2017年08月09日

知らなかった裏切りと傷

交流分析というのを学問の分野として学んでいた時期があって、やがてはそれを現実的なものに使って来た。

なので充分血の通った具体的なツールだと思って来たのだけど。

要するに自分見つめと並行するので、最近になってまた新たな自分に気が付いた。

互いに色々な感情を向けられるのが交流なのだけど、個人のパターンというのはある程度どこでいつ何をしていてもある一定の特徴がある。

私は自分の意図とは裏腹に全く関係なく色々な感情をぶつけられて、いつの間にかそれに向き合い色んなことを学んで来た。

その中である程度親しく、信頼を持った相手に言われるパターンとして「あなたには沢山色んな人がいるから。」ということ。

???となる。皆にも沢山居る。等しく居るはず。

そしてこう言う風に言う人、あるいは感じている人がいるらしい。「私一人くらい約束を破っても良いでしょう。」。

それは仕事にも出るよなと思う。

この日この時間に集まるからと設定している仕事や会合やその他諸々についてドタキャンする人は皆こんな感情を持っているらしい。

相手が一人でも集団でも私にとってはあり得ないことなのだけど「私一人くらい」ってな気持ちで裏切られることに傷ついて来たのだなと最近発見。

何が悲しいかと言うともちろん約束を破られることも悲しいし、前から分かっていたことでしょ?と思うような理由や言い訳を聴くのも悲しい。

そして何より、相手が個人でも集団でも、その姿勢はやがては自分の人生を作っていくのだよと言いたくなる。

原因と結果が交流だ。

でも、難しいのよね。約束を守るべくその日その時間に前もって自分の諸々を調整していくことが。

それが分かるこそ、大事にしてくれる人がますます愛しくなる。
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2017年07月29日

心理的報酬

自分だけが心理的報酬を得ているという状態を無意識のうちに避けようとする心理。

誰でも受けた恩は返したくなる。いや、誰でもではないかも知れないけれど。

でも、仮にこの傾向が強いとなると中々人の好意を受け取れなくなるという現象が起こる。

はたまた、好きになれば好きになって貰えるという心理を生む。

昔から不思議だったのだけど、現実でもドラマの世界でも「好きなのに!」とか「好きなんだよ!」と怒って言う人の真理。

これは「こんなに好きなのに何であなたも好きになってくれないの!」という理屈らしい。

こんなことを不思議に思う人が不思議だと言われるかも知れないけれど、昔から言う告白と言うものの目的が妙だなーと思う。

やがては恐ろしいとまで思うようになったりして。

心理的にギブ&テイクのバランスを取ろうとするこのメカニズムほど恐ろしいものはないなと。

それって、本当に好きなのか?と疑問に思っていたし今も思う。

けれども、その結果、何一つ受け取ろうとしなくなるのもまた問題だな。

そして私とはまた違ったタイプだけれど、受け取らないのに、次のボールを投げて。もっと投げてと求めて、いかに投げさせるか?ってゲームをやる人とか。

でも、受け取らないで交わすのよね。背景にある膨大な倉庫に溜めて愛を腐らせたいのだろうか。

それはともかく、また昨今、色んな人に出会う中で、その方々の愛情や優しさの注ぎ方に感動し、やがては貰ったからと言って返す方法が見つからないと焦る感情を持っていた。

そんなことに気が付かせて貰った今。

大切に素直に受け取ろうと思う。

全てを無駄にしないために。

人の心って、何て美しいものなのだろう。

自分のことを考えてくれるって何て最高の贈り物なのだろう。

ありがとう。
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2017年07月25日

今度やいつかが今日になる

ああ、まだ夏は続くのだな。

初夏の頃、いや、あれはまだ梅雨に入る前だったか。

出勤したての靴箱あたりで挨拶した人と朝の屋上で会った。

「今日の恰好、夏ーーって感じでしたね。」

だって、もう暑くないですか?と答えるとただ笑っていた。

どうしてまあこう色んなことが短期間に変わって行くのだろう。

距離を置いていい感じで笑い合っていた人がいつの間にか至近距離にいる。あの人もこの人も。

そうかと思うとピリッと緊迫して同じ極同士がぶつかった磁石のように離れたり。

皆、誰もが傷つく心を持っているし怖がりなんだなあ。

そしてまた恐る恐る近づいたり。

私は時々そういったことに酷く疲れる。

何を怖がっているのか人を見てびくっとしたり。

多分誰も傷つけ合いたくはないのだろう。

傷つきたくも傷つけたくもないのだろう。

でも、そのモノの言い方、ちょっと・・・いや、ちょっとどころか大分違うよと思うとがっつりノーを示す。

それ、要らない。

ありのままを受け入れて欲しいなんて他人様に求めることじゃない。

けれども、時々、その人のありのままを受け入れたくもなる。受け入れたいと思ってしまう。

そんなことは出来ないと分かってはいながら。

*******

先々週だったか、IちゃんとKと野球観戦に行ってしばらく後のこと。

ある日Kが「明日バッティングですね。」と言うので「???」となっていると、「ははは。誘われてないんだ。」と毒舌Kが笑った。

まあ、職種も違うし「尾崎さんは忙しいですよね?」などと言われ、そういうことはよくあると思った。

なので、二人で楽しんで来てねーと言っていたのだが、当日の昼休み、Iちゃんとキャッチボールをしたりタバコ吸ったりして過ごしている最中に「今晩、バッティング行けます?」と訊かれた。

あれ?いいの?二人で何か話があるんじゃないの?と質問しつつ、Iちゃんの顔を観ていたら突然思い出した。

二か月ほど前のバッティングへ行った日。

当日の昼休み、やはり同じようなシチュエーションでIちゃんと二人話していたところ、私が言ったのだった。

”なんか、私、前もって約束しているってのがあんまり好きじゃなくてね。変な話だけどね。当日そんな気分じゃないかも知れないでしょ?だから、今日行く?ってノリが好きなんだよね。”

でも、それでは公のことにしろプライベートのことにしろ、人との交流が上手くいかない故仕方ないけれど。

そんな話をしていたところIちゃんが「じゃ、今日行きましょうよ。」と言ったので、その日突如二人出かけたのだった。

大分前のそんな会話を思い出して、それでIちゃんは今回当日まで誘わなかったんだと気が付いた。

あんなささやかなつぶやきを覚えていてくれたんだ。

気軽な雑談の一言を覚えていてくれて、当日にわざわざ・・・

何だか嬉しいなと思いつつその夜も遊んだのだけど。

それからまたしばらくの日数が経ち。

今日も仕事中、ハードだったし嫌なこともあったのだが、Iちゃんからのラインを自宅で見てほっこりする。

お好み焼きの写真に「うまかった。」とだけ。

大きなお好み焼きが三枚ほどいっぺんに焼かれている様子。

美味しそうですね。と返信すると「今度バッティングとセットでこの店も行きましょうよ。」と返って来た。

それから「腹が爆発しそうです。」と。

笑っていたら、”いこか?”と飛んで来る。

そりゃあ行くよ。

今度。

でも、確実に実現する。それは”今度”。

言葉短かな優しさと、黙って記憶して黙って気遣ってくれる。

それを感じ取る。

Iちゃんには何一つ話していない。生々しい感情を特定の人にぶつけられて疲れたことも。

それなのに何故だか、そんなラインが来るのはいつもそんな時だ。

こちらが何かを感じ取るようにIちゃんには分かってしまうのかも知れない。
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2017年07月24日

too much pain

物凄い怒りをぶつけて来る人に唖然となった日。

ただ、それを怖がるでもなく、唖然としつつも”何かが起こっているんだな。愛しいな。”と思っている自分が居る。

けれども同時に、それは困るんだよ、残念だけど屈することが出来ないと冷静に思っている自分も居る。

内容が分かるだけに言い方がなあ・・・と残念に思ってしまう。

もう、変われるだろうと思ったり、いやあ、やっぱり変わらないのか?と自分に問いかけて気持ちを静観しているしかない。

理屈や理論では嫌いなのだけど、本能的に好きとか。もっとも、相手の理論は好きなのに本能的に嫌いってのはもっと困るが。

それでも、前者である現状は非常に困る。

そして意識も無意識も、理論も本能も全て自分なんだよな。どれ一つとして無視できない。

ただ、こんなに考えるってことは滅多にないので感謝もしている。

それでどうしようかなあ。子供じゃないしなあ。

少し置いておき、保てる力が欲しい。というかいつしかそういう心の筋肉がついたはず。

その間に何が起ころうと後悔しない。

意識だの無意識だの、どこかで、自分がやっていることだから。
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2017年07月02日

