだった。

少なくとも、新しい道を自分の頭で考え模索している美しさがそこにあった。
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2015年12月14日

時には任せて力を抜くこと

昨日、ここに書いたことで、仕事とプライベートの比率がやっと半々くらいになって来たと書いたのだけど。

そう、18歳で単身こちらへ出て来てからと言うもの、仕事のことや身を立てることばかり考えていた。

しかもそれは食っていける食っていけないとかそういう問題ではなくて、如何に一人で歩く力をつけるか?ということにこだわっていたらしい。

それは結婚後も一切変わらなかった。配偶者がいようがいまいが自分の足だよと思い続けていたようだ。

で、今の私はそれを決して間違いだとは思わない。

ただ、あの頃から特に思っていたのは、生まれたてのヌーの赤ん坊のように、精一杯立とう立とうとしても、どうしても立てている気がしなかったということ。

グラグラしたり転んだり、倒れる度に「くそーーー!」と思ってまた立とうとして、時折悔しくて怒ったり泣くこともあったような。

そして私は30代のある日、心理学に携わるようになってから、気が付いたことがあった。

私・・・・・・・・・。足、折れとるやんか。あと、なんか知らんけど全身流血しとるやんか。ということ。

それまでは自分がそんな状態だとは気が付けなくて「どうして他のヌーのように生まれてすぐ立てないの?いつまでこんなことやってんだ?」という焦りと怒りばかりだったのだけど、何てことはない。折れたり怪我しているところで常にフルスロットルで頑張っていたら癒えるものも癒えない上に立てるどころの話しじゃない。

私はそのことに気が付くまで自分だけが悪いんだと思い込んでいた。無知なヌーの子供だった。

そして、さらにそれから時が流れて。

今もあんまり器用とは言えないのだけど、間違いなく立っている。心身の筋肉もついて来た。

***********

引き続きインナーチャイルドの話になるのだけど、色んな方々のエピソードを思い出してせつなくなる。

可哀そうというその言葉のニュアンスは誤解されるかも知れないのだけど、やはり実際可哀そうだと感じる場面も多かった。

同時に、そんな傷を負ったまま立つ方法、歩く方法を模索して生きて来たのか?と思うと鳥肌が立つほどの経緯を感じずにいられない。

可愛くて強い内なる子に会えたとき、そして語って下さったとき、ありがとうと思うのと同時に尊敬してやまない。

まだ生まれたてでずぶ濡れで、必死で立ち上がっている人もいれば、立ったばかりの人や、既にそのプロセスを経て仲間たち悠々牧草を食べている筋肉隆々の子もいる。

互いが互いを見守っている。

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またしても先日の続き。

いつぞや猫居酒屋さんご一行と突然哈爾濱を訪れた際、皆でワイワイやっている最中、哈爾濱ママに「休日が被ってないんだね。哈爾濱さんは月曜日がお休みだからあちらのお店にも行けますね?」と言ったことがあった。

するとママ曰く「行くとかおりんちゃん居るの?」と。

あ、居るときもありますよ。

と確かその時はそんな会話を交わしたのだけど、片言も手伝ってか、夫から後から聴いたところによると、哈爾濱ママが「月曜日、とまり木さんにかおるちゃんと飲むに行くの。」と言っていたそうだ。

何、それはいかん。言葉のすれ違いと言えども是非行かなければ。

哈爾濱ママはとまり木さんで感動していた。

先日日本酒のコップの下に小皿でも置くと良いというYさんの指導を受けていたが、生まれて初めてこの店でオーソドックスな升を観たものだから。

「そうやって注ぐものなの?!それは何?下の四角いやつ、何?」と。

「升って言うんですよ。」とTちゃんが教えてくれる。

それに対してママさんはマス⤴?と。

「うーん。。。それだと魚のマスになっちゃう。マス⤵ですよ。」

あとはTちゃんマスターが「ああ、俺、今度買って来てあげますよ。」と親切にも哈爾濱ママに言う。

それに対して哈爾濱ママは「あう。でも、うちで日本酒飲むの、かおるちゃん⤴しか居ないのよね。」

「あ、そうか。じゃあ、今度かおりんにマスを一個渡すから、今度哈爾濱行く時にはそれを持って行きなよ。」と。

ちょっと待って。なして往来を升持って歩き飲みに行かねばならぬのか。

笑っちゃったのだけど、昨日のKさんのお誕生会の際、ママ自ら升が買ってあった。

でも、それが面白いの。今まで観たこともない小さな升でプラスチック製。

何だか、何から何までカワユイわ。

特にY枝さんと共にママの一挙一動に愛情込めて笑いを漏らしていた。

”私、口と心、違うこと言えないあるよ。”

ママは自分が来日してからこれまで、如何に日本人に親切にされたか?ということを話してくれたことがある。それも泣きながら。

どんな些細な親切も覚えている。

え?嫌なことは一度もされなかったの?

「されてないよ。ほんとに皆良い人。」とキラキラした目で話す。

そりゃ、ママが素直で良い人だからなんだろうなあと思う。

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2015年11月27日

フォーカシング&インナーチャイルドヒーリング&ボディ

そして今日はカウンセラーズトレーニングの会その2。

最初の頃は人数的イメージだけでミニトレーニング会などと呼んでいたのだけど、それがまあとんでもないことで。

やっぱり一人一人の人格とその中に内包されている宇宙は濃い。そして深い。どこがミニなんだって話。

今日はフォーカシングを使ったインナーチャイルドヒーリングをボディワークで行なった。

まあ、これやると、ほとんど100パの確率で可愛らしい子が出て来てくれる。

極端にブロックがある人は別だけど、充分に成熟した大人で立派に日常生活を送っている方々でも、必ずと言って良いほどひょっこり姿を見せてくれる。

最初は身体の一部の違和感かも知れないし、僅かな痛みや凝りかも知れない。あるいは僅かな温度差かも知れない。

でも、繊細なその子に注意深く話しかけ、あと、ここが一番大切なのだけどゆっくりとお返事を待つことで実にユーモラスが受け答えが返って来ることもある。

「そんじゃ、貰っておこうか。」という言葉には大笑いしてしまった。

同時に、長いこと冷えていたり痛んでいたりしていたことの痛痛しさも。

サインを送り続けている自分にすら気がついて貰えない寂しさや孤独も。

レイキを使いながら互いに会話していただいた。

私の語りかけなど蛇足に過ぎないくらいに互いに愛し合っていた様子を目の当たりにして目頭が熱くなる。

愛情を表現することはとても難しい。だから一生懸命考えて手を添え、一生懸命考えていらした。そのプロセスこそが愛そのものだと知ってか知らずか。

終了後、過去の出来事とこのボディワークで感じた感覚が思わぬ繋がりを表していたという感想なども聴けたりして、なるほどなー・・・と、この世界や、一人の人間の深さと歴史に感じ入る。

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2015年11月07日

子どものままの古いフィルター

一週間で心理学書3冊読破。

ちょっと敬遠されがちな小難しい本もあれば、すごく読みやすいシンプルに書かれたものもあり。

先週はアドラーやらNLPや催眠療法関係のを読んでいた。

本当は図書館通いでもしたいのだけど、そんな時間もないのでついつい便利なネット上の本屋で取り寄せてしまう。

本ってのは小説やら漫画や専門書に到るまで面白くて仕方ない。

でも、30代後半くらいから、そして40代に差し掛かってからは特に、本が面白いというよりは、この本の向こう側にいる著者さん、つまり人間が面白いのだなと気づく。向こう側に人がいるってのは、すごくあたりまえのことなのにね。

そしてこの中年になってからは体験マニア化しているような気もする。

職業柄、色んな業界や色んな立場の方々のエピソードをえらく詳しく聴かせていただく機会が多いので、多分カウンセラーってのは、色んな世界を非常にリアルに知ることが出来る職種の一つでもあるのだろう。