鏡の中の七色の何か

人間って自分の視界に入るものから影響を受ける。

なので一つの企業に入ったとき、日々視界に映る人間や風景やそこのやり方に強く影響を受けるのは分かるけれど。

感情が揺さぶられ過ぎたり体調を崩し過ぎることの馬鹿馬鹿しさも同時に感じる。

誰でも季節や環境によって心と体は揺れ動く。

要は動かされ過ぎることの危険性が問題だなと思う。

絶望したり哀しみ過ぎたり。

でも、その揺れの一番の原因は自分自身の心や価値観。

全ての原因がそこにあると言っても過言じゃない。

私は今までに完璧な企業を見たこともないし聴いたこともない。

多くの人が自分の思い通りにならない環境や相手に対して愚痴ったり怒ったりするのみで終わっているけれど。

心が原因なのだったらどこへ行ったって変われるはずがない。

もちろん仕切り直しをしたり、環境を離れて最中には見えなかったことを振り返るというのならそれは大きな大きな意味があるけれど。

幾分自分を不幸にしたい無意識を持っている人は過去を美化し続ける傾向にあるのもまた確か。

「前は良かった。」と言うけれど、何分私は記憶力が良いので、前のところに居たときも同じことを言っていたよと言いたくなるとも多々ある。

でも、心なんだよな。何せ人は心で交流したり心で生きていたりするのだから。

相手や経済、様々なものが変わっても、はたまた物質的に満たされても同じ。

なのに心を学ばないのは不思議だなあと思う。

それがどんな分野、仕事、人間関係、愛、全て、何をするにしても土台なのに。

でもそれに薄っすらでも気が付いた人が学び始め先に進む。

いつかの私のように。

その世界は、想像だにしない未来を作った。良くも悪くも。

今だ新しい心、新しい自分に出会い続けている。

目に映るものから影響を受けるのが人間。

でも、その目に映る景色や人物は、全て自分の心の反映に過ぎない。
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2017年06月30日

光抱くバネ

施設の中では広大な階下のフロアに降りて行くと利用者様たちがワラワラと集っている。

そこを忙しく走り回っている介護の人々。

でも、私が降りて来ると反応が二つに分かれる。

一つは「来た!あれを報告しよう!」とか「これをどうすれば良いか訊いてみよう!」という人々。その中には単にひやかしに来る人も混じっているが。

もう一種は「逃げろ!何か申しつけられる!」と反応する人々。

どちらが将来的に得するかは言わずもがな。

その中に男性職員にも引けをとらないバネのような動きをする女子がいる。

握力68の彼女。Iちゃんに腕相撲で左手が勝った彼女。

この日は珍しく寄って来る側でなくて避ける側だったから「あら?どうした?」と思いつつも他の方に依頼すべきことを依頼した。

そして夕方。

吸引をしに降りて行くとガヤガヤした夕食の席。

吸引しようと思っていた人がまだ食べ終えて無かったのでそのまま食事介助を始めた。

すると「あの、制服変わったんですか?」と隣の席から声がする。

あら、あなただったのね。制服?色んなのを着てきてるんだよ。26〜7年ナースやっていると白衣ばっかり持っててね。

「え?あたし、ピンクのやつ一種類しか見たことありませんよ!」

それは凄い確率だね。いつもピンクを来ているときに会ってたんだねと笑う。

手だけ働かせつつ話が飛び飛びになる彼女。

「あの、尾崎さんはさ。黙っているとクール過ぎるよね。印象がさ。」

ああ、よく言われるんだよね。冷たそうとかとっつきにくそうとか、気取ってるとかね。でも、喋るとただの馬鹿だと分かって貰えるんだけどね。どしたらいい?と笑いながら訊いてみると「笑っているようにするとか。。。」

分かった。

そう言ったあとで数分もくもくと食事介助していたが空気を切るような音が聞こえて来たので「何?」と思って横を見ると彼女が首を高速で横に振っていた。「いやいやいや!」

何が?

「やっぱり尾崎さんはそのままでいい。今のままがいい。」

分かった。

それで会話が終わったが後に聴いたところによると階下に降りて来たとき、怖かったそうだ。

過去親しく話したのが帳消しになったかのように。

知らない服を着て冷たい表情だったらそう思うかも知れないわなあ。ごめんね。

「怖いだけだったら良いですよ。」

何?

でも、その続きは無かった。

分かったと答えたかったのに。

でも、そのままにしておいた。

頑張っているなあ。輝いているなあ。でも、輝いているのは若いからじゃない。あなたの中の何か。
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2017年04月13日

結局は何をしているのか?

一般のクライアントさんでも心理学を学んだカウンセラーさんでも共通するのは、しばしば他者との交流パターンについての話題。

もっとも、そこに辿り着くには、一般の方々でもカウンセラーであってもある程度自分の内面を見つめた人に限ってだけれど。

ただ一つ言えるのは、自分を見つめることを避けたりそこから逃げ続けている人ほど後味の悪いゲームに陥りやすい。

大抵の人はそのゲームに乗るので自分も他者も同様に嫌ーーな気分に浸ることの繰り返し。

嫌な気分を味わいたちのなら一人で味わっていれば良いのだけど、いかんせん自分を幸せに出来ないものだから、無意識レベルで他者にも嫌な気分を味わせたがる。まるで匂いのする泥をなすりつけるような交流で散らかりっぱなし。

やがては、ゲームそのものが交流の手段になってしまう。これまた無意識レベルで被害を広げる。

それを止めたいと思う人だけが自分からここへやって来る。

自分を見つめることはつらいことなのだと思い込んでいるので、そこを避けて来たのだろうけれど、実は自分を見つめないことの方が何万倍も辛いのに。ただただ散らかし続け傷つけ合い続けるだけなのに。

そこを何らかの方法で抜け出した人がこの世には沢山いるので、相手のやっていることが見えてしまう。だから、その沢山の人はゲームという泥を避ける。冷たいというよりはごく自然で健全なこと。

何故ならゲームをし続けてどんどん腐っていく人ストップの一助にもなることだから。”自分が”という思い上がりもないので、その一助が何万分の一だったらいいな。何千分の一だったらもっと嬉しいなと思うのがゲームを回避する人々。

表向きに理由、大義名分は人それぞれいくらでも出て来る。

でも、自分が今何をしているのか?

それを見つめることに時間を割くのは、とても価値あることなのだと思う。

”思考に気をつけなさい

それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい

それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい

それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい

それはいつか運命になるから”

マザーテレサ


全ては自分が作っている。
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2017年04月11日

時代

種別で言えば猫と呼ばれる生き物が他界してしばらく後、傷心のその人と出会った。

それは一つの命。あまりに大切な存在だったことだろう。

その人を立川の事務所近くに連れて来たのはうちの次女だった。

初対面でいきなりうちの家族と焼き鳥を食べに行って、押しつけがましいうちの家族が薦める嫌いなレバーを食べて「初めて克服した。」と言っていたけれど。

思えば事務所近くの道っぱたで紹介されて同じ車にのりこんで杯交わして「私も心理学をやりたいんです。」って言ってこちらも「どうぞ、どうぞ。」とスタートするなんて不思議な縁だなと思う。

そして初めて事務所に来てくれた日、白ちゃんを見て「抱っこしても良いですか?」と。

私も白ちゃんについてはよく分からないことが沢山あった時期だったけれど「どうやら、抱っこは好きみたいですよ。」とお返事した。まだまだ野良色の濃い当時の白ちゃんはこれまた初対面でその人に抱っこされて心地よさそうだった。

それから色んなことがあった。喜怒哀楽いっぱいの旅。

とても素敵な歴史となった。

それはそれは人間らしい旅。

後から考えると何故分かったのだろう?何故そうしようと思ったのだろう?ということは沢山あるが、しょっぱなからゲシュタルトを使った。

まだまだ未熟だったけれど、緊急性を要することなのだろうと何故分かったのか。

それはその人の発信力によるところが大きかった。

まだまだ私もその人も白ちゃんも表現が発達していなかったが、多分同時に育って来た数年間だった。

そう、私もその人に育てられた。

時折・・、そう、季節柄、その歴史がこちらにとっても如何に大切なものか?というのをその人に忘れさせてしまうような穴にはまってしまうこともある。

積み重ねられた信頼。

そうか、そうか。と最近の場面を思い出す。

同じくカウンセラー仲間のBちゃんが、彼女もまた育ち切った感がある昨今だというのに、「怒っている。そんなことは思わなくて良い。」ということを表現したのだけど。

それは信頼に関連することだったのかも知れない。

そうか、そうか。

色んなことが起こって、皆育って来た。

新しい景色を見た。

景色が移り変わっていくというのもあるし、自分たちが位置を変えるというのもある。

とても人間臭い歴史で、とても面白いと思うのだけど、こうして思い返してみると、それは万華鏡を覗いているかのように美しい。

万華鏡の中でも複雑な作りで二度と同じ模様を作ることはないはずの代物だけど、あら、不思議。時折かなりの確率でまた同じ絵柄が現れる。

これからもそれは回り続ける。大きな笑い声と共に。

「〇〇△●×□・・・下さい!」と真隣で発言したその人の魂を、そしてそれに投影を起こして共感して絶句し感動した人々のあの時の表情もずっと忘れないことだろう。

人は自分をさらけ出したときが一番かっこいい。一番可愛い。

何故だかかっこよくあろうとか、可愛く見られよう思っている人とは裏腹に。

そんな日の夕方。

昔と同じくリフレやマッサージをして貰った。

暖かな手だった。レイキと共に。心と共に。
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2017年03月31日

良かったってことにしたいのは分かるけど

人の行く道や考え方というのは非常に自由なもののはずだけど。

長年カウンセリングや心理学、もしくはレイキなどに携わっていると「そのまま行くのは危険だぞ。」ということがある。

本来は好きに話して貰って好きに決意して貰って好きなようにやって、それが経験と学びになるというプロセスなのだけど、ある特殊な状況において、そうも言っていられないときがある。

スムーズな交流や受け答えをした方が双方気持ちが良いのが一般的な交流だろう。

しかし、交叉的交流で早期に口を挟まなければならないときがある。

それは相手を尊重していないということではないのだけど、相手としては面白くないし心地よくないものだから激しく抵抗されることも多々あり。

ゲームはね。

そう、ゲーム自体は悪ではないのだけど、できればやらない方が良いの。

互いに鋭利な刃物で傷つけ合って「ああ、勉強になった。」なんてことはない。

痛くて血ぃダラダラで下手すると命も削る。

どこかで止めなければならない。

そのゲームの白熱に勝つほどのカウンセリングマインドが必要になるということは確かなのだけど。
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2017年01月10日

観点

「働いていないんですよ。」と何度も何度もエピソードの中で繰り返す専業主婦の方によく出くわす。

多分別の仕事をしていたら接点がなかったかも知れない人も居る。

ただ思うに、この世に働いていない人は居ないなあと思うのが一つ。

それはワークという意味で。

生きていること自体がワークだもの。

そして、社会的な職業という点だと仰るのなら、それに対してもこう思う。

百歩譲って何もしていないということにしたとしても、それを楽しんだり幸せに思えたりするのが仕事なんじゃないかなと思う。

(そう意味での)働いていない状況でも色んな人に出会い色んなことを学ぶから。

ただもしも、その状況で働いている人を批判したり、配偶者に文句や不満がいっぱいでパンパンに膨らむのだったら、それはその人が危惧していらっしゃる通り、働いた方が良いのかも知れない。

人は自分でやらないと分からないことばかりだから。

自分も何かの形で生計を立てようとしてみて初めて支えてくれた相手の人知れぬ苦労がほんの少し分かったり、ただ「冷たい」とか「おかしい」という浅い見方を止められるかも知れないから。

自分でやろうとする人は例え何かがうまく行かなくとも文句が少ないというのは事実なんだよね。

そしてもう一つは、人は過去の体験を忘れてしまう傾向があるから。

もしも働いたことがあったり、何かを初めてやってみて出来ないなーと苦労した体験や、それを乗り越えたときの体験があるのなら、ただ思い出せば良い。

働かなければ・・・という状況になった際に悲劇のヒロインになることもないかも知れない。

思い出したのだけど、「子供が生まれたのでカウンセリングを卒業できました。」という話を聴くこともある。

それを聴く度にちょっとぞっとする。

何故ならカウンセリングを利用している過去の自分が卒業未満だと思い込んでいるから。

その気持ちって、ちょっとカウンセリングを利用している他者のことをも無意識に下に観ている。

特に「子供を産んだから」とか「結婚できたから」というのが理由になるところも滑稽だなあと思う。

過去の自分を未熟に思い過ぎたり低く見ると、そこには「またああなるんじゃないか?」という恐怖が付きまとう。

その考え方を長年続けて来たからあんなに苦しんだというのに。

俗に健康と分類される人々であっても、例えば心の病と自覚する人々でも同じような境遇だと思い込んで集っているサークルがうまく行かないのは分かる気がする。

そこには同じ考え方しか存在しなくて違う風が吹かないから。

下手するとそこを抜けようとする人の足を引っ張ったりして極端な話だと集団自殺事件にまで発展する。

同じ人を探し、違う考え方の人間を頑なに批判するという姿勢はとても危険なことなのだ。まあ、だいいち全く同じ人間なんていないし、その人は世界にただ一人なのだから。

どんな状況の人もどんな時代の人も今を形作っている。

皆誰かしらに関わっている。

問題はその関わり方なのだろうなあと思う。

でも、人と比較するばかりの人は状況や目先の肩書に囚われてその意味を見出すのが難しいので、ずっと覚え続けているか去勢を張ったりしているように思える。

不安な人は人を不安にさせる。

自称傷つきやすい人は人を傷つけやすい。

でも、もしもそこを抜け出し難くて苦しんでいるのだとしたら、そこにはやはり自分の知らない風が必要なのではないだろうか。

流れは止まると淀む。
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2017年01月08日

他人なめすぎパターン

カウンセリング件数が多くなって来ると、とあるパターンの方々によく出くわすことがある。

人には誰でも一定のパターンを持っているものだけど、大抵大人になるまでにそのパターンを作り上げている。

中でも自分の怒りの源と戦わずして逃げた過去があるというのに、源からは逃げ続け、全く関係のない他人にそれをぶつけるパターン。

これはただでさえ迷惑なことなのだけど、体裁のつく表向きの理由があるので、本人すら気が付いていない。

ところが、これ、カウンセリングの現場なら全然OKなのだけど、仕事仲間や友人、ごくごく私的な場所でやっている人が居る。

最初は相手にしていてくれた人も途中から「あれ?何言ってんだろ、この人。結局いつも同じだなあ。」となって離れて行くものだから、とうとう、もっともっと関係のない遠くの人に向かってそれをやるしかなくなって来る。

そしてますます不自然でおかしなことに。

そんな人の話をカウンセリングとは全く関係のない人付き合いの中で聴いていると、幼い頃や思春期に両親が不仲だったとか、お母さんとお婆ちゃんが仲が悪くて喧嘩ばかりしていたというエピソードが十中八九出て来る。

仕事上、一対一で他人様がディスカッションしているときに「仲良くして。喧嘩しないで。」ととんちんかんなことを言って来る人もいる。

あるいは人間だから当人同士の問題や好き嫌いやら相性やらというものがあって、それでも人は何とかして共に一つのことをやろうとしているのに、過去自分が目にした不和を投影して過剰反応するとか。