そんな経緯を辿っていくうちに私自身の価値観が変わって行ったのか?というと、あながちそうではなく、「やっぱり。」と何か大切なことを確認出来たという一面もある。

例えばナース時代は、ことさらナースという職業に必要以上にプライドを持っていらっしゃる人々の中で仕事をしていた気がする。

仕事が出来るとか真面目の定義がそういう人々に限ってずれているのだが、とにかく井の中の蛙になりがちなんじゃないか?という場面にも沢山出くわした。

例えば、”それって、病院、特にこの病院の中だからこそ通用する理屈であって、決して世で言う常識とは違うような気がするんだけどなあ・・・。”と若い頃から思っていた。

でも、人間って何か一つに特化して慣れると何だか自分が凄く大きくなったと勘違いしてしまうのよね。

ヘルパーさんに酷く横柄な命令口調を投げつける人、患者さんの申し送りのはずなのに世間話になっていたり、下手すると主観に過ぎないレッテルを患者さんに貼る人。

もちろんとても人間的に素敵なナースさんに沢山お会いしたのだけど、そういう方に限って全然出世欲も無いし、体裁や肩書きではなくて自分のハートに向けていつも「これで良いのか?」と問いかけているのよね。
もちろん、その場の常識には適度に適応しつつだけど。

こういったナースの世界に限らず、人間には育った環境やらトラウマやら教育やらに独自のものがあるので、これまた独自のフィルターがある。

これまた頑固なフィルターで、それが個性の範囲に留まれば面白いで済むのだけど、自分を不幸にする思い込みになってしまっているとしたら、そのフィルターを横に置いておいて違う世界の人々の話しを聴いてみても良いと思う。

例えば、配偶者の会社が傾いて絶望感に陥っていらっしゃる専業主婦の方が「夫のせいで私が働かなくてはならない。」とおいおい泣いていらっしゃったとしても、現実の世界では働くということは本人が思うような悲劇ではなくて、むしろ世界が広がることだ。

「今のタワーマンションからコーポに引っ越さなければならない。」と悲しむ方もいるのだけど、コーポやアパートのどこが不幸のどん底なんだいって話。

「汚い家は嫌なのよ。」

それなら綺麗に工夫して住めば良いと思うのだが『外見が悪いしみっともないじゃない。』と返って来ることも多いので、ああ、そうか、外見や体裁に重きを置いたフィルターが悲劇を作っているのかと初めて分かったり。

「たかがコンビニの店員がこういうことを言ってきやがって。」と話すどこぞの重役さん。どうやらコンビニの店員さんは自分から見ると下らしいのでその理由を聴いてみると「年収2千万稼いでいないやつが働いてるって言うな!って話じゃないですか?」とのこと。

ああ、なるほど。この人が属する世界ではそんな価値観が蔓延しているんだ。じゃあ、コンビニに行ってコンビニの方のお世話になる必要ないね。ってか、使わせていただく権利すらないような。。。

ここ一週間くらい近隣のビルで工事が行われていて、ベランダから作業している現場のおじさんやお兄さんたちが見える。
凄く高いところに登ってクレーンを操ったり色んな作業したりしているのだけど、命綱は見当たらず。←目が良いので見える。

数日目のとき、たまたまオーストラリアの方からお越し下さっていたクライアント様とその様子を何気に観ていて「凄いね。半そでだね。重労働だね。プロだね。」と言い合っていて、夕方頃になると、同じく彼らを背伸びして眺めて「ああ、夕方になったからさすがに寒くなったのかな。長袖になってるね。」等の感想を漏らしていた。

あれ、やれって言われても絶対出来ないし、私なんてとろいからコンビニの店員さんのようなことも出来ないだろうな。

しかし、その前日は、同じ光景を別の人と見ていたのにも関わらず、その方は「あんな仕事だけはしたくないね。」と口をゆがめていた。ああ、これもフィルター。

しかし、この傲慢なフィルターを持ちながらにして、私たちは彼らが建てたり修繕したりしてくれている屋根のあるおうちやビルに住まわせて貰ったり仕事をさせていただいている。