それもできなくなると、もはや何に怒っているのかさえ分からなくなっている。

それって、どんなに複雑にしたくても、どんなに哲学的な意味をもたせようとしても、単なる反抗期。

本来ぶつけたかった相手にそれが出来なかったから他人様の生き方や言動にけちをつけるのだけど、皆そんなに馬鹿じゃないのでやっぱり離れて行く。

そういう類の人々は、他人様が笑顔でいたり楽しくしていることが大嫌い。

自分が自分で作り出して勝手に味わっている不快な感情なのに、他人もそれを感じて欲しい、そうでなければ孤独は癒えないと思い込んでいる。

それを無意識に仕事やら他人である友人やら恋人関係やらに持ち込むのだとしたら、同意して乗ってくれるアホな人がいてもいなくても、どちらにせよ孤独なままだ。

でも、甘えている人は自分の感情に責任を持とうとはしないので、孤独であることさえ一人で出来ない。

そんなわけだから、仕事でもプライベートでも、話し合いと称した甘えん坊会議に付き合ったり付き合わせられている人を目にして来た。

それは結論が出るわけないよなあ。解決が目的ではないし、傾聴ではなくて言いたいだけだから。しかも相手には喋らせないようにするし。

そんなことに頭や労力や時間を使ってもなあ。

人さまはあなたの親でも婆ちゃんでもない。あなたのお父さんでもない。

もっと言えば、ある程度の年になって来ると、源はもはや親たちですらない。

きちんと戦って来た人たちはそれを知っている。

自分が何をして来て、今何をやっているのか?ということを。

自分の幼さと付き合っている人、付き合って来た人は知っている。これを知っていれば他人ばかりに大人であることや完璧さを求めないということを。

聴けないから成長できないのか、子供のままだから傾聴できないのか。卵が先か鶏が先か。

それを論議することに一生を費やしたくないなと思う人々がいる。何故ならどこから初めても同じだから。

動いてみないと先は見えないから。

批判に時を費やして自分で動かない人や、人を思い通りにする人が付き合い切れず帰ろうとする人に「勝手だな!」と思うことがあるだろう。

勝手なのは、プライベートの貴重な時間を不毛なやり取りに付き合わせてあたりまえだと思うあなたの方なんですよ。

もとい、人には誰しも特定のパターンがあるのだけれど、それを知っている人は、人に手伝って貰うときのあるべき態度を知っている。
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2016年10月23日

時間・人生を何に使うか

交流分析関連のことをブログに書くと「私のことですよね。」というメールやらラインを貰うのだけど。

ちゃいますって。

その日クライアントさんが体験したことを話してくれた経験談に登場した人物のことだったのだもの。

でも、この複数のメッセージの他にも読んでいて「ああ、自分だ。」とか「あの人だ。」と思う人は多いらしく後からそんな感想を聴くことが多い。

ということは、やはり交流分析故、誰にでも起こりがちなテーマなのだと思う。

今はそこを抜け出ている人々にも身に覚えがある交流パターンだったりとか。

要は気づくことが大切で、その気づきは自分だけのものだと思ってほしい。とても大事なもの。

決して他人に確認作業するために使うのではなくて。

メッセージ下さった方の知っている人、知らない人(この知らない人から”私ですよね?”と言われるときが一番ビビります。だり?あなたってことで。)の全員ではないのだけど、一部この後に及んで「私は存在価値がない。」という脚本を作成するために私を利用しようとする動きを感じ取ると、当然何してくれてんねん・・・とあきれる今日この頃だった。

でも、自分が無意識に何をやっているのか?なんて、公正な自分見つめしたときでしか分からない。

それを望んでいない人に説明するのも野暮だなと思う今日この頃。
自分のペースで心理学を進めていらっしゃる方でよく心理学とカウンセリングを同時に進めて行かれる方がいらっしゃる。

その際、前半でカウンセリングをやって後半心理学をやると、よくびっくりされるのが「さっきカウンセリングで話していた内容じゃないですか。まさに、今。」ということ。

そうなんですよね。

カウンセリングのテーマはもちろん私が決めるわけでなくご本人のフリートークの範疇なのだけど、何か不思議な回路が出来ていてその時必要なことが全面に上がって来る。

最初から内容を知っていたわけじゃないのに不思議だったのだけど、よくあることなので最近は「ああ、やっぱり。自分と向き合う人の不思議な力が流れを作っているんだなあ。」と普通に思う。

例えば交流分析。

同世代だと大概のタイプの人との交流を経験してきておられるのだけど、雑談しても「そういう人、いる!」ということで話が通じる。

そう、人は自分を振り返らない限り、そしてそこから何かを学んでいない限り、時と場所を変えても同じことを言い、同じ行動パターンを取り、同じようなことを感じ続ける。

他人見つめや「私の話だけを聴いて下さい。」とか「私の気分をよくして下さい。」だけでは永遠の被害妄想者になるのよね。

相手に喋らせないし相手の言葉をすべて被害妄想的に受け取ってしまう。

例えそのとき「違うんだけど。」と説明しようとしても既に聴いていないのよね。何せ自分の脚本の中に閉じ込めようと必死に無意識が頑張っているもので目の前で違うことを言われると葛藤が起こってしまう。

それもカウンセリング対象ではあるけれど、社会では嫌われてしまうのよね。

だって自分の脚本の中にある言葉だけをくれという無意識は、大概の素人さんの息を詰まらせる。そしてものすごく支配的で乱暴なことだと思う。

本当は自分らしくない人生の脚本を使い続けていると、当然孤独になるから周りを引き入れようとする。

その孤独を温めて来た諸行には、わけがあるし背景があるものの、他人には関係のないことだし、もっともこの社会で生きている色んな人にも背景があるわけで。

その中で”礼儀”というのはとても大切なことだなとつくづく思う今日この頃。
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2016年10月22日

あげ足取りの根本にあるスキーマ / 地震

なんだか、今朝も鳥の鳴き声が聞こえないなーと思いつつ出勤した。

どうしてそれが嫌だったり不気味だなーと感じるのかというと前にもこんなことがあったのよね。

で、その日、呆然としてニュースを観ることになる。

地震だ。でかい。そっちに起こったのか・・・。

ハラハラドキドキして鳥取・・・鳥取・・と呟くと、多くはないが、鳥取にもクライアントさんがいらっしゃることを思い出した。

うわー、嫌だな、こういうの。

どうしてるんだろ。どういうふうになっているんだろう?

そんなふうに悶々としていたところ、ビックリした。何と、メールが届いたから。

「私は大丈夫ですよー。本当に大変な場所もたくさんあるけれど、先生、心配しないでねー。」と、何でそんなときにこちらを気遣って下さるの。

でも、少し安心した。

一緒にやり遂げたいことがあるものね。どちらかが死んでしまったらそれが叶わない。

そんなことより安心した。

ありがとう。

今どうなっているのかニュース以外では全く見当もつきませんが、心からお見舞い申し上げます。

*********

自分のペースで心理学を進めていらっしゃる方でよく心理学とカウンセリングを同時に進めて行かれる方がいらっしゃる。

その際、その日に取った枠の前半でカウンセリングをやって後半心理学をやると、よくびっくりされるのが「さっきカウンセリングで話していた内容じゃないですか。まさに、今。」ということ。

そうなんですよね。

カウンセリングのテーマはもちろん私が決めるわけでなくご本人のフリートークの範疇なのだけど、何か不思議な回路が出来ていてその時必要なことが全面に上がって来る。

最初から内容を知っていたわけじゃないのに不思議だったのだけど、よくあることなので最近は「ああ、やっぱり。自分と向き合う人の不思議な力が流れを作っているんだなあ。」と普通に思う。