駅から事務所までの歩道橋の上の手すりがいつもピカピカなのも、プロのおばさまたちが実に手早く丁寧に磨いてくださっているせい。

タバコや調味料やお菓子、それらの封を開けるときでさえ思う。

こんなに開けやすく作ってくれたのはどこのどなたなのだろう?と。

思うに、世界は優しさで満ちている。

ただ、傲慢なフィルターはそのありがたさを感じることに関して圧倒的な遮断力を持って自分を孤独にしている。

そう言えば私が訪問入浴を始めると言い出したときも古い同僚が凄いこと言ってたなあ。

「やめてよ、カッコ悪い。それだけは止めてよ。カウンセラーだけにして。」

「オペ室とか救命やってたのに何でそんなレベルの低いことするの?」

「えー?やだー!もっと有名な病院に行けば良いのに。え?介護が中心?医療行為をするのがナースじゃないの。」

三者三様それぞれの理由があって、一人目はナースの仕事に疲れ果て、カウンセラーの仕事が楽だとかかっこいい作業だと勘違いしていた人。現に『歳とったから心理学やろうかな。』なんて言っていたし。つまり、そこで私がきつい仕事をわざわざ始めると自分の勘違いだらけのモデリングが崩れるのだろう。

後者のお二方はナースを凄く特別で立派な仕事だと思い過ぎている人。それだけなら構わないのだが、他の仕事をどこか見下している人たちだった。

そういうのを聴いて、「あー、そうなのか。じゃあ、止めよう。」と思う人も居るのだろうけど、いかんせん、心理学やらレイキやらでその辺のフィルターがタマネギの皮むきのように向けていて、自分の感じるまま、信じたことややってみたいことをやりたかった私。

そういう場合、人の声ってのはあまり意味をなさない。いや、正確に言うと、信憑性のあるものや、真実の声はきちんと受け止める勘が働くのだけど。

それはともかく、フィルターを頑固に守り抜き変わろうとしないのも自由。ただ、それはやはり苦しそうだし、話を聴くと他者ともうまく行っていない。

最初は誰でも恒常性が働いて、現状のままの方が良いんだと勘違いするのだけど、ふと周りを見渡す今日この頃。

たまたまツールが心理学だったのだけど、何もしなくても1年2年3年と過ぎる。ただ、このツールを使った方々というのは、自分のフィルターを捨てたわけではないのだけど、物凄く柔軟で自由で、何だかイキイキしているなあと感じる。

人は面白い。
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2015年07月05日

人生の勘違い

携帯メールの着信が折り重なって一番下の方のメッセージを読み損ねてしまうことがある。

ので、いちおう一日の終わりにもう一度チェックして全部読んだか?あるいは返信する必要のあるものは返信たか?と気を付けるようにしている。

で、昨日の深夜にとある方がご自身のブログにリンクを貼って下さったといのがあった。

メールカウンセリング等でもう朝方近くになっちゃって瞼が半分閉じちゃっていたので一旦閉じて、翌朝リンク先を辿ると、実に彼女らしい文章が綴られたブログを読めた。

いつも口語で話している彼女のそのまんま。ずれがない。20150704003.JPG

個人的に凄く面白かったし気に入った。

時々、ブログを読んだ感じと実際にお会いしてからのお話があまりにかけ離れている方もいらっしゃる。

例えばブログはとってもきれいな言葉や前向きな言葉の羅列なのだけど、会って真相を聴いてみるとあまりにドロドロしているとか。

そりゃもちろん誰が見るともわからないブログに自分のドロドロを無理やり書く必要はないしある程度の配慮は必要だという考え方は分かる。(ちなみにこのブログはどっろどこのことも書いてますが。ええ、もう垂れ流し(笑))

でも、そういう気を使い過ぎたブログは・・・これまた全くの私的な好みの問題だけど、ちっとも読みたくなくなってしまう。実際多忙なときほど遠のく。どうせ嘘だったし本心じゃないから読んでもなあ・・・という心情になってしまうわけで。