例えば交流分析。

同世代だと大概のタイプの人との交流を経験してきておられるのだけど、雑談しても「そういう人、いる!」ということで話が通じる。

そう、人は自分を振り返らない限り、そしてそこから何かを学んでいない限り、時と場所を変えても同じことを言い、同じ行動パターンを取り、同じようなことを感じ続ける。

他人見つめや「私の話だけを聴いて下さい。」とか「私の気分をよくして下さい。」だけでは永遠の被害妄想者になるのよね。

相手に喋らせないし相手の言葉をすべて被害妄想的に受け取ってしまう。

例えそのとき「違うんだけど。」と説明しようとしても既に聴いていないのよね。何せ自分の脚本の中に閉じ込めようと必死に無意識が頑張っているもので目の前で違うことを言われると葛藤が起こってしまう。

それもカウンセリング対象ではあるけれど、社会では嫌われてしまうのよね。

だって自分の脚本の中にある言葉だけをくれという無意識は、大概の素人さんの息を詰まらせる。そしてものすごく支配的で乱暴なことだと思う。

本当は自分らしくない人生の脚本を使い続けていると、当然孤独になるから周りを引き入れようとする。

その孤独を温めて来た諸行には、わけがあるし背景があるものの、他人には関係のないことだし、もっともこの社会で生きている色んな人にも背景があるわけで。

その中で”礼儀”というのはとても大切なことだなとつくづく思う今日この頃。
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2016年07月07日

価値を測るスケール

毎月、カウンセラーズトレーニングの会の日になると、各自が持参して下さったお菓子が沢山テーブルに並ぶ。

自分見つめをしたり、小さな気づきから大きな気づき、はたまた本人にとっては些細なことと思っているお話しをするところから始まるのだが、爆笑と真剣さが同時に発動する会。

なので、皆互いに会えることができて嬉しいのだけど、同時に泣いたり笑ったりで心も頭も忙しくなる。

私はその昔、菓子と呼ばれるものをほとんど口にしなかったのだけど、この仕事をするようになってから結構な頻度で甘いものも食べるようになった。

糖質も油も脳の活動でだいぶん消耗するのよね。

なのでお茶やお菓子で華やかになっているテーブルを囲んで、真剣な、しかし、各自一番話したいこと、興味のあることを話題にするという盛沢山の話になる。

で、曜日が合わなかったり人数調整も兼ねてもありもう一つのトレーニングの会がある。

こちらはまだ人数が少ないのだけど、なんだか段々多少なりとも様相が似てきていて、やはりテーブルの上におやつが広がっている。IMG_1050.JPG

幼い娘さんがとあるゲームの大会に出場するとのことで名古屋の方へ旅行に行って来られたという方がご当地のお土産を広げてくださったり、もうお一方もなんだかいつも素朴でおしゃればお菓子を持って来て下さる。

なんだか、心も目もおなかも、そして出席してくださる方々のお気持ちもすべてを含めて、幸せな会だなあーと思う。

********
先月、おじいちゃんの号令により次女くんが幹事を勤めた函館旅行。

「タブレット!」という呼称で呼ばれ走りまわっていた私だが、酷使しすぎて、お気に入りかつ世界に一つの奇跡のタブレットケースがボロボロになった。そう、あの可愛いAちゃんとお揃いで作ってくれたMさんのミニトート。

すると、先日、「目分量で新しいの作って来た。」とまたもや可愛いトートを下さった。これもまたぴったり。

すっごいよね、これって。

だが、しかし、私はボロボロになったとしても前のやつがありがたくて宝物にしていたのでどうしよ、どうしよとつぶやいていたのだが。IMG_1049.JPG

何と、その後、前の愛用していたトートもリニューアルして持って来て下さった。嬉しいったらありゃしない。

他のメンバーの方々も巾着や少し大き目のトートを同じ生地や同じ愛猫さんの柄で作って貰って、もれなくお一人残らず喜んでいた。

そのとき、ふと私は思ったのだ。普段って私って手作りものが苦手なのね。

あまり貰いたくないと思ってしまう。いえ、決して必ずしも相手のエネルギーが悪いってわけじゃないのよ。でも、なんとなく自分の流れと違う違和感を感じるから。

どうしてだろ?なんで、これは嬉しいんだろ?

そう言ったとき、メンバーのお一人が良いことを言ってくれた。

「なんの見返りも期待していなくて、『どうぞ』っていうのが良いのかもね。」

そうね。あと、使い方を指示するわけでもないし、愛情も感じる。重くない愛情ね。

歴代、何か人に貰うと、ええ、特に親しさの種類を間違えていた人ほど「どうして私があげたものをつけないの?もう返してよ。一回もつけないよね!!!」とか「なんで、あれ、飾ってないの?」とか言われることが多かったなと思う。ほんとにある独自の傾向を持つ一部の人だけだったのだけど。

こちらが自分の思い通りにならないと気が付いて関係に変化が現れた際にびっくりすることを言われることがあったから、あれがトラウマなのかしら。

はたまた人んちや人の事務所に来てデカい時計や石やインテリアを飾ろうとする人がいたり。(私、頂戴って一言も言った覚えのないやつね。

そういうのが無いっていうのも一因かもしれないが、ええ、確かにそれはそうかも知れないが、私はやっぱりその人自身の思いやりややさしさ、人柄が好きなのだろう。

宝物が増えた。

喜びの舞い♪
ほんとにありがとう。
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2016年06月29日

軌跡の奇跡

諸事情により、ややまったりな日。

が、仕事はある。

昨日のトレーニングの会はいつにもまして濃密だったため、盛り上がりながらも終了後にピザを食べつつ、ふとお一人が時計を見上げると「ええっ?!」と声が出た。

もうこんな時間!という状態だった。

まったく濃縮した充実時間を過ごしていると油断ならない。ものすごく遠方にお帰りになる人も居るのに。

にも関わらず、とあることで「こんな練習をセッションでやりたい。」という申し出もあり、「また明日ねー。」のノリで本日も再開。

その本題にも変化があったのだけど、昨日のシェアについて考えたことも話してくれた。

「確かにここはこういうところがあるのだけど、あちらのこれは少し違っていて、これこれしかじかな背景があるんだなってことを思い出した。」ということを話してくれた。

ああ、なるほどねー。そうだったの。

普通に話してくれることを普通に聴いてキャッチボールができるこの状況にはいろんな理由があるのだけど。

一つはこの人が昨日の時点から家に大切なものをこの場所から持ち帰り、自分の頭で考え、自分の気持ちと心で感じて来たことを普通に話してくれるから。

なので、よく女性の一部の方々にあるようにぎゃーーっとなって興奮して話す必要もなく、ただそのままに話してくれるわけで、こちらもボールがとりやすい。

それが出来るようになるって、文字にするとうまく書けないのだけど、とても凄いことなのよね。

特に長年の背景を少々知っている相手だから特にその偉業を思う。

そりゃ疲れると心に余裕がなくなって前のパターンがよみがえったりもするだろう。

感受性の強い幼少期から何十年も持って来たパターンであって、長いようでいて人生からみればほんの数年の間の気づき。まだこのステップが踏めないときもある。

けれども繰り返し繰り返し、練習していつの間にか自分の喜怒哀楽と自己一致出来るようになる。

大丈夫、大丈夫。

事はうまく進んでいる。

ビックリするほど類似した嫌な出会いだってトレーニングのチャンス。

そして以前と違うところは、なんたって、自分の中に今何が起こっているのか?ということが分かっているというところだから。

これを心理学の世界では自己一致と表現するのだけど、案外難しい。

「自分のことは自分が一番よく分かっている。」という人ほど怪しいくらいだ。

でも、それがいつの間にか(じゃないんだけどね、ほんとは)出来るようになってきているって、素晴らしいことじゃないかと思う。

後半、レイキ。

私も昨日の今日で疲れていたので、まったりとエネルギーを流す。

静かな時間が流れていた。
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2016年05月16日

優しさや思いやりという想像力

まあ、毎日色んな人、色んな年代の人のお話を傾聴する機会に恵まれているのだけど、結局のところ、年代は関係ないのだなあと思うことがある。

年齢が行っていても悪い部分での幼さが全面に出ている人も居たり、またその逆もある。

で、ここで言う幼さというのは、想像力が無いと言うこと。

妄想と想像力ってのは全然違うのを前置きしておきたい。

妄想というのは、自分では物凄く考え込んでいるつもりでいても頭の中の同じところをグルグル回っているだけで、そのままありもしない自分の思い込みを膨らませて行くこと。

そしてこの場合の想像力というのは、例え自分が辛い思いをしていようが、幸せにしていようが、相手の立場を想像出来る人のこと。

想像力が無いケースだと部下手すると生涯自分は誰よりも不幸で、誰よりも損をしていると思い込んだまま、そのストーリーを強化していく。

なので人の立場とか都合、生き方なんて認めないらしい。

幾人も出会って来たけれど、その昔は、ナースの常勤を同時進行しつつカウンセリングをやっている時期があった。

そこに『もうダメです。一日も早く聴いて欲しい。』という長文メールが来て、さらに『早く会える日を設けて下さい。』と言われたので、何とか頑張って夜勤明けの夜に請け負った。

朝帰りというか、病院からの昼帰りの夜勤明けで仮眠をとり、果たしてその人は夕方来訪なさったのだが、後日『夜勤明けに仕事しないで下さい。夜勤は辞めて下さい。』と仰ったのにはビックリ。

はたまた元々は友人だった人で仕事をしていなかった人。

仮眠を取っている私のところへ来るのは良いが、叩き起こす。理由は自分が寂しいから。そして自分の気持ちや気分のために叩き起こすのだ。

そういう人には時々送遭遇するのだが、カウンセリングという自分に目を向ける現場でも、”私の思う通りのことを言え、欲しい言葉をかけろ。という無意識が働いている人がいる。

カウンセリングならまだましなのだけど、恐ろしいことに、この手の類のメッセージはカウンセリング中以外で飛んで来ることが多い。

そして、カウンセリングだけをして欲しい。他の仕事をしないで欲しい。あげくの果ては自分を最優先に考えて欲しいと、結局はそういうニュアンスの欲求を飛ばして来る。

支配的だなあ・・・と思う。

誰かが気に入らないからと言って、その人を自分の理想通りの人柄や理想通りの生活サイクルに変えさせようと言うのは、物凄く暴力的だ。

で、そのまんま怒りの言葉をぶつけられて、対応してもふてくされたままの人ももちろん困ったなあと思うのだけど。

逆に『この間はごめーん。』的なメッセージが打って代わって来ることもある。

『おかげでスッキリしました。すみませんでした。』

このケースは実は同じくらいガクッと来る。

いくらその人がスッキリしていたとしても一度放った言葉というのは元には戻らないし、結構な時間と労力を尽くして関わって来た末に怒りをぶつけられた傷ってのは、消えない。

逆にそれだけのことを言うのなら関係性を終わらせる覚悟で言って欲しいと思う。それがマナーだ。

でも、自分の傷だけに何年も何年もこだわっている人は、他人は傷つかないと思っている。もしくは知ったことではないという場合がある。

人のライフスタイルに『それは困ります。(私が)』と言っていることに等しい発言しているのを目にすると今でも、乱暴だなあと思う。

人はどこまでも自分に優しくするべきだと思っているのだろうか。

ファミレスの料理に無償の愛を込めて作れって言う人も居たが、生身の人間の人生ややりたいことに対して制限をかけて来るのもそれに等しいのかも知れない。

そんなわけで、一つの交流でその日常が見えることがある。

***********

話しは打って代わって、人気の時間帯ってのが存在するのだが、先日、『この時間なら空いているけど、ダメだよね?』という気持ちで返信したところ、何と今月に入れることが出来た。

あれは嬉しかったなあ。

皆それぞれの人生を、互いに思いやりながら生きている。

そして心が本当の意味で大人になって行く。
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2016年04月02日

それ、要らない

世の中には表現ベタで聴き手ばかりに回って自己主張しない人もいる。

それは自己主張が攻撃的で悪いことだと教え込まされた幼少期化からの文化が影響を与えているからという一因は否めないのだけど。

逆に、人の言葉がショックだったとか、傷つけれたとか、そんな話ばかりを何十年もする人ってのは、いくら話し散らかしてもその怒りは癒えないわけだから、ある程度の時期が来たら『あれ?なんでだろ?』と気付いて欲しいなあとも思う。

何せ世の中の大多数の人が悪人で皆が自分を傷つける人だと思い込むことに力を注ぐと、それはそれで無駄なエネルギーなんで『何かがおかしいぞ。』と自分の認知を疑ってみても良いかも知れない。

疑わずとも、少なくとも自分が喋っただけでも傾聴する側に回るとか。

そう、世の中には傾聴が足らない故に自分だけが不幸で損をしているという人も存在するのだ。

例えば一人の人の話しや一人の人の書き記したことに大勢の人が関わったとする。それはそれは長い時間。

素人さんならよほどのメサイアコンプレックスでない限りは聴いてくれないほどの重い話とか。(もっとも自分がメサイアであると思い込むことでしか自分を保てない人に聴いて貰ってもその人は永遠に被害者であり弱者の役割を押し付けられるわけだが。)

それはともかく、さんざん大勢の人々が付き合って来た果て、つまりは大勢の人の時間を奪い、食らった果てに『自分がやっていたことは間違いだった。あの文章も、自分の宣伝のためになると思って書いていたものだった。』と言って、散らかしっぱなしで走り去る。

やっぱり自称傷つきやすい人というのは思ったより多くの人を傷つける。

ある人に『集まってくれた皆に一言どうぞ。』と言うと『一言で済むわけがない。』と興奮して喋り出した。

つまり、自分以外の人には喋らせないし、割って入る人は全員分かってくれない敵だと見なすとか。

そして勝手に眠れぬ夜を怒りで費やす。

何故話した分だけ聴けないのか。

多分それはその人の人間観にも関わって来るのだと思う。『分かってくれ。でも、分かりたくない。』の子供のままでは多分生涯かけて私はNO、周りもNOのゲームで終わってしまうから。

そうやって病んで行った人を沢山知っている。間違っているけれど楽だと信じ込んだ方向へ逃げて未だ苦しみが何倍にも膨れ上がっている人のことも見た。

結局のところ、その闇を抜け出すのは共感能力なのだろう。

そして、それは心のことだから、人それぞれ、必要な時間が違うし、やり方も違う。

世間でよくあることだが、他人の言葉を脳内変換してしまうタイプの人が居る。

過去に出会った人の言葉と今目の前に居る人々の言葉とを混同してしまうので、永遠に今を生きられない。

もちろん人ばかりを見ていても自分という今を生きられないのだが。

良い意味での人との比較というのは時に必要だなあと思う今日この頃。

自分がやっていること、無意識の目的。それが分からないままバタバタ暴れたり怒り続けていても、その人の頭の上には延々雨雲がつきまとう。

もちろん人生は人それぞれ違うのだが、そんなシンプルな法則があるというのも確かなのだと思う。

今日を生きているかしら?今、目の前に居る人を他の誰とも比較せずそのまんまにキャッチボールしているかしら。

色んな過去と現在をまぜこぜにしてしまう人にはちょっとばかし必要なチェックだと思う。

何故なら、どんなにあなたが不幸だ損だと思ったことも、恨みつらみも、新しく出会った人には何の関係もないことだから。
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2016年03月28日

花が咲かないであろう場所

『このわずか3週間で色んなことがありました。』とお話して下さる人生の先輩でもあるクライアントさん。

今日はそんな出だしだった。

ほんとに家庭においても仕事においても日々色んなことがあるよね。

でも、そんな話題ですら現在進行している心理学の一部にタイムリーにリンクしている。

それ以前からも色んなことが起こっていたはずの人生だとは思うのだけど、少なくとも心理学はヒントとなり「今、何が起こっているのか?自分はどういう状態なのか?」ということが明確になる。