まあこんなふうに毒吐いているけれど、そう感じることは自由なので自分に許している。

私の(私的に)好きな人、つまりは正しいとか正しくないとかではなくて、とっても大好きな方々というのは、体裁と本当の自分の間のずれがほとんど無い。

話しは逸れてしまったが、良いことも悪いことも楽しかったことも嬉しかったことも、凄く嫌だったことも、「けっ。」って思ったことも色々あるその人が好き。

***********

今日はAちゃんのヒプノセラピー講座の日でもあった。少し間が空いたのだけど、丁度良いと色んな意味で思う。

心のことは一歩一歩確かめつつ、一歩一歩が良い。

それは良いんだけど、私、間違えて一つ先の回の資料を用意して来てしまっていた。

解離云々の章ではなくて、その次のインナーチャイルドヒーリングの章。

あちゃー、困ったなーと思ったものの、基本的に一回完結型なので多少順番が前後しても問題のない内容だった。

しかもAちゃんが「あ、私も今こちらの方が興味あるかも。」と仰って下さったので急遽順番を前後させて始めた。

色んな考察をした。そんな中、トレーニングの会の日の公開ロールプレーの主役のお一人を務めてあげて下さったことについての感想や反省も出して下さった。いや、反省は無い。ここにあるのは、いつでも気付きと広がりだけである。

*********

その後、お久しぶりの方が玄関のチャイムが鳴るまでやや白熱してあっという間の2時間だった。ちょっとはみ出るほどに。

そして、次に来て下さったのが少しお久しぶりの方。

つまりはAちゃんにとっても仲間の方だった。

『ごめんね、ごめんね。』と時間を気にして立ち去ろうとするAちゃんに「ええい。帰すもんか。帰っちゃダメだ。」とじゃれているこれから2時間カウンセリングをする彼女。

その様子がとても可愛かった。本当はもうちょっと話したかっただろうに、Aちゃんはきっと迷惑かけちゃうと思って帰っちゃった。

で、ここから始まるカウンセリングを始めて「よくぞ話してくれた。」と思った。

***********

この話は先に書いた彼女の話じゃない。

本当に一般的な話なのだけど、日本は今自殺大国と言っても良い状況。

私は時間に遅れては困ると思い、いつも自分が使う路線の運行状況に異変があればすぐにメールが来る設定にしている。

それで人身事故などで電車がストップしているとすぐさま携帯にメールが入るわけなのだが・・・この設定を使いだしてよりリアルに考えるようになった。

私が使っている沿線だけで毎日のように人命が損なわれている。

そりゃその方法で自殺する人の行為自体は大嫌いよ。それを片づける人、そしてそのために大変な数の方々が足止めを食らったり、そのせいで具合が悪くなったり。

先日あった有名なニュースでも、なしてそんなところで焼身して関係ない人を巻き添えにするか?と正直「馬鹿者が。」とさえ思った。

私には望んでいない妙な能力もあって(しかも自分でコントロールできない)、電車のドアに寄りかかって読書なんてしていると、窓ガラスに血だらけの人がバン!と飛んで来たりすることがある。

”私、こんなんなっちゃったのよー。”

そう言う人は生きている人でも死んでいる人でもすかんので(ええ、これも私的に)、くるりと背を向けガン無視して読書を続ける。自分でやっといて何言ってんの。それに、私には何もできんわ!と思いつつ無反応を装う。

それはさておき、飛び込みが一番多い時間帯は出勤のときと帰宅ラッシュの時間帯。昼から仕事の人も結構居るからか、その次が昼。

数えたわけではないが、確かに言えることと言えば、土日にはほとんど無いということ。あくまでほとんどってことだけど。

そんな気がしたので本当の統計やら相関関係を調べて見たところ、確かに予想通りの結果だった。

携帯を一本持っているだけで世の中の縮図が見えることもあるのだな。

要するに、皆、会社、行きたくないんじゃん。理由は様々なんだろうけど、業務が嫌なのか人間関係が嫌なのか、もしくは忙し過ぎるか。

でも思うんだよね。

会社は世界じゃないよ。誰か嫌なやつ居てもその人が全人類じゃないよ。

会社や忙しさや人から怒られたとか仲良く出来ないとかで死ぬことないんだよ。

で、しかも死んでも何も変わらないよ。いや、もっとしんどくなるだけなんだよなあ。

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ある人は「わたし、もう27歳ですよ。」と言った。

またある人は「わたし、もう31歳になっちゃましたよ。」と言い、

かくなる私も『うお。もう、50手前か。』と言う。

そう、大抵な”もう”というんだよね。

でも、先日訪問入浴でお邪魔した92歳のお婆ちゃんがお風呂の最中に言っていた。

普通に会話するし普通にトイレに行かれるもんだから年齢がおいくつか忘れた。

しかも、御耳も良い。

それで○○さんはお耳もよく聞こえるんですねーと声をかけたら「ほっほっほっ。だって、私はまだ92歳ですから。」と仰った。

全員で「まだ!?」と目を丸くして復唱した後、何だか恥ずかしくなってしまった。

私なんぞはまだまだ努力すべき子供みたいなもんじゃないか。どこからでもいつからでもスタート出来る。

ただ生きてさえいれば。
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2015年06月26日

究極のコラージュ / 秘密の要塞

月末の最終火曜日、大々的にある意味嵐のようなワークをやっているが、その名はカウンセラーズトレーニングの会。

と言うか上級卒業生の比率が高かったり、これまでに色んなワークを経て来ている方々で主にいつでもカウンセラー活動出来るように目標設定している。

なのできつい場面が無いと言えば嘘になるのだが、人間って凄いもので、初期の頃には杖ついて帰りたい、せめて翌日は寝込みたいというくらいだったのに、ここ最近はそのワークを長時間こなしながらも爆笑の渦の連続ということも多々あり。

中にはほぼ皆勤というつわものも存在する。

やった分というのは返って来るものでその成長ぶりって凄い。

そこにはいくら本やテキスト、あるいは知識を入れて来ただけの人にはかなわない種の強さがある。

そんなメンバーの中に、ごく初期の頃、会の存在をお伝えするのを少しためらうような状況の方も存在した。

単純に病み上がりで大丈夫なのか?とか、当時のあの時点で参加して大丈夫なのか?という危惧。

でも、本当のところそんな危惧は無用で、耐えられないな、ダメだなあと思った人は自ずともっともらしい理由をつけて来なくなるし、続けられると自己判断した人は続ける。

それでも私の老婆心がその人のことを観察することを怠らなかった。

ところが、その方はあの数年前のある日、そう、あれはまだ心理学を始めて間もない頃だった。

”こういうトレーニングの会があるんですよ。”とどの方にもお知らせするように伝えるだけ伝えてみたところ「そんな会があるのなら、ありがたいです。参加させて貰えるのなら是非行きたい。」と仰った。

え?内容の説明もしたのにそう思うの?大丈夫?と思ったのだが、分からない人が見るとこの上なく静かで温厚な彼女の瞳の奥に強さを見つけた。

あれからどれくらい経ったのだろう。あの時の彼女の勘も私の信頼も本物だった。

信じられないほどの大変な体験をしつつ自分を律して来た彼女。

今振り返ってみればそれは当然のことだったのかも知れない。もちこたえるどころか、ぐんぐん伸びて行くあのセンスは。

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で、昨今、これもひと月に一回なのだけど、少人数でのトレーニングもやっている。また毛色が違った繊細な方々だ。

もちろんもう一つの大々的にやっているトレーニングへの出席者の方々ももれなく繊細な方々たち。

しかし、免疫力と強さがそこに培われている。

人にはそれぞれの段階とタイミングがある。強さが育つ途中であまりに刺激が強すぎてもどんなものか。

けれどもこちらも決して手を抜いているわけではない。それぞれの都合があり、それぞれが過渡期。とても大事な時期なのだ。どちらにせよいずれ足並みが揃うし、多くの人は足並みを揃えたり質の向上をはかろうとする時、版を押したように同じような厳しさで行くのかも知れないが、そんな指導や育て方は馬鹿でも出来る。軍隊じゃないんだから。

そう、軍隊を育てているのではなくてその人らしさを育てるときには、皆に同じことするのは馬鹿。自分の都合の良い人になれって考えるとしたら例えそれが無意識だったとしても馬鹿。(学校教育に似ているな。)

ところで、メンバーのお一方が、お子さんの授業参観をして来たその足でいらして、しかもその数時間後には学校まで迎えに行かなければならないという事情をお聴きした。

それ、初めに聴いておいて良かったよ。

本来はきちんとスピーチしてきちんと傾聴して、きちんとシェアしてきちんと受け取るワークの後、後半は無言でやって貰うワークを設けていた。

でも、時間が大幅に制限されている。

で、昨日の決めた方針通り、ユング的なコラージュ応用編は是非やりたい。

だから、今日は、無言ワークではなくて異例の好きなこと喋りながら、コラージュの応用編をやって貰いましょうということになった。自由に、怒ったり笑ったりしながら。201806252.JPG

今までやったマインドマップやコラージュ、各種絵画療法も良かったと思うのよ。

自分の右脳の中にあるものを視覚化したりデトックスする理屈抜きの作業。

で、今回は、今までと同じく記念に残るもので、携帯出来るものでもあれば良いなというアイディアが浮かんでいた。

ほら、これまでのはおうちに貼って下さっているものの、家を離れると視界に入って来ないものだから。

というわけでレジンを使ってパーツを組み合わせて作品を作って貰った。

これは先日のある程度同じ大きさのコラージュを作るよりも、厳選しなければならない。

何せ、キャンバスが極端に小さいからね。

本当に本当に大事なものしか入れられない。

それにしても素晴らしかった。201506253.JPG

個性あふれる様々なコラージュ。

生きていると色んな感情が湧いては来るし、時にはこの野郎!となることがあっても良い。

でも、この方々は、この無数のパーツで作られた世界から、やはり美しいものを選び取って自分のコラージュを作っていらっしゃった。

その人が作るものはその人自身。

その人が選ぶ色ものはその人自身。

皆、美しかったよ。

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その後、1セッションカウンセリングを終えて、いよいよ本日とある方のヒプノセラピー養成講座の10回目。

今回はインナーチャイルドヒーリングへの応用。

これ一つでも色んな方法があるのだけど、今回の演習では自分の心の奥底にある秘密の小部屋へ行くというワーク。

通常、毎回どんな種類の催眠でもやられる側とやる側の両方を体験&体感していただいている。

じゃ、まずは体験していただこうか・・・と思いきや、おっと、あなたもPMSですかいっ。さっきからそう仰っていたのにごめん。それは大変だ。よくぞこんな日に頑張っていらして下さった。

では前回同様、やる側、つまりはセラピスト側だけを体験をしていただきましょう。

これまでも予想以上の力を発揮してくれたし新しい項目でもセオリー通りにやればOKだし。

で、私、今日やるワークは以前やったことがあるので答えを知っているつもりでいた。

かつて同じ方法でその自分の秘密基地とも言える心の小部屋へ降りて行ったところ、そこには山ほどの点滴や点滴のルート、インシュリン、注射器、さまざまな薬剤、オペ台が隠してあった。

それを知ったときは本当に衝撃だった。

で、今回もまたあそこへ行くのだろうと思っていたし、約半分は当たっていた。

ところが、考えてみればあれから数年。その小部屋の様子が変わっているのは当然のこと。

自分も変わって行っているのだから。

色んな意味で予想したり先読みしていたのだけど、はい、出ました。初めての体験。

そこの部屋の入口までは覚えているよ。

小部屋というよりは要塞化していた。守りが厳重だったのだ。

扉がどこにあるか分からないようなカラクリ部屋の壁に沢山の武器が立てかけられているのだが、扉の隙間をまたがるようにライフルや大きなナイフがかけられていて、それらをよけて初めて現れる階段。