そこには今までと同じように喜怒哀楽が伴うものだけど、少なくとも自分が何を感じていてこの先何をすべきなのか?あるいは、したいのか?ということが浮き彫りになる。

それはただ訳も分からず翻弄されているような感覚を持ったり、全てを自分以外の人や環境のせいにしていた時代よりも遥かに幸せな日々なのではないかと思う。

カウンセリングとは、そしてヒーリングとは、聖人になるための作業ではなく、あくまでより人間らしくなるプロセスとも言える。

**********

今日はお久しぶりの方ともお会い出来た日。

時間は短くてヒーリングのみだったので色々と訊きたいことも聴けなかったのだけど、それはそれでよし。

色んなことが伝わって来る。

それでも帰り際、玄関に向かう途中で少し近況を話して下さっているのを聴くと、あいかわらず頑張っているなーと感じて嬉しくなった。

頑張れ。頑張れ。頑張れ。そして、しっかり休め。

**********

心理学に携わっていると、他の業界でも非常に心理学的な世界を垣間見ることがある。ああ、この人たち、凄く勉強しているのだなあ。暖かいなあ。と思うことがある。

そんな普通なことがしっかり出来ているって凄い。

でも、その一方でビックリするくらい歪な光景、人間関係、企業の在り方を目にすることもある。

そんなとき、ショックを受けた自分のことを振り返ると、『ああ、なるほど、期待していたんだな。まさか、そんなことはしないだろうと思っていたんだ。』とか、『きちんと話したり聴いたりすれば分かり合えることもあるだろう。』とか。

でも、目的が全然違う場合には、それは全く叶わない。

勉強会でしてはならないということを平気で日々やっているのを見たとき『まさか』と思ったのだけど、それは仕方ない。その勉強会は勉強するためのものではなくて「こういう取組をしていますよ。」というポーズのためで上層部にやったという証拠の書類を提出することが目的だったりとか。

そりゃ意味がないし、良くなるわけないよな。

その時はうまく言えなかったのだけど、もう少し表現しておけば良かったなあと今になって思う。

職員や部下は人間だよ。心があるよ。で、そのやり方で長くその場所に残る人ってまともな人では皆無に近いと思う。

何故ならそんな思いしてまでそこに居る必要はないって普通の人なら分かるから。

と書いてみて思う。やっぱ、言わんでも良かった。長年繰り返されている歴史なのだから、多分伝えても相手の瞳孔が開いて耳が拒否する。

人間の中には不自然さを維持することが好きな傾向を持つ部分があるし、それもまた人それぞれの自由だから。

上級でドラマ三角形ってな説が出て来るのだけど、それは簡単に言うと心理的ゲームの複雑版。

それが発動したとき、一瞬のうちに上記のようなことを考えて『では、今日は帰ります。』という答えが出た。

三対一の状況だったのだけど、『ええ?ちょっと待って!ちょっと待って!』と驚かれたので意外に思われたのだろうけど、こちらとしては『やっぱりなあ。』と思ってちっとも意外じゃない。

ここで帰られてはゲームが終結しないし、こんなはずではなかったという無意識の思いなのだろうけど、あいにく付き合っていられない。

せっかく健康な身体を持ち、時間を構築する権利や大切な命を持っているというのに、そこに時間をかける方々というのも自由といえば自由なのだけど、それに付き合わない自由というものもあるのだから。

************

今日は立川のいつもは通らない道を歩いてみたのだけど、そこにも美しい木蓮が沢山咲いていた。

しかし、まだまだ寒い。

花も動物も人間も、命って凄いな。

花一つ咲くということですら綺麗ごとではない。物凄く多くの環境と闘っての成果だろうと想像するから。

願わくば私も泥臭くとも、『なんで』と思われても、自分なりの花を一つでも二つでも咲かせたい。
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2016年03月07日

ボールにも賞味期限がある

よくカウンセリング技法の初期の時期に繰り返し技法という簡単な練習をすることがある。

要するに、相手が『これは赤いボールです。』と渡して来たら、一旦きちんと受け取るものの『ああ、これは赤いボールなんですね。』ときちんと元の相手にお返しするという練習。

もしも自分にそれが青いボールに見えたのなら『赤いボールに見えるんですね。』と、これまたちゃんと相手にお返しする。

そんなの簡単じゃんって最初は思われる。

ええ、ある意味、ほんとに基礎は簡単なの。

ただ、日常でそれが出来ないケースが多すぎるのが私たち人間なのよね。

会話というものはよくキャッチボールに例えられるので、まずはそのキャッチボールが出来ることが第一歩なのだけど、
皆多くの場合『これは赤いボールです。』と渡されると『???なんでこの人は赤いボールを渡したんだろ?いったいどういうもくろみがあるんだろう?』とベタベタ手垢がつくまで物色して、あげくの果ては持ち帰ってしまうというのがよくあるパターン。

反応は人それぞれだけど、ボールを投げたのに帰って来なかった相手は『あれ?』と思って、何度もボールを投げて来るかも知れないし、違う話が始まれば『あれ?さっきの私のボールはどうなったの?』とその人の周辺を必死で探して会話どころじゃないかも知れない。

一方持ち帰り癖がついている方は、どんどん他人のボールが溜まって行くので、日々心身が重くなる。

一つ貰ったときに反しておけば良かったのだけど、溜め込んじゃうともう大混乱。

それで、遠い昔、親に貰ったボールを赤の他人様に投げ返したりすることもあり人間関係は大混乱。

もう一つは、投げる方の投げ方にも問題があるケースが多くて、ボーリングの玉のように重いボールを他人様にいきなり投げつけたり、消える魔球や変化球を投げておきながら『受け止めてくれない!理解してくれない!』と嘆く人もあり。

これまた多いケースとしては、大きな大きな洗濯物籠に沢山貯め込んだスーパーボールを相手の頭から一気にざばーーっと被せて『なんで、取ってくれないの。』と平気で言う人もいるわけである。

投げて受け止めて投げ返す。思いやりのあるキャッチボールは楽しくて単純なものなのだけど、色んな癖(へき)でいくらでも複雑化するのよね。

**********

ある人がある人に一つのボールを投げた際、やはりいつまでも帰ってこずに、そのボールを物色されていたり。

そしてそのボールを返さぬまま、待ち焦がれていた相手に『ところでさあ。』と違うボールを投げて来れば、そりゃ失礼な話だろうというあたりまえ。

例えば初期の頃にこんな単純で大切で簡単なことを学んでも、その学びを大事に出来ないのが人なのよね。

でも、学んでいるので幸いなことに必ず心が『なんだ、この気持ちの悪さ。』と気が付き出す。要するに対処できるようになる。

投げ散らかしたり、『もっとタダでボール頂戴よ。全然足りない。他の人よりもっと頂戴。』と言っている人のこの原理を正直に説明すれば『えー、めんどくさい。もっと単純に考えれば。』と言うかも知れないけれど、そう言っている人が面倒くさくしているんだな、これが。

はたまたそのやり取りが当たり前になってあたかも主従関係が友情だと思い込んでいる側の人は、このあたりまえの理屈を言われると猛然と怒ることもあるだろう。要するに、そこでハッキリする。へー、いつでも思い通りになるという主従関係だと思っていたんだねとか。

こんなエピソードは非常に多い。

*********

とある企業に勤める女性スタッフは非常にお仕事が出来る方で、私も尊敬したいたのだけど、しばらく付き合うと周りからの苦情が多すぎる。

何、何?明るくて良いじゃん。私とは全く違うタイプだから羨ましいよ。と言いつつ話を聴いていたのだけど、苦情を仰っている方々曰く「もうねえ・・・。車の中で一日中マシンガントークしているんですよ。主に人の悪口と噂話と、あと自分がどんだけ仕事出来るか?ってことを。一日一緒に居ると頭が痛くなって来る。で、こちらの話しは聴いてくれない。」