そこから先が覚えていない。

入り口がずいぶん厳重になったなーってあたりから。

重々承知の上とは思ったが、私、本気でクライアントになるので変な集中力がある。だから深化法は軽めにやってねとお願いしておいたし彼女も軽くやってくれたはずなのに、おそるべし、集中力と、ラポールの深さと彼女の力量。

気が付いた後に、その要塞の中身の様子、それについて幼い少年兵のような私が何と説明したか?というのを聴いてビックリの連続のシェアを貰った。

確かにそうだな。確かに私はそう考え、そう信じて来た昨今があるなあと感じた。

私は、その要塞をもしものときのためにごく少人数の方に信頼して託していた。リーダーも選んでいた。

それは私の心の中の勝手な世界。

ただ、あの部屋にシーサーのように白ちゃんが居たこと、そして私自身が人に絶大なる信頼を持っていたということや、月日の流れや、今まで感じて来たこと、目で見て来たことの真実を知った。

医療班も彼女たちが採用してくれる。

あと、あの地下通路へ通じる入り口の様子。ずいぶん物騒なものが覚悟を持って保管されてもいたが。

そうそう、あれは、昔は無かったはずなのだが。

あとで考えて見ると、その先に存在するものも人間も生き物も全て守ろうと考えている私の無意識だったのかと気が付いた。

それは勝手な無意識と妄想であるにしても、私がそう思っているということを知る貴重な機会となったので驚きと共に、施術者に感謝した日でもあった。

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2014年05月15日

ある日彼女は自分にハッピーバースデーと言う

カウンセリングとレイキ、教育分析などですれ違った勝手知ったる仲間の方々が嬉しそうにすれ違ったときのこと。

前の方がお帰りになったあと、目の前の彼女に今いちハッキリ届いていない良い意味での噂をシェアする。

数年前、初対面の頃出会った際にも美しい人だなあと思っていたのだけど。

ジャンプするための力を溜め込んだり懸命に考えたりワークしていたり。

その結果ごく最近になって殻が一枚つるんと向けてますます美しくなった彼女。

あのね。KちゃんもNさんのBちゃんも皆、「彼女、最近、ますます綺麗になったね。」と言っていたんだよ。と。

以前ブログにも書いたことがあるのだけど、若い頃の果実は誰でもそれなりに美しい。

でも、生ものだからその命は短くて、やがてはしなびていく。

でも、時間の貴重さを知る人や、自分見つめをして殻を打ち破って行く人には、必ずしもこの法則は適応しない。

余分なポーズや思い込みや刷り込みが研摩されて取れて行くごとに、その方々はまるでブリリアンカットした宝石のように変容する。

これはどなたにも言えることで皆さんトレーニングに勤しんでいるうちに年々美しくなられているのだが、それが自分自身の素が現れて来ているから。

表情もとても豊かになるし腹の底から笑うようにもなる。

『えー?なんでかなー?』と仰るのも無理もない。自分の変化というのはなかなか気が付きにくいものだから、

それとは別に思うのだ。

仲間の美しいアルケミー、錬金術、変容を目の前にして「美しい!」と賞賛出来る仲間の心がまた美しいから。

よく女性同士でありがちなくだらない嫉妬やサバイバルなんて存在しない。

皆、心から喜び賞賛する。

そういったことからも大きな価値観の変化を他の生徒さんたちに感じたりもする。

ところで「私のこの感情、それまでに変容しますかね?」という危惧が彼女から質問される。

その答えとしては、変わらないはずがない。

ただね。

左脳によって、期間を設けたり焦らせたりすると、心の中のその子はまた焦ってしまうから、好きなようにさせておいて欲しいの。

怒ったり泣いたり色んな感情を味わいながら「そうか、そうか。」と自分に耳を傾けて味方でいて欲しいの。

自分の一番弱いところに歩調を合わせて生きて行くことは、実は遠回りのようでいて、大変近道だから。

そして、自分に「ハッピーバースデー♪」と言って欲しいんだ。

自分の弱さや人間臭さを知る人は後々、自分でも想像しえなかった力を開花させるものだから。

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今日が あなたにとって良い一日でありますように。


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