そうか。要するに無数のスーパーボールをぶっかけられている上にもしかしたら口にまで詰め込まれてお腹いっぱいという状態なのかも知れない。

はたまた、これもよく聴く話なのだけど『あの人にこんな皮肉を言われた。何だか気分悪いわー。』と仰る人もあり。

それ、いつのこと?と訊くと『三日前。』なんて答えが返って来るので「それがいかんのじゃ。」と思う。

三日間家と職場を往復する間、あるいは休日の間も常にボーリングのボールを持ってたらそりゃどんより疲れるのよ。腰背部も痛くなるかも。(あ、大抵、最初は小さく見えたボールでも他人のエネルギーというボールに限っては抱え込むと日増しにボーリング化して行きます。)

『えー、じゃー、どうするの?』と言われても、その人に合ったやり方があるので、ノウハウは言えない。

ただ、私だったの話しである。

例えばなのだけど、『えー、今日、出勤だったのー?』と嫌なニュアンスで言われればすぐさま『なんで?』と訊き返す。『なんで、出勤だったのって思ったの?』と。

『まだ辞めてなかったの?』と言われれば『なんで?辞めたと思ってたの?』と訊く。

そうすると大抵の人は「あれ?!ボール返すんだ、この人!」と思って多少ビックリするきらいがある。

なので追い打ちをかけて『そんな言うってことは辞めて欲しいって言われてるみたいなんだけど。』とあくまできょとんと普通に返す。

大抵は『違う、違う、誤解、誤解。』と言い訳する人も居れば、そのままあとずさりして行く人もいる。

あと、先のマシンガントークの方の場合だと、(大抵こういうタイプの人、私には何故だかマシンガントークしないんだけど。)たまたま可愛らしいスカートをはいていらしたので「お!可愛いね!どうしたの!今日は。素敵!」とこちらから話しかけると、意外にも照れちゃって口数が少なくなったりする。可愛いんだな、これが。(お喋りな人はお喋りな人が嫌いという法則があったり、プラスのストロークにビックリする傾向があったり、理由は色々なのだろうけど。)

でも、自分のプライバシーを他人にマシンガントークされた場合は同人物に『ちょっと!○○さんだから話したのに、何で皆に言っちゃったのよ。ショックだわ。』ときちんと言う。

はい、ボールの返却、終わり。

******

キャッチボールのパターンにはまだまだ色々と面白いパターンがあるよ。

普段から怒りでいっぱいの人は何かを投げかけても、そのボールをこのやろ、このやろ!と踏みつぶしていたり、(それで転ぶ人もいる。)全然違う人に『ちょっと見てよ、このボール!』と持って行ってややこしくしたりする。

でも、基本は思いやり。

心理学のワークではリレーションとも呼んでいて、基本、一対一のリレーションが出来ない人は、集団の中でそれが出来るはずがない。

でも、言い換えれば、一対一をなるべく大事に出来る人というのは、集団の中でも親密な関係を築いて行ける人とも言える。

それでも、きちんとやっている人の場合でも、時には横殴りにボールをぶつけられることもあるし、投げたボールが帰って来なかったり、踏みにじられたりすることもある。

その時は、仕方ない。

いつまでもそのダメージにこだわる必要はない。

ボールに象徴されるものとは、この人生で培って来た自分自身の知恵やエネルギーだから。

それは、生き方によっては、いくらでも無限に湧いて来るものなので、少なくともキャッチボールの仕方が分からない人に固執する必要はない。

私自身も、何やら、剣山でコーティングされたボールを剛速球で投げつけられたあとに『返事は?』と言って来る人に出会うのだけど、よう返さんわ。

そんなボールを作る暇とエネルギーが在る人は私なんぞより充分元気な人だろうから。

ああ、あと、お願いしていない、つまりは依頼していないのに『これやってあげる。私がやってあげる!』という自称セラピストさんが後頭部にいきなり投げて来るあれも痛い。何故なら大抵は古い時代からのメサイアコンプレックスやら投影やらで出来ているので、完全腐っていてシャンプーしても落ちない。

『ひどい。せっかく言ってあげたのに。』と言われそうだけど、実は酷いのはどっちだって話。
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2016年02月20日

尊厳ゼロのゲーム

40代、50代、下手すると60代の方々でも時々いらっしゃるあるタイプの方々。

「あのう、カウンセリング続けたいし心理学もやりたいんですけど、親がそんなもの止めなさいって言うんです。『私に話してれば良いじゃない。』って。」

え?親御さんにセッション料を出して貰っているんですか?という愚問を尋ねてみる。

もちろん、皆さん、人生経験豊富なお年頃だし、自活なさっているということは分かっているのだけど。

『いや、そういうわけじゃないけど、親が反対なんですよね。』とか『主人が反対なんですよね。』とかいう言葉を訊くと困ったなーと思う。

自分自身を見つめたり、スキルアップしたり問題解決して行こうとしたり、生き方を変革して行くのに、誰かの許可って必要なのか?

それはともかく、少なからずそういう状態や関係性の家族が居て、そんな付き合いをして来たというのは事実なので仕方ない。

ただ、それを私に言うのではなくて、自分で解決するなり見つめてから来て欲しいというのがごくあたりまえの願い。大人なんだからさ。

色んなケースがあるのだけど、中には家族がカウンセリングなんて病気の人が受けるものとか、そのカウンセラーは怪しい、騙されているんじゃないの?という色んな偏見を持っている場合が多いのだけど、

さらに、もっと性質が悪いのはご本人がそれを聴いて「そうなのかな?」と試して来たり、自分が思う疑いを家族が言ったことにして伝えて来る人もいる。

一番ビックリしたのは親御さんとか旦那様を説得してくれと言って来る人とか。

それは、ちょっと違うんだよね。カウンセリングの範疇を越えている。

**********

でも、この国では家族関係の一種に親密というよりも共依存的な関係が多いのも確かで、あながち本人に”それ違うよね。”とばかり言えないケースもある。

だってそういうものだと思って育てられて来たのだから。

で、『カウンセリングなんか私がしてやるよ。(私を頼りなさい。)』と言っている親御さんや友人や配偶者が同じ口で『カウンセリングなんてインチキだ。』と言っているというから不思議。

複雑なんだけど、あるケースでは家族の中でそういうレスキューファンタジー持った人というか、メサイアコンプレックスの人が逆にカウンセリングや心理学をやりたいと仰るケースがあって、最初の頃は気付かないのだけど、あれま、これはいかんと思うケースに遭遇する。

何故ならば人を支配するためにカウンセリングを使おうとしている人たちなので分析ばかりして自分見つめが出来ないのだ。

家族や友人や配偶者が選択してとっている行動に対して『やめろ』とか『こちらに話せ。そういう場合はこうしなさいよ。』と支配する暴力って凄いなーと思う。自称優しい人に多いのだけど、何故それが暴力になると、簡単に言うと『依頼』されていないし頼まれもいないところに目をギラギラ光らせて首を突っ込んで来てしまうところかな。

そういう人は頼まれてもいないのに、人の弱みを見つけると必死で入り込んだりアドバイスしたり、そうすることで自分を保っている。

で、人の幸せが許せなくて、不幸な人や話を聴くとイキイキとしている。

カウンセラー志望の方にもごく稀に昔はいらっしゃったが、『依頼されていないことをやる時間があったら自分のことを見つめた方が良い。』という話になる。

案外気が付かずに親密の反対の密着&執着に囚われているケースを目にするものの、それをありのままに目覚めて気が付いて行った人々というのは『うわ。気持ち悪い!』という人までいる。『なんか、重いと思っていたら、やっぱりそうだったんだ。』と事実をそのままに受け止める。

まあ、どちらも無意識でやって来たことで、無意識というのは見つめなければ意識化しないので、下手すると生涯、じっとり見つめたり命令しあったり批判したりで、イライラザワザワした人生を送りかねない。

でも、そこはいずれも自己責任だよね。それを自由とも言う。

そう。自由でいらして良いから。お願いだから頼んでいないことを触らないでって話なのだった。

ただ、これもゲームの一種だから、なかなか終わらないんだよね。距離を置かれると余計に人のことに介入したい焦燥感にかられて、学ばない限りは終わらない。

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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。あなたにとって良い一日でありますように。


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posted by かおる at 06:00| Comment(0) | 交流分析 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする